僕の意識を変えてくれた言葉集②(脱サラを決めた先輩のひと言)
前回の記事の続きです。
きっとお読みいただく方へ反面教師にもなると思って、もう少し書きますのでお付き合いよろしくお願いいたします。
社会人25歳(菓子メーカー時代)
「「私」って自分のこと言ってるサラリーマン病が治ったらまた会おうね」
尊敬している大学の先輩に言われた言葉です。
この言葉が、会社を辞めて、自分が職人を目指すきっかけにもなりました。
先輩はそんなことも知らないと思いますがw
いつだって、「先輩」という存在や集団はかっこよくみるものですが、大学のサークルにいた先輩は本当に個性豊かで、やりたいことを実現して突っ走る方ばっかりだった気がしています。
しゃべっても、服装も、雰囲気も何もかも。
すげーなーーー。って思っていました。全てを括ってイケメンでしたw
そんな先輩たちは社会人になっても、変わらず、僕からしたら、イケメンな働き方をされていました。
先輩の働き方や姿に憧れとかっこよさを感じて、追いつこうと思って仕事に励んでいた自分が、自分の望む姿に対して真逆の方向に進んでいたことに気付かされました。
今でも初めて会う方や、目上の方にお会いする際、一人称として、
「私」と自分のことを称してしまう癖
が抜けません。
これは新卒で入った会社の影響が相当でかいです。
僕は、新卒営業員ながら原料調達をする部署ということもあってか、仕入れ先、売り先の担当が、
社長や役員、部長、グループ長
といった、役職付きの方と折衝することが多く、仕事を覚えることよりも、言葉使いを日々、徹底して直されました。
学生時代は、世間知らず。を売りにしていたわけではないですが、仲良くなれれば、言葉なんて気にしない!って性格でしたし、それこそ、先輩たちとお話する時もある程度の敬語を使って、少し気をつけて喋るくらいで。
「マジっすか?!」「なに言ってんっすか!!!」「いいっすね!」
、、、語尾に「っす」をつけておけば、ゆるい敬語みたいだなって気持ちで話していたような気がします。。。
なので、言葉使いについては、入社してから苦労しました。
隣の席の先輩社員(当時の指導員)が(ネチネチ)僕が話している最中に間違っている言葉があると、敬語で被せてきたり。正直、イラつきましたw 言葉が使えなくても実力されついてくれば、なんとかなると思っていましたし。
そんな入社して数ヶ月経ったある日、会社のデスクの上に置かれていた本も、原料や業界の資料ではなく、
「敬語について」
という本でした。
「もっと日本語勉強して」とボソッとその先輩社員に呟かれたのは今でも忘れられません。相当頭にきたのを覚えています。
そして、その後も毎日毎日、「私」「私」「私」「私」、、、と喋るたびに言葉に被せて言い直されました。
反抗して、
「あたし」
と、社内会議など、その先輩社員との会話でわざと中性的な言い方をして挑発してみたり。
(「あたし」の癖も取れず、今でもたまに友人との会話で使ってしまいますがw)
今でこそ、自分が当時の指導員の年齢になってみて、無礼しそうな新人がいたら、そんな本を置きたくなる気持ちは少しわかるようになりました。
ただ、当時、仕事にテンパりながら、役職のついた仕入れ先、客先の担当者の信頼を得て、成果を上げようとがむしゃらでいっぱいいっぱいの毎日を送っている自分は、
とりあえず
目上の方=「私」と敬語
と、脳内に染み込ませてしまいました。
半ば言葉の使いについて思考停止してしまったのも覚えています。
指導員の思惑通り、育ってしまっていました。
社会人として、良いことだったと、今は思いますが。
ただ、自分は公私で使い分けることはできないくらい変な癖になってしまいました。
むしろ自分に「私」と敬語が染み付いていることすら、気付いていませんでした。
そんな中、久しぶりに尊敬していた先輩に飲みに誘われて、嬉しく飛びついて飲み会に行きました。
そしたら、
「気持ち悪いなお前。敬語使いまくるし、しまいにゃ「私」かよ(失笑)」
「面白くない、つまらない社会人になったね」
と、言われました。
加えて、飲み会も終盤を迎える頃、
「「私」って自分のこと言ってるサラリーマン病治ったらまた会おう」
と言葉を残して、先輩は先に帰られてしまいました。
大学時代、先輩と無茶してでも、笑って過ごして、思い出残してなんぼ。敬語なんて知らんがな。って感じだった僕としては、そんな先輩から言われた言葉がショックすぎました。
この飲み会が終わった後、「私」や敬語を常用していることすら自分で気づいていなかったので、何のことやら?と最初は思いましたが、飲み会に集まった同級の仲間にも言われて、ヤバさに気づきました。
そして敬語を使いたくなくても、勝手に使ってしまう自分に相当焦り、悔しく思った記憶があります。
後輩に会う時も、どう喋っていたかを忘れてしまい、敬語混ざったり、しろどもどろしてしまっていたようで、
「大丈夫?」「壊れたw」
と心配されたことも。
このままでは大切な人を失ってしまう。
言葉使いの分別もできない自分は相当やばいやつ。
危機感も抱きました。
つまらない人間になってたまるか。また仲間と笑えって話せる(相当やばいやつでしたw)ために人生変えなきゃ。
と思い、やりたいことや望む人生について考えました。
その結果、
作り手になる人生、パン職人
に至り、行動することにしました。
(パン職人になろうと思ったワケ①の記事で詳しく書いています。)
また、この言葉を受けて、同じ環境にだけ身を置く危険も感じました。
外から取り入れて学ぶこと、自分を振り返る機会も大切だと学びまし
た。
気付かぬうちに癖ついてることに気づいて、見直すためにも。
企業人、組織人にとっては大切な成長なのかもしれませんが、自分の意図する成長ではないと自分で思った以上、気をつけていこうと今でも心に刻んています。
まだその先輩には、パン屋を開くことは言っていません。
いつかお礼を言える日、ビビらず会える日が来るまで、毎日頑張ろうと思っています。
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