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プレイヤーの行動はどこからくるの?

※この記事は,Board Game Design Advent Calendar 2022の12月23日の記事として書かれました.

はじめに

ゲームデザインっていろいろなことを考えなきゃいけないと思います.今回アドベントカレンダー用の記事の内容を検討したときに,自分が意識しているいくつかの軸について書ければと考えました.いくつか挙がげてみた観点についてどれも掘り下げたいと思いましたが,バラバラに書こうとすると前提となる考え方が様々なレベルにあることが判ったため,まずはそれらを俯瞰的にまとめてみることにしました.

具体的には,プレイヤーの行動がどういうものによって形成されているのかという視点から私の考え方を整理します.

うまくいくときといかないときがあればよい

まず,ゲームプレイの最小構成は,うまくいくときといかないときがあることだと思っています.勝ったり負けたりするというのが一番わかりやすい例です.これを満たすにはゲームの中に,勝敗や勝利点のような明な報酬や,目標たりうる状態や行動といった暗な報酬が必要です.

例えば,いわゆるパズルゲームでは,解法を検討し,試してみた結果,解けたり解けなかったりすることがあり,いわゆるアクションゲームは,タイミングやバランスに気を付けて試してみた結果,成功したり失敗したりすることがあります.これがゲームをプレイするということです.どちらも,プレイヤーが自身で考えたことや行ったことに対して,成功や失敗という形でフィードバックを得るという構図になっています.

さて,複数人で遊ぶゲームで勝敗を競うことを考えると,パズルやアクション的なゲームでは,プレイヤー間の能力が近ければ競うことができる一方で,能力に差があると,勝ったり負けたりということが起こりにくいという問題が生じます.

この問題に対して,プレイヤーの能力によらず,ゲーム結果を自明でなくする要因として,「ランダム性」があります.また,プレイヤー間でのなんらかのやりとりによって優劣関係を調整させる要因として,「インタラクション性」があります.私はこの2つの要素について,どちらもゲームに「ゆらぎ」を引き起こすものとして位置付けています.ゆらぎにはゲームに飽きさせないための側面がありますが,意思決定に影響を与える点が特に重要です.つまり,自分の選択が“うまくいくかもしれないしうまくいかないかもしれない”という状況を生み出すことができる点が重要ということです.

私はさらに,これらのゆらぎの中でうまくいくために工夫できる側面を「戦略性」と呼んでいます.一般的には,勝率の最大化を目指して戦略を立てるプレイヤーのことを「合理的」なプレイヤーと呼びます.アブストラクトボードゲーマーやデジタルボードゲーマーにはここまでの要素を楽しんでいる向きが多いのではないかと思います.

ボードゲームで選択するのは行為である

ランダム性やインタラクション性,それに基づく戦略性はそれぞれ理論的に存在しうるものですが,ゲームに実装するにはなんらかの「インターフェース」を伴います.インターフェースにもいろいろな括りがありますが,ここでは装置,アートワーク,テーマなど,外観として現実に表現されるあらゆるものを想定します.インターフェースの役割は,ゲームを操作するためという根本的なものから,状況把握をしやすくしたり,選択肢や状況変化に納得しやすくしたりするためものまで多岐に渡ります.

それらのインターフェースは,手触り感や,動作を引き起こし,プレイヤーの感情や行動にまで影響を与えます.これによって,合理的な判断に基づいた選択だけではなく,具体的に何がしたいのかという根拠に基づいた選択をする方向にバイアスがかかります.平たく言えば,単なるルールが,装置,アートワーク,テーマなどを介して表現されることによって,プレイヤーに「楽しさ」や「わかりやすさ」などを求めるという「意思」をもった選択を生じさせやすくなるということです.加えて,ボードゲームでは単に選択するだけでは終わらず,なんらかの行動をおこす必要があります.このような,意思をもった行動のことを一般的には「行為」と呼びます.

楽しさやわかりやすさという新しい軸は,本質的にプレイヤーを合理的な戦略から遠ざけます.翻って,”良いゲーム”は,インターフェースによってむしろ合理的な戦略を引き出すデザインが施されているゲームであるといえるかもしれません.私個人としては,一見よくなさそうな選択が実は強い,といったようなデザインも好みです.ただし,楽しいと感じる選択が実際は弱い,というのはダメだと思います.楽しい選択が強いのが一番です.

すべてのボードゲームは協力ゲーム

見出しのようなことを言っている人をあまり見かけたことがないため,ここからはかなり偏見が入る可能性があります.

合理的な選択に重きを置くのが,いわゆるガチ勢の方たちです.では,楽しさを求める選択に重きを置くのが,いわゆるエンジョイ勢の方たちということになるでしょうか?答えはNoです.少なくともこれまでに説明した「楽しさ」に偏重するのは単なる自分勝手な人です.ここで,ボードゲームは多人数で楽しむための道具であるという基本に立ち返ります.ゲームを開始してから終わるまでのことは「セッション」という言葉で表現されます.個人の楽しさを追求するあまり,他のプレイヤーの戦略や楽しさを阻害したりすることはセッションの崩壊を招きます.それでは,セッションの成功が達成されるにはなにが必要になるでしょうか.

まず,ゲームデザインとして出来ることは,前述したように,あくまで行為を選択しているプレイヤーが合理的に選択するプレイヤーと同じように振る舞えるようにすることが理想的です.同じ振る舞いとまではいかずとも,同じ土俵で競えるか,同卓したプレイヤー全員が楽しめるデザインにすることでも十分です.違った視点として,プレイヤーが取りうるあらゆる選択に対して破たんが生じないことなども挙げられます.ルールをシンプルにすることやインターフェースの工夫で「わかりやすく」することがベターとされるのは,この辺りへの影響が大きいからといえます.ゲームをわかりやすくすることは,ルールの誤読などを防ぐことにもなります.その上で,デザイン外のこととして,ルールブックを読みやすくするやサマリーを提供することはもちろん有効です.

セッションを成功に導くのは,ゲームデザインだけではありません.それが,プレイヤーのゲームプレイへの態度や心持ちです.誤解を恐れずいえば,全てのボードゲームはセッションの成功を目指す協力ゲームである,という向き合い方が大切であり,それがセッションの成功のための最大の要因でもあると考えます.大抵のゲームは楽しもうと思えば楽しめるということです.ハウスルールの導入などはそのための方法の一つです.

ただし,デザイナーはこれに甘えてはならず,最善は尽くすべきでしょう.一方で,そこばかり気にしすぎて,味も歯ごたえもない流動食のようなゲームや,ガードレールがっちがちのゲームというのもいかがなものでしょうか.ある程度はプレイヤーがゲームを楽しむ力を信じて,そのぶん自分の味覚を信じてデザインすることが,真に良いゲームを新しく生み出すやり方なんじゃないかと思います.

おわりに

各トピックについてはもう少し端折らずに,もっと論理的に,具体例を挙げたりすることが必要かと思うのですが,またの機会にしたいと思います.実は,ゲームプレイに関する考え方でもう一段階広げたものについても書く予定でしたが,公開予定日が過ぎそうなのでここまでとします.

本記事では,ゲーム中にプレイヤーが取る行動と一言で言っても,

  • 合理的な戦略に基づいた選択

  • 感情や手触りに触発された行為

  • セッションの成功のための協力的な振る舞い

など,様々な要因が発端とされているという内容を整理したつもりです.とても読みにくい文章だったかと思いますが,ゲームデザインの参考になれば幸いです.私はといえば,頭の中でぼんやりとしていたことがひとまず言語化できたことが非常に良かったと思います.あと,書いてて耳が痛い部分もありましたね.


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