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大学2年生の振り返り

【はじめに(本文を書き終わってから書いています。)】

 大学2年生として生きたこの1年間。この1年間はこれまでとは違う「特別な1年間」であったと感じている。高校2年生のとき、マイプロを本気でしていたあの頃のギラギラさ。あのときの充実感と幸福感。それを僕はずっと超えられずにいた。しかし今振り返ると、今年1年間はあの時よりももっと幸せな1年間であったと断言できる。初めて大学での学び、学問的な学びが面白いと思えた。学びに対して語り尽くす仲間ができた。5年ぶりに恋をした。大好きな人たちに会いまくった。全力で落ち込み、全力で泣いた。全力で這い上がって、全力で幸せを生きた。そんな1年間だから言葉にしたいと思った。すべてを届けたいと思った。これは僕の振り返りのために始めた作文。だけど書いていくうちにそれは形を変えていった。言葉に感情が乗り、止まらなかった。体裁など存在しない。形式など存在しない。誰かに届けるために書いたものではない。届きたいと思った人に届けばいい。これはそういう言葉たち。うねりながら進む、そんな言葉たちの世界。

【大学関連】

 今年は自分の中で素敵な言葉とたくさん出会うことのできた1年であった。それは僕の感じるモヤモヤを言語化してくれるものであったり、知らない世界を印象付けてくれるものであったりした。例えば、「暮らしの視点」という言葉を説明する。これはSDGsを取り扱う授業の中で使われた言葉である。SDGsの項目の中に、「貧困をなくす」というものがある。これを達成するために、フェアトレード商品を買うというのは理にかなっている。正解の行動であると私も思う。しかし、私は普段の生活では意図的にはフェアトレード商品を買っていない。なぜなら、フェアトレード商品は探さなければ見つからず、また安いとは言えず、さらに種類が少ないからである。つまり、フェアトレード商品はほかの商品に比べ、買い手に努力を要求するものであるように感じる。「暮らしの視点」という言葉はここを照らし出す言葉である。人々にSDGsを自分事として捉えてもらい行動に移させるためには、選びやすさという点に注目する必要がある。今の生活をしていて困りごとを抱えていない私たちが行動を変えるためには、メリットを示さなくてはならない。この話は『仕掛学』(松村真宏)という私の好きな本の内容と重なる。他人の行動を変えるためには、心惹かれる選択肢が必要であるという内容である。そのような「仕掛」は、人々に対して「自分が主体的に(自分の意志で選んで)行動をしている」と「思わせる」ものである。「暮らしの視点」に立つことは、いわば「人間のいる世界」を前提にするものである。この「人間のいる世界」という視点はマルクス・ガブリエルの著書である『なぜ世界は存在しないのか』という本の中で学んだことである。私は後期の授業でこの本を読み、哲学書の面白さ、批判的読書の面白さを知った。また、世界は存在しないという考えを支える論として、背景の存在が言われていた。簡単に言うと、モノが存在するとは背景の前に出ることであり、世界が最も後ろに存在する背景であるということであった。この背景という考え方はとても面白いと感じる。いろいろなものを見るとき、背景がとても大切な役割を示すのである。背景が明るければ、光は見えない。光は背景が暗いからこそ見えるものなのである。これらの考え方は学問と生活をつなげる思考をするうえで、また私の感性を成長させるうえでとても役立つ考えであり、その考えに名前が付いたことが私の中では大きな学びであった。

 また、この1年間は地域調査プロジェクトに力を注いだ1年でもあった。地域調査では先生の下で朝鮮学校の調査を行った。調査では京都、仙台、岡山、愛知の朝鮮学校を訪れただけではなく、愛知では保見団地や保見中学校を訪れた。保見団地はブラジル人が多く住んでいる団地であり、そこで育つ子どもたちの多くは保見中学校に進学する。そのため、保見中学校ではDLAという母語と日本語の読解力を測るテストを生徒全員に実施する。そのテストの結果をもとに、それぞれの生徒にあった教育を行っているのである。また朝鮮学校学生美術展(通称:学美)を見るために島根も訪れた。私たちは「外国人にとっての地域/地域にとっての外国人」というテーマで調査を行った。そのテーマについて私は何か理解を広げることができたかというとかなり不安になる。その理由は、このテーマをこのテーマでしか捉えていなかったからではないかと考えらえる。問題として大きすぎた。例えば、それを交流会などのイベントに着目して考えるというように、問題を細かくするか、その視点をさしあたってでも固定出来ていたら話は変わったかもしれない。しかしいまさらそんなことを言っていても仕方がない。この文章の中では僕が地域調査を通して、また先生との関わりの中で気づくことのできたことについてまとめる。

