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最近のこと 父が天国へ

ご無沙汰しています。たまにしかロング文章をかけてない最近でした。
そして、皆さんの記事もあまり読みに行けていない状況が続いていました。それでも続けてスキをつけていただいたり、読んでいただいたり、本当に感謝です💖

いろんなことで忙しくて、noteの記事をじっくり書く気持ちの余裕がなかった日々を過ごしていました。

というのもお家のまあまあ大掛かりな工事が数ヶ月間あり、工事の中で過ごしていたのですが、工事が完成する直前に実家にいる父が天国にいってしまって、実家に帰ったり、また戻ってお家の整理をして、また四十九日に実家に帰ったりしていました。

工事をする前からもいろいろと考えたり、家族とあーでもないこーでもないと調べたりしていて、父の調子が急変した時は呼び出されて実家に急に帰ったりすることが数回あったりでなかなかバタバタとしていました。

まだ片付けもありますが、少し気持ちも落ち着いたようで、少しnoteを書いてみようと思いました。

(病気や亡くなった、などの内容が含まれるので、そんな気分になれない方はそっとページを飛ばすか閉じてくださいね。)

父の調子が悪いとなんとなく元気が出ないものですね。

でも、亡くなった時は実感があまりなくて、ぼーっと放心状態になってました。

父は3年くらい前から胃瘻(お腹から栄養を管で送る)をしていたので、だんだんと寝たきり状態になり、痩せ細っていきました。脳の病気だったので、目も見えなくなり、言葉も喋れなくなり、耳だけ聞こえている状態でした。脳全体の機能も下がってくるのか、ボーッとしている時も増えてきていましたが、自分が帰った時はわかってくれ、喜んでくれていました。

私はここ最近、自分の心の浄化というか、自分の中の影の部分と向き合ったりしていたんですが、ネガティブな気持ちになるのは両親との関係が影響している部分もあるな、とわかった時があり、感謝していて愛しているにも関わらず、当時の怒りの感情が湧き出てくることがあり、微妙な気持ちになっていたこともありました。noteにも記事にしていたことがあります。父が病気の間、実家に帰って父と何度も向き合えたことでそれも自分の中での結論というか、落としどころが見つかった気がしています。
自分が思っているより、とても愛されていたんだと気づけました。

深掘りしている内容というか、当時の傷というか、それについて少し詳しく言うと、
四十九日の前の日にお参りをして、その後母と話している時なんですが、ふと私は「高校生の時に父に影で『あいつはダメだ』と言われたことがとても辛かったみたいで、ずっと引きずってるみたいで、何をするにも自分は結局ダメなんだろうなって思ってしまう、と今頃気づいたんだ。」と母に告白したんです。
母は「お父さんに直接言えば良かったのに。ダメとかそんなことは本当は思ってなかったと思うんだけど・・・。お父さんはたまにそういう訳のわからない人が傷つくことを言ってしまう癖があったのよね。何も考えずに言ってるんだけど、そこは欠点だったかもね。子供に対してそういうことを言ってしまったのは子供の人生にとって良くなかったよね。」と言ってくれました。直接言っても良かったんですが、病気の父にとって流石にハードかもしれないと思ったので、言えずじまいでした。でも母とお墓に入る前の父に聞いてもらえて心が軽くなった気がしました。父もそんなこと言ったっけな?ごめんなって言ってくれた気がしました。
(父の名誉のために書くと父は普段はとても陽気で気さくな人でした。面白くて雑学博士で、盛り上げ役でした。基本的にみんなに好かれる人でした。病気中も言葉が喋れないのにヘルパーさんからはうちに来たいと人気だったようです。教育になるととても厳しかったです。失言は本当にたまになんです。)

父について考えてみると、父の母の祖母からスパルタで育てられて、いろいろと辛い思いをしていたようです。なので、当時はそこがまだ癒されていなかったのかもしれません。すごく勉強もできて何でもできるのに劣等感の塊だったようでした。(勉強は上位だったのに大学へはいかず、おうちの家計のことも気にして自ら進学コースではない高校へ行くことに決めたそうです。)

