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聴いていると思わず録音について考えてしまうアルバム「Atsushi Ikeda Solo Live "SPIRAL" at 岡本太郎記念館」 録音記

希代のサックスプレイヤー池田篤さんのソロライブアルバムがリリースされました。光栄なことにレコーディング、ミキシング、マスタリングをさせていただいています。この作品について、録音した人間の観点から少し紹介させて頂ければと思います。

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蘇る記憶

この作品はCDとハイレゾ音源でのリリースで、2020年の11月も半ば、手元にサンプル盤が届きました。録音したのは思い返せばまだ春は遠い2月の1日。コロナウイルスの影響で例年より長く感じられた春、夏、そして秋を越えた今となってはとても昔のような気がします。

作品を手掛けた人間は、自宅のプレーヤーで再生できるまでは落ち着かないもので。早く落ち着きたい気持ちから早々に届いたサンプル盤のシュリンクを開け、CDをプレーヤーのトレーに載せました。

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再生すると、彼方にあった記憶が鮮やかに蘇ります。

サックスのソロライブを録音と最初に聞いたとき、ソロと言っても何かリズム楽器があるんだろうと思っていましたが、否。本当にサックスだけだったのです。

どうやって録音するか、思考を巡らせて機材を用意したものの、音を聞かないと決断はできず。どういうライブになるのか想像もつかず、ずっと考えていたのを思い出します。

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ライナーノーツは本作のレーベルDays of Delightのプロデューサー・ファウンダーである平野氏によるもの。これがまたとてもグッと来る内容で、ライナーノーツを見ながら聴く池田さんの音色は次々と記憶を呼び覚ますのです。

そこに人はいる

当日の録音は悩んだ末に筐体の小さく黒いAKG C480Bをサックスに、会場最前列左右各1本と会場最後方にステレオでAKG C214を設置しました。ソプラノサックスもあるとのことでC480Bは2本、異なる高さに。マイクはこれだけです。

マイクを林のように立てるのも嫌いではないのですが、マイクは増えれば増えるほど混ぜたときに濁ることも多く、最近はマイクの本数は少なくなるか、立てているけど使わないことが多くなりました。

特に今回はスタジオレコーディングでなく、ライブ。どんなにいい音で録れるとしても、ライブ録音は観客の皆さんのモチベーションを邪魔するものであってはいけないと思っています。

ステージにいおいては楽器もステージを演出するもののひとつで、故にミュージシャンの皆さんは楽器を綺麗に磨いて光らせる訳です。それが見えなくなるようなマイクは立てたくないと思っていますので、いい音で録音でき、かつ、観客の皆さんのモチベーション、つまり視界を邪魔しないというのをコンセプトに考えています。

視界を邪魔せず、かつ、欲しい音で録れる場所。この相反する条件を満たす場所を探してマイクを置きました。スタジオではないのでヘッドホンでモニターしながら、経験上の予測を加味しながらマイクを位置を決めていきました。

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マイクの場所は「結果」。
ですので、写真で見たら変な場所でも、試行錯誤した結果がその場所なのでしょう。他の人のマイキングの写真を見る時はそんなことを思っています。

話を戻して、そんなコンセプトなので、サックス単体だけで聞けばもっといい音の音源はたくさんあるでしょう。客観的に聞けば空気感は強めで、サックスの音がセンターに大きく鎮座するような音にはなっていませんが、この場所、この時の不思議な空気と美しいサックスの音色は込められたのではないかなと思っています。

そう、どういうライブになるのか全くわからないドキドキ感は僕も、観客の皆さんも、プロデューサーの平野さんも同じだったんだなと。満席だったのに、全く音がしない、しかし人がいる。そんな人間が息を飲んで見守る空気感が聞こえる気がしました。ライナーノーツを読みながら聞いていたらそんなことを思いました。

間(はざま)の音

この作品はミキシング、マスタリングにかなり時間がかかりました。サックスと、会場の音だけです。でも、時間がかかりました。どういう音が最もこの作品に適しているのか。平野さんと何度もやり取りをして、何度も音を往復させ、たどり着いた着地点がこのCDになっています。