 まずはマイクロアグレッションという言葉である。この言葉に出会えたことが私の中では大きな意味を持っている。マイクロアグレッションとは、日常的に起きているささいな差別のことを指す。「地獄への道は善意で満ちている」という言葉があるが、まさにこのことである。私はこれまで差別主義者を嫌い、私自身は差別をしていないと考えていた。しかしこの言葉に出会い、私自身も気づかないうちに、また善意だと思いながら誰かを傷つけていた、あるいは傷つけるかもしれないことを知った。この思考の転換や、朝鮮学校での出会いを通じて、私自身の在り方について考え直すことになった。「子どものやりたいを守りたい」という私の掲げる理想の未来像に関して、「子ども」が指す範囲が広がったように感じる。また、先生と話す中でよく指摘されたこととして「問いを出すときには仮説を持っておく」ということもある。これは仮説持つことによってそれを聞いた人も反応をしやすくなると同時に、その疑問に対してもっと細かくどこに疑問があるのかを示すことができるのである。これらのような地域調査での学びを通して、経験ばかりを重視していた自身を改めた。学問や研究をもっとしたいし、それも含めて経験もしたいというわがままな自分になることができた。また、私という存在についてもっと考えなければならないし、考え続けたいと思うことができた。「52ヘルツの声」(『52ヘルツのクジラたち』(町田その子)より)をきちんと聞き、そこに応答するという責任(Responsibility)を果たしていきたい。

【宝箱と宝物】

 この文章を書こうと思い立ってまず思い浮かんだのは、恋愛の話。中学3年生の時に1人の女性を傷つけて以来、ずっと恋愛から逃げてきた。これは最近思ったこと。僕が関わりたいなと思える人は男性よりも女性に多い気がする。だから女性が苦手とか合わないとかではないんだと思う。むしろ話のテンポやノリ、波長なんかは合うんだと思う。それでも恋愛から逃げていたのはなぜなのか。それは1人だけを特別に好きになることができる気がしなかったから。っていう言語化は少し、かっこつけてるかもしれない。僕は女性だろうが男性だろうがみんなと最高に楽しい時間を過ごしたいし、最高にオモシロイ時間を作りたい。何からも縛られたくないし、みんなから褒められたいし、みんなからオモシロイと思われたい。僕の中で恋愛は縛りの存在であるように思っていた。素敵な人は多いし、仲良くしてくれる人もたくさんいるけど、いつも自分の中で一本の線を引いていた。メタ認知的な。

