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自分のワーキングホリデーを振り返って思うこと

嘘のような本当に起きた話ばかりで、あっという間の時間でした。

結果的に、

パン職人になれた。

結果的にです。
キャリアも縁もなく、人の目を気にせず、本当にやりたいことやってみたいと意気込んで入国したオーストラリア。

無理無茶無謀で勢いだけの自分が夢のような生活を送れたのは、現地や日本で支えてくれた方々のおかげだと思います。

仮に自分が、自分に出会ったら、「ヤベェやつだな〜。。。勢いだけで危なっかしいし、距離置いておこう。。。」って思ったでしょう。。。

けど、そんな自分の相談や質問にも親身になって答えてくれて、自分の生活を見守っていただけたおかげだと思っています。

そして、お世話になったサワードウブレッド専門店の店主からは、大事な酵母を分けていただきました。
その酵母を帰国してからも日本で大事に育て続けています。

自分がこれからできる恩返しは、

この酵母でオーストラリアの記憶と共にサワードウブレッドを焼く。

それだけだと思っています。

脱サラした会社の人、
今まで付き合ってくれている友人、
そして何より、オーストラリアでお世話になった方々へ
逞しくなった自分の姿を見せたいと思うと、パンを焼き続けるしかないと思っています。

入国早々、財布を免許も無くして、途方に暮れて、仕事も見つからず、肉工場で働き、シドニーで現実を再認識して、帰国しようとしたら、パン職人になるチャンスを掴んで、地元の有名店でも経験を積めました。本当に満足です。

ただ、

全体を改めて振り返ると、

ほんとに楽しさ2割、しんどさ8割って感じです。
心も体も傷はたくさん負ったかと思います。
何が起きるか全くわからない日々を送っていたと思います。

足の指も折ってますし、ミートファクトリーでは爪も剥がれて、小指も、、、ってなことやら、(準備不足が故ですけど、)何も通用しなくて現実がつらすぎる日々を送ったり。

けど命あってちゃんと帰国出来たこと。
色々反省しつつも、心も体も壊れきれなかった自分がいることが家族や友人へ大きな報告になるとは思っています。

そして大切と思える店主とお兄さんに出会えたこと。
大人になってから大切にしたいと思える人、友人ができることはほぼないと思っていました。けど、結果的に今でも感謝と大切にしたいと思えています。

そんな出会いも行ったからこそだと思っています。

楽しさの話です。

次にしんどさに追い討ちをかける話をします。

帰国を決め、滞在期間もあとわずかという日、
深夜の残り少ないパン職人生活の出勤途中に酔っ払いの若者から水風船を投げつけられて、サイドミラーが大破しました。
売る予定だった車に、無駄な修理費という出費が増えました。
事故らずサイドミラーだけで良かったと自己解釈するのが精一杯な辛い出来事も最後の最後に。。。

まさか折れるとは思わなかった最後の最後にくらった現地若者からの餞別。。。

そんな予想外なことばかり起きてました。

ここが一番僕の好きな場所になりました。
きっと聞かれることはないけれど、ここが私のアナザースカイと言いましょう。
(この丘の上へ登ってよく悟って願っていましたw)

今振り返ってもお腹いっぱいに詰め込んだ期間だったなと思えます。

現地でお世話してくれた方々や、日本でSNSを通じて暖かく見守ってくれた方々のおかげであるのは間違いないです。

もちろん、嫌なこと言われたり、出会う人もいました。妬まれたりもしました。知り合いでもない人に。。。
けど、それも人生だし、勉強だと思って反面教師として生きていけば良いこと。って流せたのも年齢あってこそだと思っています。

パン職人になれた。おまけとして考えていたサーフィンも覚えることが結果的に果たせた。

どれもこれも結果的にです。

本来楽しむはずのワーキングホリデーVISAなのに、ほぼ心労という。。。

どれもこれも自分の軽率な考えと無茶無理無謀な行動が起こした結果だと反省もしています。
周りにも迷惑をかけた気もしています。

浅はかな考えの行動力だけの自分を支えてくれたり、見守ってくれた現地の方々には本当に頭が上がりません。

その方々が望んでいようがいまいが、自分として恩返しの気持ちがあって、サワードウブレッドの専門店を開く。という新しい自分の目標が生まています。

全てを背負ってというと話が大きすぎますが、オーストラリアの出来事あっこそ、自分だけのキャリアでお店が開けると思っています。良き経験ができたことを満足しています。

ミートパイから、サワードウブレッドへ。
人生色々ってほんと心から思えます。

大事なことは、
異国の地でもどの国での生活であっても、
健康第一、安心安全が一番。

それが皆さんへのアドバイスと自分の教訓です。


28歳という年齢でワーキングホリデーで滞在することについて

当時は「ギリホリ」とも呼ばれていました。今もかな?
“おじさん、おばちゃん”の、ワーホリ滞在で区分されてました。

僕は決して、「ギリホリ」が悪いことでも、遅いこととも思っていません。
28歳ならでは。のオーストラリア滞在の楽しみ方はたくさんあります。

自分がいろんなことが起きても行動を止めず、右往左往しながらもパン職人になるという意思だけで猛進できたのは、28歳という年齢で挑戦したことにも助けられとは強く感じています。

ぜひ皆さんもワーキングホリデーVISAで楽しんで、いろんなことを異国の地で感じてみてほしいです。

最後に、

環境に身を置くことはすごい大切だと実感しました。
英語も技術も環境が変わって急激に伸びたと実感しました。
どうにかしなきゃと思う気持ちは自分を一気に成長させる起爆剤になるんだなと思いました。

カフェベーカリーでは最初何言ってるか全く聞き取れませんでした。
必死で頑張れば、次第に聴こえてきました。悪口と愚痴がw でもそれもわかったからこそ、わかったことです。

なので、悩んでる前に飛び込んだ方が良いなと思います。
準備がしっかりできてなければ飛び込むことに時間がかかるのも痛感しているので、準備のために準備も怠らずにしておきべきです。

そして飛び込めた時に、スポンジのように吸収できる自分の心と体の体制を整えておくことが大切だと思います。

最後の最後に、
何があっても、できる限りの努力と、掴んだチャンス、舞い降りてきたチャンスを無駄にしないで、一生懸命誠意を持って生活していれば、神さまも友達もきっと裏切らないかなとは思います。

結局精神論か。というオチになりますが、精神論かもしれません。準備は絶対に必要という前提で!

ワーキングホリデーを振り返っているのか、悟っているのかわからない記事になりました。

いずれにしても、この後、日本へ帰ります。


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