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小澤征爾さん逝去の報に、とても大きな喪失感に襲われ、思い出があふれてきています

指揮者の小澤征爾さんが2月6日に亡くなったとの報道がありました。会社でそのことを同僚に教えられ、慌ててスマホに目をやると、すでに多くの方から、メッセージをいただいていました。あちこちで、私の小澤征爾追っかけということを臆面もなく話をし、もしかしたら奇異に思っていたのかもしれませんが、こういう時には優しい心遣いとしてメッセージが集まってきていることに、不思議な気持ちです。
中学生になったころ、サイトウキネンオーケストラの欧州公演に関するドキュメンタリーを見て指揮者小澤征爾という存在を知り、どういうきっかけかは全くわかりませんが、その人間に強く惹かれ、それ以来熱烈なファンとして、情報を追いかけ、CD、グッズを買い、聖地を巡り、そしてコンサートに通い、小澤さんが大病をされてからは、国内外を問わずすべてのコンサートに足を運ぶことにして、小澤さんと同じ時間、空間を共有することに、大きな喜びを感じてきました。
コロナの前から体力に衰えが見えてきたことは気づいており、いつかはこういうことがあるのだろうと、心の奥底では感じていても、絶対に口にしてはならない禁忌として、封じてきました。
それがとうとう現実のものになってしまい、とても大きな喪失感に襲われていて、どうしていいかわからない状態です。
もちろん個人的なお付き合いがあったわけではなく、音楽家とファンというものではありましたが、それでも少しばかりの直接のやり取りや、その後歴史的名演と呼ばれるようになるコンサートの数々、そしてコンサートのための旅そのものなどいろいろな思い出があり、それがランダムに思い出されてきます。
少し整理が出来たら、その思い出を自分の中で消え去らないように、ここに書いてみたいと思います。

どんな記事でも見逃さず、サプライズなコンサート情報でも逃さず、そしてもしかしたらというときにも情報を得られるように、長年「征爾」というキーワードで、情報のアラート機能を使ってメールが届くようにしていました。今日はそんなアラートメールがたくさん届いています。そのことが「その日」が来てしまったことなんだなと、不思議と冷静に感じています。

初めて小澤征爾さんに会うことができた日。1995年1月23日 サントリーホールの楽屋口にて

近しい親戚をなくしたということとも全く違うこの感情、なんとも表現できませんが、家族に「小澤征爾が一番好きだよね」と言われるほど、これほどまでに人にあこがれて、夢中になって、追いかけることはこれ以上ないだろうと思い返すと、やはり思い浮かぶのは感謝しかありません。
音楽史上に残る素晴らしい場面にも立ち会えましたし、コンサートのおかげで世界の名だたるホールにも行くことができ、その町を旅することもできました。本当にありがとうございます。ご冥福をお祈り申し上げます。

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