 大学1年生のころ、張り詰めまくっていた僕はあるとき折れてしまった。すごく苦しかった。その時に自分で決めたモットー。

「テキトーに生きる」「自分のために生きる」

大学2年生の初め、恋愛について考えた時にふと思った。「これ、恋愛に関してもそうじゃない?テキトーでいいのでは?全部経験だし成り行きなんじゃない?」と。

 そんなことを思った矢先、僕は1人の女性と出会った。中学生のころからずっとやっているラジオ配信でのことだった。声に惹かれ、話し方に惹かれ、頭の良さに惹かれた。それからは、けんかも大量に混ぜながら一緒の時間を過ごした。そして僕の20歳の誕生日の日。初めて会って、そこで想いを伝えた。5年ぶりに恋人ができた。すごく幸せだった。感覚がどんどん麻痺していく感じがした。僕と彼女は価値観がほとんど全く合わなかった。ほとんどのことよりも彼女を優先した。生活時間も、考え方も、活動時間も。多くのものが変わった。ここまで見たらやばそうだって思うかもしれない。たぶん客観的に見たら本当にやばいんだろうなって僕も思う。それでも僕にとって彼女といることは明らかに経験だった。自分とは全然違う感覚や考え方。けんかの時は3時間でも4時間でも言い合う。お互いに「なんで?」「それはどういうこと?」「これならどう?」が止まらない論理の世界。最後は大体僕が納得する。妥協ではなく理解できたから。それも彼女のすごいところ。最初は声。それから見た目、行動、そして考え方や本の読み方までも素敵だなと思った。彼女がずっと僕の歌を好きだと言ってくれたから、僕は歌を頑張ろうと思った。好きだと言ってくれたから、歌を嫌いになりたくなくてアカペラの舞台に立つことを辞めた。

 だけど、そんな日々にも終わりは来るもので。僕は彼女のことを大事にできていなかったんだろうなって思った。それは僕の「大事にする」と彼女のそれの違い。すごくつらかった。けど、それでもいいかもしれないと思った。別れた次の日、友達と図書室で勉強をしようという話になり、席についた僕はスマホのメモを開いていた。頭に浮かんでくる物語をつづった。『宝箱と宝物』。僕が初めて書いた物語のような文章。僕にとって彼女の存在は宝物ではなく、宝箱のようなものだったんだろうと思う。そして、宝箱に入っていた宝物はすべて置いて行ったり、落として行ったりしなくてもいいんだって思った。誰に何と言われようが、僕は彼女がとても大事だし、好き。僕を慰めるためにでも彼女のことを悪く言われたくはない。僕の思いは1つの物語になった。しおりのない物語に。

【プロジェクト伴走】

 この1年、と言っても3か月くらいだけだが、僕は1つのプロジェクトを伴走した。そこでは何よりも「なんで?」を大事にした。この疑問詞はとても難易度の高い質問を繰り出すものだと思う。だからこそ、思考が深まるのだとも思う。僕が伴走したのは4人の「ただの人間」。やりたいことを叶えるために動きたいと考えた人間。とてもステキな人間。だからこそ、僕も人間として関わる。「高校生」とか「大学生」みたいな肩書なんて要らない。そんな風に考えてやった。だから必要なら話を聞くし、必要ないなら関わらない。彼ら彼女らにとって少し役に立てたならそれでいい。やりたいことをつぶされる社会であってほしくないから、少なくとも僕らの周りは「やってみれば?」と声をかける人であふれてほしいなって思う。

彼ら彼女らがこれを読んでいるのかわからないし、直接いうことはないだろうから、おそらく届かないが、ここに想いを書く。彼ら彼女らは、特別な人間ではない。やりたいことをやっているだけ。すごくなんかない。でも、例えば勉強を毎日12時間しないと気が狂ってしまう人だっている。そういう人を見て、「勉強したいとかすごいな」って思うことがあると思う。でも、「ゲームを12時間もするなんてすごいな」って同じように思うだろうか。誰が勉強に価値を決めたの。誰がゲームを勉強よりも劣ったものにしたの。プロジェクトをすることはあなたのアイデンティティではない。あなたのアイデンティティの1つにプロジェクトがいるだけ。あなたはやりたいことをやっているだけ。あなたは特別ではない。特殊な経験だけで満足しなくていい。カラオケしたり、読書したり、勉強したり、恋愛したり、夜更かししたり、絶望したり、ぼーっとしたり。全部すればいい。あなたがあなたである意味は、あなたがあなたとして物事に触れることにある。僕はそう思うことにしている。みんなにかかわることのできた時間はとてもステキなかつ「普通」の時間であったと、最大限の敬意と感謝と期待を込めて書かせてもらう。いい時間だった。

