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日本帰国。選んだ職場はパン屋でなくワイン屋さん。その理由は、

オーストラリアでパン職人になれて、目的は達成しました。

が、単刀直入に申すと、

帰国後のことは全く何も考えておりませんでした。
たまたま、ワイン屋さんにご縁いただきました。

帰国後の私の思考回路

について、まず書いていこうと思います。

脱サラしてオーストラリア入国当初、
オーストラリアでの生活がどうなってるかもわかんないし、帰国してから考えよう。
と思っていました。

そして予想通り、オーストラリアではホントどうなっていくんだろうか自分の人生は。ってくらい日々状況は変わっていきました。
そして、パン職人になる縁を掴み、VISAの期限ギリギリまで働いて、滞在し続けるのか、それとも帰国するのかを悩んで、結果、オーストラリアを離れることにしたので、帰国後のことは全く考える時間はなく、帰国しました。

オーストラリアでやり切った感で帰国してしまってたのも事実です。
若干、燃え尽き症候群だったかもしれません。

日本へ帰国してさぁ、新しい人生を!!というウキウキした気分ではなかったことを覚えています。疲れてもいました。

なので、
サラリーマンに復帰するぞ!とも、
日本のパン屋でパン職人として働くぞ!とも、
何も考えられていなかったです。

一つだけ、

パン職人の扉を開いてくれたお店から分けてもらった酵母でサワードウブレッドを焼かなきゃ。

ということだけは考えていました。
生真面目な性格と使命感と恩返しの気持ちを背負って酵母を育て続けるいう呪縛wと魅力に良くも悪くも縛られています。

じゃあ、お店でもひらけばよいじゃん!
と思うかもしれませんが、
自分はどこにでもいるような一般的なサラリーマン家庭で育った人間です。

オーストラリアでは魔法かかった気分というか、誰の目も気にしない。という、自分で羞恥心やら劣等感などとっぱらって、やりたいことを自由に無茶無理無謀な判断をも気にせず邁進しましたが、帰国すれば性格も元通り。リスク回避優先思考です。

土地もない。開業する金もない。同世代は皆んな働くサラリーマン。無職は自分だけ。日本でパンを焼いたことはない。

自分の立場があまりにも世間的にも現実として厳しく感じました。

サワードウブレッドを焼きたい続けたいのに、開業する資金もないし、土地もないし、どうすれば良いかわからない。

ならば、

ひとまず働かなきゃ。

と考え始めます。

普通なら、
どこかのパン屋で働くか!と思うはずです。

が、またここで冷静にビビリの自分の頭に

・日本でパン職人経験はない。
・人の目を気にする性格だからオーストラリアへ行ってまで、パン職人になることへ挑戦した。なのに今更働くのか。
・若い世代と混ざって働く気力はあるのか。
・低賃金で朝早い
・日本のパンを一からまた学ぶのか。というか学ばせてもらえるのか。

不安と心のハードルにぶちあたります。
この列挙はオーストラリアへ旅立ち、異国の地でパン職人を目指す選択をした28歳当時と同じ見解であるとも気づきました。

さらに当時、サワードウブレッドを日本で焼くパン屋さんは全国でも数店舗で、ましてわざわざ”サワードウブレッド”なんて誇張しているお店も少なかったと思います。
そんなパンを作りたい!作ってました!と言う、日本パンキャリアのない30歳を雇う側はどう思うのだろうか、、、

そして、お金はないし、土地もない。。。

そんな心配性で人の目線を気にするリスクヘッジをしたがる自分。

結果、
パン屋さんで働かずも安定した収入を確保した上でパンを焼き続けられる職場を探してみよう。
と考えます。

そんな時、

友人の家業であったワイン屋さんからお誘い

を受けました。輸入卸が主業務のワイン会社さんでした。

「事務所兼店舗として構えているんだけど、スタッフ辞めちゃうからよかったら、配達しながら店番しない?」
「あ、それとね、(勤めた年の)年末に事務所移転して、店舗だけにするからぜひそこでパンを焼いて一緒にワインも売ってくれないか。」

会社員として働きながら、パンを焼ける可能性のある職場。まさに自分が望んでいた環境が期待できるお誘いでした。

自分は断る理由もなく、ワイン屋さんにお世話になることを決めました。
脱サラして、パン職人になれたオーストラリアでの生活をした後、再びサラリーマンとして働き始めました。

パンとワインなんて素敵でワクワクするじゃないか!!!心は躍りました。

そして、久しぶりの日本職場復帰となるワイン屋さんで、ワインの配達をしながら、店番をする生活からスタートします。
移転後の楽しみな夢のような生活と期待は膨らませながら。

といった、消去法のような、妥当な自分の許容の範囲内というか、想像できる未来を考えた結果、出会えたのがワイン屋さんでした。

ただ、会社は会社です。方針は突然変わります。雇われの身ももちろん、会社の方針に従わざる負えません。

結局、このワイン屋さんでは

パンを焼くことができませんでした。

人生色々というか、素直に自分の思うことにまっすぐに向き合って生きていかないとうまくいかないのかなって思えることばかりです。

お店自体は移転はしたんですけど、パンを焼く話はなくなってました。
それは本業ワイン屋さんなので、仕方ないことですよね。

パンを焼きたいなら、別で焼いて持ってきて。と言われてしまい、別ってどこ、、、。お金もないですけど。。。ってなってしまいました。

パン屋を開くためにはどうすれば良いかを考えて、その時の打算とリスクを回避して選んだ仕事先。

パンを焼くにはどうしたら良いのか、、、どうするべきかと悩みを抱えた生活が始まりました。

そして、仕事を変えることを決意します。


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