「単純にクリアな音」は第一印象は良いものの疲れてしまうことも多く。特にライブ音源なので最初から最後まで聞いてほしいという想いもあり、比較的落ち着いた音に仕上げてあります。ソファに座って飲み物を用意し、オーディオの音量を大きくして聞いた時にちょうどよくなるような、そんなイメージです。

先述のようにトラックが少ないので、すぐに音が大きく変わってしまいます。音を作っていると、聞こえが良いクリアな音にしたくなってしまいます。その方が安全だし、体がそういう音を好むようにできています。

しかしその気持ちを少しだけおさえ、当日の雰囲気が出るように作りました。ライブの音って、そんなにクリアではないんですよね。色々な反射音があり、音の減衰があり。かと言って踏襲しすぎると聴き応えに乏しい音になってしまいます。その中間の「間の音」を狙ってみました。

録音とは何なのか

現代においては、そのテクノロジーを駆使すればピッチやリズムの修正は容易で、それにとどまらず違う日の演奏を合成することすら難しいことではありません。ひとつの「完璧と思える作品」を作るという観点において、現代のテクノロジーは強力な武器です。

しかし一方で諸刃の剣でもあると。

もともとの演奏が形を留めなくなって良いのか。ノイズだらけの適当に録音した音のノイズがクリアになって、自分は楽しいのか。音作りをAIが全部やってくれて、これは自分の作品なんだろうか。

そんな事を自問自答しながら音を作り続け、最近思うことは、「それはそれで良い」という事。リスナー視点において良い作品であれば、それはそれでひとつの方向性だと考えています。

しかし。

録音には単純な記録という機能の他に、「時空を超える」という力があります。

その日、その場所でしか聞けないはずの音楽、感じられないはずの空気を、いつでも、どこでも感じることができる。

それが録音が持つ力だと思うのです。

この仕事をしていると「魔法使い」と呼んでもらえることがあります。その日、その場所になかった演奏、実現できなかったものを後から実現させることも魔法ですが、その日、その場所に存在した事を蘇らせるのもまた魔法だなと。

Atsushi Ikeda Solo Live at 岡本太郎記念館

この作品は、後者を体現した作品なのではないかと思います。

岡本太郎記念館のギャラリーという不思議な場所。太郎さんの芸術が手で触れられる場所に家具のように置かれたその場所は、とても不思議なエネルギーに満ちていました。そこに、池田篤さんというスーパープレイヤーが降り立ち、サックスソロライブという貴重な機会が生まれ、ここにしかなかった演奏が生まれました。

それを少しでも感じてもらえたら嬉しいなと思いますし、感じてもらえる作品にできたのではないかと思っています。

録音した音を自由自在に編集し完璧な作品が家庭環境で作れるようになった今、もうひとつの方向性である「時空を超える」という目的を強く帯びた「ライブ録音」というものの価値は、昔よりも高いものになるのではないかと思っています。

自分で録音した作品ながら、聴いているだけでそんなことを思ってしまう不思議な力を持った作品となりました。事実、多忙で半年以上更新していなかったこのnoteを書く力を与えてくれています。

CDを再生しただけで。

心を「グリップ」した演奏

最後に、演奏と音が本当に素晴らしいのです。平野さんはライナーノーツの中で「観客の心をグリップし続けた」と綴っていましたが、この言葉は言い得て妙。僕は日本語が好きなので何かグリップに代わる言葉を探したのですが、見つかりませんでした。

僕はモータースポーツやレースが大好きですが、レースにおいてタイヤがグリップするということは、タイヤが溶けることで路面との摩擦が増え、車が持つパワーを路面に伝えられる状態のことを指します。

池田さんの演奏はまさにグリップしていました。

「魅了」とも「掌握」とも違う、観客を「グリップ」した、池田さんの演奏をぜひ聴いてもらえたらと思います。

あのライブにはもう出会えないでしょう。貴重な経験をすることができ、また、それを記録し作品に昇華させることができて、とても幸せです。少しでも多くの人にあの「不思議な空間と素晴らしい演奏」を感じてもらえれば幸いです。

長文お付き合いいただきありがとうございました(^o^)

▼池田篤さんのブログ

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▼Days of Delightホームページ


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