【ダイコウアワー】

 僕の母校で行われる授業の1つ。大学生と高校生が対話する時間。今年はコロナ禍ということもあり、オンラインでの開催だった。私は今回、人生紙芝居のようなものを任された。ただ、私は周りの人と同じことをしたくないという思いと、自分の人生の話をしたところで、それは僕の人生でしかなく、誰の役にも立てない&おもしろくないと考えていた。だから、僕は「オンラインだからこそできるオモシロイプレゼン」を作ることにしました。仕事としては最低です。仕事放棄です。職務怠慢です。でも、おもしろくもない講演を聞き続けるのって地獄じゃないですか。あとは、僕は高校生のころ、「大学生に質問ある?」みたいなのが大嫌いでした。僕の方が動いているし、考えていると思っていたからです。つまり、見下されるのが嫌でむしろ見下していたみたいなことです。

 そんな感じで作り上げたプレゼンでしたが、準備段階で反対を受けました。人生の話をしてほしいとのことでした。間違いないです。職務怠慢がバレました。というかバレるだろうなと思いながら作っていたので。当たり前にバレましたが、なぜか僕はすごくショックを受けました。自信を無くしました。本当にこれでいいのかなとか、こんなんじゃだめなのかなとか、でも僕の特別性はなくしたくないなとか。そんな感じで悩み、寝れなくなりました。寝れなくなった僕は夜中3時、散歩に出かけました。冬なのでとても冷たかったのを覚えています。星がきれいで、ずっと眺めていました。歩道の真ん中で踊りました。後ろから自転車がスッと出てきたときは悲鳴を上げてしまいました。自転車の人ごめんなさい。でも、そんなこんなしていると、なぜか復活できました。復活した僕は、なんでもやってやれの精神になっていました。そうです。職務怠慢の方向に向かって復帰してしまったのです。

 そんなこんなありながら迎えた当日、僕は過去一のプレゼンを作り上げることに成功しました。この章の冒頭でも話した通り、オンラインだからこそできる奇抜なプレゼンをしました。具体的にはミュート機能を使って、聞く人の頭をパニックにさせるという荒業をしました。僕の狙いは、伝えたいことを伝えきることです。当たり前ですが。では、そのためには何が必要か。オモシロイと思ってもらうこと、他の人とは違うと思ってもらうこと、飽きるタイミングで爆発を起こすことです。「この人何やってんだろう」「こんなの聞いたことない」「なんかおもしろい」これを引き出せば勝ちなんです。案の定、多くの受講生から「楽しかった」という感想をもらうことができました。僕はプレゼンをして「いろいろ学べた」とか「面白かった」という感想をもらったら悔しく感じます。なぜならそれらの感想は「正解」だからです。もっとわかりやすく言えば「模範解答」です。だから「楽しかった」を引き出せたことに満足しました。

【アカペラサークル】

 僕はアカペラサークルに所属していました。正確には今も所属しているのですが、ライブに出ることはやめました。飲み会ぶち上げ係になりました。僕は大学に入るまで10年間サッカーをしていました。もういいかなって思ったので、大学からは全く違うことをしようと考えていました。もともと上手くはありませんでしたが歌うことが大好きだった僕は、「アカペラサークル」を見つけ、入ることにしました。しかし、そもそも歌が上手いわけでもなく、音楽のセンスがあるわけでもなく、努力してうまくなりたいわけでもなかった僕は、とても困惑しました。周りにいる人たちがうますぎるし、音を取れるのです。「1音高いから下げて」とか、「半音低いから上げて」とか。まじで意味わかんなかった。できた時もできた感覚ないし。何が正解かわからない状態でした。というかそもそも、パソコンで自分が出すべき音を聞いて、それを覚えてきてみんなで合わせるのですが、聞いた音を出すって何?って思ってました。だって、声と鍵盤の音って違うじゃないですか。ほかの新入生もみんな未経験だって聞いてたのに、なんかできてるし。どんどん嫌になりました。家で毎日5時間練習しました。でもできないんです。緊張と不安で音がわからなくなるし、そのたびに聞こえるため息と、「どうしたらいいんだろう」って声と、「練習してる?」っていう質問。もう心が壊れかけてました。練習前に動悸がしたり、練習後にふと車道に出たくなったりしました。もう相当限界でした。

