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この世界は主観の塊であるからこそ「良い景色」にできる FirE♯ 702

この世界が見えるということは、どういうことなのか?

私たちが見えると感じているこの世界は本当に実在するのでしょうか?


■ 見えるとは

物質にあたった光が反射して、その反射光が目に入ってきて網膜にあたり、電気信号に変わり脳に伝わると、「見えた」と感じる

「見える」ということは、脳が「見える」と感じたという現象です。

そこに物があるから「見える」のではないのです。

脳がそう感じたから「見える」と思ってるだけなんですね。

いやいや、実際に触れるし、それは確かにそこにあるとも言えます。

しかし、それを「触った」という感覚も、脳がそう感じたから「触った」と思っているだけです。

そう考えると、この世界は、脳がそう感じさせた世界であると言えます。


■ 夢

夢を見ているとき、それを夢だと気づく場合もありますがほとんどの場合、夢と気づくことはありません。

その夢が悪い夢であった場合、汗をかいて起きるなんて言うこともあります。

夢で「見ている」ことが、現実の身体に作用して発汗させるのです。

まさに夢は脳が作った仮想現実なわけです。

しかしながら、その仮想現実に夢から覚めるまでそうだとは思えないほどにその世界を現実と感じています。

そして、ほとんどの場合その夢の内容を忘れてしまう。

では、この現実と感じている世界が、夢でないと言い切れるのか?

と言うよりも、脳が現実と「感じた」ことは全て現実になるのです。

つまり、この世界は全てが「現実」であり、「仮想現実」でもあるのです。


■ 脳だけあれば

脳が感じたことが「現実」あるということがわかりました。

では、脳に五感の電気信号を送ることができれば、脳だの状態であっても「感じる」ことができます。

もしかして、私たちの本体はカプセルの中の「脳」かもしれません。

ネットワークに繋がれた「脳」かもしれません。

それには、「人生」という仮想現実が電気信号として用意されていて、それぞれの「脳」が一つのネットワークに繋がっている。

相互に作用しコミュニケーションも取れる。

そのようなシステムなのかもしれない。

そういった想像ができる人類は、もしも今、それが妄想であっても、いつかそれを可能にします。

確実にその未来に向かっているか、すでに達成しているかのどちらかと言うことになるのです。


【 まとめ 】

見えるとは何かということについて書きました。

脳がどう感じたかが私の世界の全てです。

その視点を持つと、この世界なんて主観の塊です。

しかも個々の、多くの人間の主観の塊です。

自分でこの世界を良い景色にもできるんだということですね。


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