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気に食わない自分の話。 2024/04/18

・ジャンプ+の読み切り『気に食わない女の話。』を読んだ。友人から認知症についての話題が出たときに薦められた作品。介護施設でおばあちゃんの優しい思いが綴られる漫画だ。

・これは時系列が特殊な例だったが、「認知症を使ったミステリやトリック」は面白いアイデアになるかもしれない、と友人が教えてくれた。叙述トリックとしては弱いが、介護施設での謎解きというのも見たことのない舞台設定だな。

・かくいう私の祖母も最近、八十代後半を迎えて重度の認知症の症状が見られる。数年前までは記憶力も健在であったし、体力や足腰などは今も健在だ。しかし、人の顔と名前が思い出せず、時折悲しげな困ったような表情を見せるのが辛い。

・認知症をテーマにすると、やはり感情に訴えかける表現が活きる。氏よりも悲しいことの一つは、存在を忘れ去ることだからだ。
 


・友人との雑談の中で「毎日文章を書き続ける必要はないのでは?」と問われ、少し思案した。私も友人も、小説を書く人間だ。しかしその性格は違う。彼は気の向いたときに自由に執筆を始めるのを好むが、私は創作に計画性を持たせることでより良いものが生まれると思っている。

・ところで、私は食生活が破滅的と言えるほどに乱れている。朝食を抜いたり、暴飲暴食をしたりを繰り返している。対して件の友人は、食材を揃えて自炊を日々行い、会社へは残り物を駆使した弁当を持参しているという。彼はそれを苦に思ってもいない。

・料理と執筆は似ている。創造の過程であると同時に、他者あるいは自分への提供を前提としている。彼と私の場合、生活習慣にするべき部分の優先順位が反転しているようだ。「三度の飯より本が好き」というのは、誇張でなく私のアイデンティティの一部であるので、致し方ない。

・毎日書けるようになりたい。なぜなら、それは「一生続けられるようになりたい」と同義だからだ。人生の形をイメージすると、やはり老いてもクリエイティブな自分でありたいから。それには、記憶が擦り減っても打鍵する指が覚えているくらいに、毎日の文章練習が不可欠であると確信している。
 


 
・「でも昨日は日記をサボったよな? 貴様は嘘吐きだ」と、心の中で声がする。

・私の中の私は、私を嫌っている。

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