なので2年生になった今年、やめました。ライブに出るのはやめました。だって歌を嫌いになってしまうから。僕の練習をずっと彼女が聞いていてくれていました。「そうまの歌が大好きなんだよね」と言って聞いてくれていました。彼女は音楽を長いことやっていたので、音がわかるんです。不協和音とか絶対気持ち悪いだろうし、5時間とか付き合うなんて絶対疲れると思います。それでも、合っていたときは「できてるじゃん!」って教えてくれたし、「そうまの歌ってるところ見たいから」と言ってくれたりしました。だからこそ、僕は歌を嫌いになりたくなかったのです。そう考えた僕はアカペラをやめることにしました。

アカペラサークルでは仲のいい友達ができました。4人で飲みに行ったり、遊びに行ったり、この前は広島に旅行に行ったりもしました。最高に楽しくて素敵な友達に出会えました。だからこそ、アカペラサークルに入ってよかったなと思います。もう二度とライブには出ませんが。

【豊かな暮らし体験】

 6月。人生で初めてきちんと益田を訪れました。高校卒業までサッカーをしており、益田で試合をすることもあったため来たこと自体はありましたが、きちんと街を見たり人と関わったりするのはこれが初めてのことでした。3月のイベントで出会った一人の女性に会うという目的で行きました。3月のそのイベントでは、彼女は打ち合わせの段階からたくさん関わってくれました。同じチームのファシリをするにあたって、これほどまでにいいチームはできないと感じるくらいに。当日も僕のやりたいことを全力でサポートしつつ、きちんとやらなくてはならないことも全うする。そんな素敵ですごい人。そのイベントはオンライン開催だったため、実際に会ってみたくて、益田まで行きました。

 「豊かな暮らし体験」は1泊2日で行われ、益田のいいところをたくさん体験するというような趣旨のものでした(という風に感じています)。私は正直、人に会うために行ったので、内容はさほど気にしていませんでしたが、結果的にすごく楽しい時間を過ごせました。とはいえ、最初から楽しめていたわけではありませんでした。当日人が集まってから、いや集まり始めていた段階で感じていましたが、僕が最年少でした。すごく衝撃的でした。「そろそろ結婚が、、」「夫婦生活が、、」みたいな会話があふれるその中にいる僕。誰とどう仲良くなればいいのかわかりませんでした。すごく不安でした。皆さんの思考の深さと感性の豊かさに触れて、自分の足りなさを感じていました。とても苦しかった。

 そんな僕が楽しめるようになったのは、1日目の夕方のことでした。参加者の大人が3人でギターのセッションを始めたのです。どこにいたらいいかわからなかった僕はなんとなく、素敵だなぁと思ってその様子を眺めていました。すると突然、「歌って!」と。「、、、!?」完全にこれです。まだ場に馴染めてもいない、1日を通して存在感もなかった、ただの「最年少君」がみんなの前で歌う。しかも知っているメロディーとかならまだしも、全然聞き覚えのないメロディー。完全にパニックになりました。正直少し嫌でした。でも、似ていたんです。高校2年生でマイプロに参加したとき、勇気を出して全体の前で発言したあの時に。全然知らないメロディーだったから、「もう1ターンだけ待って」と合図して、周りを見る。次のターンが始まると同時に僕は歌いました。完全に即興で、その日のことやその会場のことを。思い返すとすごく何言ってるのかわからない歌だったと思います。それでも、みんなこっちを見てくれました。その時はじめて、「大野颯馬」という色がその場に混ざった気がしました。歌い終わると、みんなが笑顔で拍手をしてくれました。「すごいね!」「最高だった!」「よく歌えたね!」と声をかけてくれました。歌きっかけで話しかけてくれた人もいました。夜中に一緒に大熱唱する人もいました。本当に幸せというか達成感であふれた瞬間だったなって思います。

