見出し画像

ボードゲームの余白の話

※この記事は,Board Game Design Advent Calendar 2023の12月21日の記事として書かれました.

はじめに

今回のキーワードは「余白」です.

ゲームに対して窮屈さ(悩ましいゲームをしているときの”キツい”とは違います)を感じることはありませんか.私はそこからくる反発心が「余白」を求める源泉になっていると分析しています.同じ言葉を使ってないにせよ,そういうことってありますよね.きっと.

そんな感じで何かの折に漠然と「余白」を求めていたわけですが,その実態はなんなのか.そろそろアウトプットしてみようかと思い,記事を書き始めた次第です.はてさて.

結論

ゲームをデザインするとき,どこまでをルールやコンポーネントによって提示し,どこからをプレイヤーに委ねるか,特に後者の中にある「あえて表現しない」といったデザイナーの余裕のようなものが「余白」ということになりそうです.これ以上のことはまとまっていません.

前提

まずは,本稿での前提を整理します.

  • ゲームはプレイヤーがいて完成する

  • デザインはゲーム体験の創出を目指す

  • プレイヤーは状況に応じて思考し行動する

ゲームはプレイヤーがいて完成する

デザイナーによって作られたゲーム本体がプレイヤーによって遊ばれることで初めてゲーム体験というものが生まれます.

『プレイヤー』を動かす装置が『ゲーム』であり,そうして生み出されるのが『ゲーム体験』です.とはいえ,ゲームをする主体はあくまでプレイヤーなので,『プレイヤー』が『ゲーム』という装置のうえで思考・行動することで,『ゲーム体験』ができあがっていくという見方が普通です.

デザインはゲーム体験の創出を目指す

改めてデザインの視点で整理するなら,その『ゲーム』が目標とする『ゲーム体験』を生み出すように,『プレイヤー』の思考・行動を誘導することが『デザイン』の役割となります.

プレイヤーは状況に応じて思考し行動する

至極当たり前のことですが,ゲームと対面しているプレイヤーはそのとき自分がおかれている状況を把握して,様々な思考を経て決断し,行動しています.これについての詳細な論は昨年のアドベントカレンダー記事(プレイヤーの行動はどこからくるの?)を参照のこと.

アナログゲームの良さの一つは,隠されている状況(プレイヤーが知り得ない情報)がほとんどなく,全てを知っている(手札や山札などの内容はわからずとも,どんな内訳になっている可能性があるかは既知である)という前提で,ある時点での状況を評価することができる点です.わからないのは他プレイヤーの考えていることと,神のみぞ知るランダムの結果だけであり,そこが一番の楽しみどころでもあります.異論は認めます.

そのため,行動の結果については,自身の判断だけによらないことにも注意が必要です.それから,結果として起こった事象に直面してどう思うかはプレイヤーごとの主観に依存するという点も忘れてはいけません.これについてよく整理された記事(【ゲーム考え事】ゲームのデザインとプレイの距離――あるいは、なぜ、あなたの感想が必要なのか――)もぜひ参照してください.”主観的ゲーム”は同じ人物が同じ事象に直面しても,完全に再現し得ないという点は面白いです.

ゲームデザインの難しさ

状況,思考,行動の中で,ゲーム本体が直接的にコントロールすることできるのは状況の部分です.デザイナーは,プレイヤーの思考や行動を間接的にコントロールする必要があります.

これが非常に難しいということは言うまでもありません.難しいといってもやるしかありません.そのゲームが目指すゲーム体験を生み出すように,いかにプレイヤーの思考・行動を誘導するか,知恵を絞らねばなりません.

ゲームデザインと余白

目標とするゲーム体験があれども,プレイヤーは様々なので,それが達成されない場合があります.そのような事態を避けるため,誘導の強さを大きくすることが考えられます.

しかしながら誘導を強くし過ぎると特定の体験ができる装置が出来上がります.ゲームが他のコンテンツと違ってゲームたる条件に,プレイヤーの自由度があります.ゲーム体験というからには,プレイヤーの意思や趣味嗜好が十分に介在できる余地がゲームには必要です.

ただし,単に「余地」を残すだけではそれが可能であることを許すに留まります.ここにもある程度の誘導が必要になってくると考えます.どの程度の誘導が必要かは一概にはいえませんが,少なくとも明に誘導することを避け,暗に誘導することが出来れば,プレイヤーへの心証は悪くなくなりにくいだろうというのが私の考えです.そしてその考え方/方法論こそが「余白」なのではないかということです.

この考えのもと,デザインの際に意識するべきことは単純です.

  • 行動を誘導しすぎない

  • 思考を誘導しすぎない

  • (そもそも目指しているゲーム体験を見直す)

一方でそれらを実現するのは簡単ではありません.

すごく感覚的な話では,プレイヤーに委ねる部分を思っているよりも多めにとることだと思います.結果として,目指しているゲーム体験から少し外れる思考や行動を許容することになると思いますが,プレイヤーに余裕を感じさせる(窮屈を感じさせない)のに丁度良い塩梅はそれくらいがなのではないかと思います.

「余白」のデザインのおおまかな手順を考えてみると,まず一度強く誘導するものを作り,目標のゲーム体験が出来ることが確認出来てから,誘導を少しずつ解いていくような流れが考えられます.

思考の誘導,行動の誘導にはそれぞれ異なる方法がいくつもあると思います.同じように思考に対する余白と行動に対する余白はそれぞれ検討することができると思います.『プレイヤーの行動はどこからくるの?』では,行動の要因を3つのレベルに分類しました(本当は少なくとも4つのレベルを考えています).行動はもちろん思考を伴っているので,各レベルの行動および思考をそれぞれ誘導する方法があると仮定すれば,少なくとも8つのバリエーションがあるはずです.

以上のことを具体的に整理していくことで,ようやく読んでいる人にとって有益な情報になってきそうですが,今回はここまでとします.

おわりに

今回は,日頃なんとなく意識していた「余白」という考え方について書いてみて,世間一般にはどれだけ受け入れられる観点なのかを投げかけたいと思いましたが,思った以上にまとまりませんでした...

本記事をみて「余白」について少しでも共感していただけたなら大変嬉しいです.

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?