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スタンスが「愛」の人間になりてえ
最近友人と、人から言われて嫌だと思った言葉について話していた。そんな言葉はたくさん並べられるけど、でも行き着いた結論は「その発言に愛があるかどうか」だった。
同じようなことでも、発する相手のスタンスや言葉の裏にチラつく感情でこちら側の受け取り方は変わってくる。
そして、良くも悪くも、それが積み重なっていくことで、その人との関係性が形作られていく。
では、人を「愛する」態度ってなんだろう。
現時点での私の仮説は
・相手のことを知ろうとする前のめりな姿勢
・相手のスタンスを否定しない
この2つを継続して示し続けることだと思う。
ある言葉によって相手を傷つける可能性はいつだって大いにある。自分の言葉の解釈と相手のそれは全く異なるからだ。
その前提の元、相手の言語解釈について知ろうとすることで歩み寄る。それを繰り返していく中で言葉の認識が擦りあっていくのではないだろうか。
また、どんな時も相手のスタンスを否定してはならない。それは相手の存在を否定しているという誤解を与えかねない。理解できないことを否定するのではなく、ここでも歩み寄ることが必要だと思う。
ところで、私はクリスチャンで教会で育ってきたのだが、小さな頃からずっと歌ってきた歌がある。
「君は愛されるために生まれた」
ただ意味も考えず幼い頃から口ずさんできた歌だったけど、この曲が私の血となり肉となっている。
君は愛されるために生まれた
君の生涯は愛で満ちている
ここで呼ばれている「君」を自分のことだと感じられる人がどれくらいいるんだろう。
これを感じられるようになるのは多分、愛されているな、と感じる瞬間の数が必要なのだと思う。
「愛されてる感」を持っている人が増えたらいろんなことはもう少し柔らかくなるんじゃないかと思っている。
最大限私ができることは、目の前の人を愛し続けることなんだろうな。むずかしいけどね。
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