 大学生の僕はプロジェクトの伴走や講話で、「やってみたら?」とか「とにかく嫌な方向を選んでみたら?」と助言することが多いです。それは僕自身の高校生の時の経験から言っていること。間違っているとは思わない。僕も大事にしている感覚。だけど、実際にそういう岐路に立たされると、僕もビビります。僕はすごくビビりだし、緊張する場面では人一倍緊張するし、まぁまぁな確率で失敗します。それでも、結局こういう時には動いてるんです。動いて失敗するのはとても怖いし、嫌だけど、選んだ先で成功する快感を知っているから。だから伴走をするときとか、講話をするときとかはよく言います。「やってみたら?」って。僕がすごい人ではなくオモシロイ人になりたいっていうのは、こういうところも含めてそうなのかもしれない。すごい人なら緊張しないとか、迷わず飛び出せるとか、そういう感じなんだろうけど、僕は割とそうじゃない。だからこそみんなに褒めてほしくて過去にすがっているというのもあるけれど笑

【MFSサマーキャンプ】

 さて夏休みの話。大山で小学生を対象としたイベントをしよう的なノリのイベント。大学生3人で1日ずつ担当し、2泊3日をつくりあげた。(コロナさんの影響で泊まれはしなかったけど、、。)正直なことを言ってしまえばかなりしんどかった。そもそもは先輩に誘ってもらって、その先輩と一緒に企画してみたいなという思いだけで始めたものであった。対象が小学生と聞いて少しモヤモヤが生じ、自分の感性すべてに対してその場で言語化(というかその言語化の説明)を求められる環境に苦しんだ。うまく説明できない、思考が足りない、計画性がない。そんな自分に嫌気がさした。僕の担当は最終日だった。僕は企画時点で、というかいつもそうだが、何歳だろうとやりたいことを形にできる環境にいることが大事だと考えていた。だから、最終日は「ボクらの夏祭り」というテーマで、子どもたちに夏祭りをつくってもらった。子どもたちをグループに分け、グループごとに屋台を作ってもらった。どんな屋台をするのか、どんな雰囲気にするのか、材料は何が必要か、どうやったらみんなで楽しめるか。全部子どもたちに考えてもらった。規模としてはとても小さいものだったけど、「また来たい!」「来年もやってね!」「楽しかった!」という子どもたちの達成感と疲労感に満ちた顔を見ることができ、成功だったかなと勝手に思った。

 そんな3日間で得た学びもあった。それは、「できない理由」と「中に入ること」の2つである。

子どもたちとともに過ごした3日間で大変だったのは、片付けや時間を守ってもらうことだった。どれだけ理論ではわかっていても、実際に現場に立つと「だめ」「危ないでしょ」みたいな押し付けが多くなってしまった。夜の振り返りの時間で、どうしてもそこにモヤモヤした僕はそこへの解決策をみんなにも考えてもらった。そこで言われた言葉。「やり方がわかればできるんじゃない?」「楽しかったらやるんじゃない?」片付けができないのはどこをどう片付けたらいいかわからないからかもしれない。時間を守れないのは外に時計がないからかもしれない。そもそもそれらって楽しいことになってないからかもしれない。次の日からダンシングお掃除を導入し、F1の音楽(?)をかけてみた。すると片付けも時間をまもることも簡単にしてくれるようになった。場が楽しいであふれる感覚があった。とてもいい気付き。

もう1つの気づきは僕自身のしたいことに関すること。僕は最終的にというよりも当日はとても楽しめた。それは「中に入っていたから」だと感じた。おそらく僕はメインで企画をするのは楽しくない。むしろそれよりもその企画を参加者と一緒に全力で楽しむ方が好きなんだと思う。これは伴走に関してもそうなのかもしれない。でも伴走に関してはそうとも言い切れないから難しい。

【ヒト・モノ・コトツアー】

 これはルーツ島根のイベント。夏休み中にあると聞き、なんとなくで参加した。本当に正直なことを言うと、そのあと益田に行く予定があったからちょうどいいやくらいに思って参加した。2泊3日のイベントで、島根県西部を旅するもの。これに関してはうまく活用できなかったなというのが正直なコメント。というのも、テーマが「しまね」って感じがしていて、特段島根に対して何も思っていない僕からしたらどうでもよかった。あとは、せっかくの2泊3日だったけど、あまり深い話をしなかったようにも思った。それはあくまで僕から見て、僕に対して興味を持っている人がいなかったとも感じられたし、僕からほかの人に対してもあまり興味をも持てなかったからかもしれない。オモシロイ表現や思考の仕方が見えなかったからかもしれない。あとは僕の感性が足りなかったかもしれないというのもある。