母は私に「お父さんはあなたが1番可愛かったんじゃないかな、初めての子供だから、小さい頃のまんまのイメージが消えなくてとても可愛がっていたと思うよ。」と言っていました。
両親はなるべく三人兄弟均等に愛情を注いでくれていましたが、私は三人兄弟の長女なので、お姉ちゃんなんだから!とより厳しめに育てられていました。でもいつも父が力になってくれていたのはよくわかっているつもりでした。小さい頃は勉強が少しできていたので、期待されていたみたいでした。でも父がなってほしいような子供にはなっていませんでした笑。期待の子供像もよくわかってなかったんですが笑、とびきり高学歴になってほしかったみたいでした。私は高校の時、自分が何をしたいかわからなくなり、見つけたことも反対されたりして、勉強へのモチベも下がってしまい、とびきりではなく、レベルはごく普通の大学に行くことなりました笑。行かせてもらえたことにとても感謝しています。(仕事では父の周りが東大などの高学歴の人ばかりみたいでした。自分だけが高卒なので、苦労や悔しい思いをしていたようで、子供にはそんな苦労をかけたくないというのもあったようです。当時は高学歴=幸せみたいな風潮もありました。)

最近自分を深掘りしているうちに、父との関係のネガティブなところにフォーカスする時間が多くなっていました。(それは自分の心とじっくり向き合う重要な時間ではありました。)実際はとてもポジティブで深い愛情をかけてくれていたのでした。感じていたことではありましたが、父が病気で寝たきり、なかなか言葉を出せない状態になり、お見舞いという形で父とゆっくり向き合う時間が増えたことで、逆に愛の溢れる父であることをより実感し、自分もより父への感謝と愛情が溢れました。

火葬場でお骨になる直前もぐっと寂しくなりましたが、お墓に入る前にすごく実感が湧き、とても寂しくなりました。

父の病気は医師の先生から「いつか急に息が止まる病気です」と聞いていました。それはいつになるんだろうとみんな覚悟はしていたのですが、やはりさっきまで何もなさそうに寝ていたのに、急に天国に行っていたそうです。いつも自宅に来てくれている先生が急遽来てくれ、全然苦しんでなかったよ、と言ってくれたそうです。亡くなった時の顔は本当にいつもの眠っている時の父の表情で、まだただ眠っているだけのようでした。

父は病気になった時、10年くらいの命と言われましたが、踏ん張ってくれてその後20年近く生きてくれました。阪神タイガースのファンで、昨年18年ぶりに優勝した時に、前回の優勝の頃に病気がわかったんだったね、と言っていました。
母はその間ずっととても大変な介護してくれていました。2人の絆の深さがよくわかりました。
お家に通ってくださる看護師さんやヘルパーさんもとても丁寧に接してくださり、たくさんの人に囲まれて毎日笑って楽しく過ごしていました。
病気で本当に苦しい時、不幸なのかも?と感じてしまうことはあったかもしれません。みんなの苦しみを家代表で背負ってくれたのかもしれないなぁと思います。

でもきっととても幸せな時間も多く過ごしていたと思います。

仕事とお酒とカラオケが大好きで、ワイワイ集まるのが好きなお父さん。みんなを優しくさりげなく気遣ってくれるお父さん。

ワンマンで頑固な面もありましたが、子供のことを大切に思い、自分の趣味は最小限にして、仕事に打ち込んでくれていました。

全体的にはみんなと盛り上がって幸せな人生だったんじゃないかな、と母とも話していました。

🌈🌈🌈

お父さん本当にどうもありがとうございました😊
とっても感謝しています❣️
お父さん大好き❣️
体は無くなっても魂は無くならないと思っているから、また天国から見ていてね!これからもよろしくね!

🌈🌈🌈

はじめは短めに書くつもりでしたが、長くなりました。
ここまで読んでくださってありがとうございます😊

父がいつも天国から見てくれていると思うし、心の中にいつもいてくれてると思うので、私もしょんぼりな顔ばかりしていたら、父も心配してしまうと思いました。

また元気を出してはじめていきたいと思いました。

何か新しいスタートをきってみようと思っています。

またどうぞよろしくお願いします❣️


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