こんなに残酷な感じに書いていることを快く思わない人もいるだろうなと思う。例えば企画者とか参加者とか。これを投稿するべきかどうかは考えた。でもなんか表面上の付き合いとか嫌だし、美化したくない。あとは、その時はオモシロくないなと感じていたことも、誰かの何かとか、僕の何かによってオモシロくなる気がしているからあえて書くことにした。あとは、僕がしている経験はすべてキラキラしているわけではないという当たり前を置くためにも書くことにした。テキトーにいろんなものに参加しているけど、すべてを楽しもうとする必要はないと思う。オモシロくない・楽しくないも大事な感性だと思うから。大事というか当たり前にあっていい感性だと思うから。

【ユタラボ修行】

 夏休み一番の楽しみだったユタラボ修行の話。10日間くらい益田に滞在してユタラボに入り浸った。前回益田に行ったのが6月下旬だったため、2か月ぶりくらいの益田だった。この滞在の目的は人生紙芝居を作ることにあった。前回の益田で見た人生紙芝居に衝撃を受けた僕は、自分の人生の話を他人に響かせる技法に興味を持った。作ってみたい、そんな技術が欲しいと感じた僕は、11月に益田高校で人生紙芝居をしてみないかというお誘いに飛びついた。人生紙芝居を作るにあたって、僕は自分の人生をゆっくりと振り返るために人生グラフ(テンショングラフともいう?)を作った。これまでも作ったことはあったが、じっくり時間をかけて作ったそれは、今まで見たことのない動き方をしていた。全部書いた。自分の人生のどこに感動したか、どこで苦しんだのか、どこで幸せになり、どこで絶望したのか。自分にベクトルを向け続けるその時間がとても幸せな時間だった。ユタラボ職員の方がずっと質問を投げ続けてくれた。否定も肯定もせず、ただ聞いてくれた。ただ考えさせてくれた。そんな素敵な経験だった。

そして何より、僕の人生グラフを見て、「なんでも書いてるね」みたいなことを言われたことに、なぜか僕自身がびっくりした。多分僕はほかの人よりも何でも話せるんだろうなって思った。うまくいったことも、いかなかったことも、私的なことでさえ。そこは僕の素敵さだなと思うと同時に、なぜそれができるんだろうという疑問に至った。僕はいつからこんなに自信を持てたり、オモシロイを探すようになったりしたんだろうという問い。そのときに出した答えは、大学1年生のつぶれた時だった。サークルも学校もバイトもしんどかったあの時、僕はマイプロという過去の栄光に縋り付き、オンラインのイベントに参加しまくった。「何かを得なきゃ」「全部面白いと思わなきゃ」「参加し続けなきゃ」「これをやめたら僕は特別じゃなくなる」。怖かった。すごくつらかった。周りの友達はカラオケに行ったりご飯にいったりしてるその時に、僕は何をしているんだろう、そう思った。友達の誘いを「今日オンラインの勉強会があって」と断り、「そうまはすごいな」「またいこうな」と誘ってくれる友達に、僕はつらさと同時に快楽を覚えていた。そんなある日僕はつぶれた。消えた。、、、ような感じがした。何してんだろう。楽しくない。そう思った。もうやめる、そう決心した。その時自分で決めたこと。それは一般的に規定される(と僕が思っている)すごい経験もそうじゃない経験も全部するということだった。いい人をやめることだった。自分のオモシロイを探そう。そう思った。僕はこれに対して「テキトーに生きる」と名付けた。大好きな人に会いたいし、大好きな人との時間を大事にしたい。だから興味のないものは断るし、しない。きっぱり言う。清純なことも不純なこともしたい。どっちもしている人の方がオモシロイって僕が思うから。きれいな人間で終わりたくない。大好きな人の心に残る人間になりたい。僕が思うならそれでいい。ほかの人が違うと言ったって、僕が上手く説明できなくたって、僕は納得するまで自分の感性を捨てない。そう決めた。「大好きな人に会いに行くために○○行ってくる。」これが口癖になった。2日間時間を取って、実際に会うのは4時間。交通費で1万円。理解はされないことは多い。けどそれでいい。僕は僕のやり方で大好きな人に大好きを届ける。そういう生き方がとても楽しくて仕方ない。そんな話を高校生にした。僕の人生紙芝居を聞いて、「楽しい」と言ってくれた人がいた。ダイコウアワーの時もそうだったけど、それが一番うれしかった。感情を伝えるプレゼンには僕の感情が必要である。ゼミの先生がいつも言ってくれる。「内容と形式は相互的」。「全部をさらけ出せる」という僕のいいところと、「感情を載せる話し方」という技術が合わさって、とてもいい時間になったなって思った。

【大田市学生アンバサダー】

 学生アンバサダーの話をします。少し緊張しながら書こうかなとか思ったけど、やめます。ちゃんと書きます。僕はこの役職が今の段階では大嫌いです。気持ちが乗りません。このままの状態で行くと、僕の価値が下がりそうでとても嫌です。ではなぜ嫌いなのか。それはオモシロイに出会えないからです。僕の想像を超えるものが出てこないからです。僕自身も出せる気がしていないし。だって市役所の企画だから、、。っていう壁が市役所と若者の間にあるんです。若者ってまとめるのはよくないですね。僕はそう思うし、今回のイベントの参加者を見ても思います。僕はその壁をぶち壊す、オモシロイというよりも「こいつらバカなの?」みたいなものを生み出そうっていう気持ちを期待しています。まずそれを求めているのかわからないのと、もしその役割を僕らに求めているのだとしたらそれも間違いだと思います。なぜなら僕らは自分らで勝手に叶えられるからです。ほかの遊び場があるからです。僕はUSJに勝てる砂場と、ディズニーランドに勝てるビーチを作るくらいの勢いで来てほしいです。僕らが自分たちで活動している遊び場がすでにそうだからです。少し違うかもしれません。訂正します。僕はそういう砂場を用意されたくないです。自分でそういう砂場を見つけて、大好きな人と一緒にクッパ城とシンデレラ城を手本にしながら雪だるまをつくりたいです。

 つまり言いたいのは、わかりやすいことだけを話さないでほしいということです。わかりやすいというのはその地点までの言語化ができているという点でとてもいい状態なのだと思いますし、仕事という面では絶対に必要だろうなと思います。でも僕は、伝わらないとか上手く言葉にできないみたいな状態が見えない人は少し怖いです。言い淀んで、何度も言い換えて、「こういうこと?」って周りの人が言語化しようと試みて、それでも違和感を覚えて、またみんなでそれが何なのかを考えて。そうやって根本から考えられた企画は自信をもって宣伝できますし、みんなに来てほしいなって思うと思います。僕はそういう場をオモシロイと感じるんだろうなって書いていて思いました。

【探究フェスタ2022 in 益田 サブファシリ】

 春休み。に入った日(まだ入っていなかった気もするけど)に益田に行きました。今回の文章を書いていて何回益田って書いたかわかりませんが。その益田で探究フェスタのチーム運営(?)みたいなものをしました。なんというか、不完全燃焼だなぁって感じました。というより、正直に言うと記憶にあまり残っていないです。自分の力のなさも感じたし、楽しくないなとも感じたし、参加者(高校生)にすごい子いるなぁとも思ったし。そんな感じです。みんなが気を使い合いまくるという最低な場しか作れなかった自分が悔しいです。マイプロにかかわるのはすごく楽しいけれど、探究にかかわるのはあまり楽しくないなぁって感じました。探究は授業としてしなくてはならないとか、するべきだとか、するのがいいとされているからみたいな空気を感じるのが嫌です。そのような学生や先生だけではないということはわかっています。それでもそういう空気がたくさん見えるのが苦痛で仕方ないなって思います。

 ただ、素敵なこともあって。イベント終わりに「帰りの便まで1時間暇だなぁ、散歩するか」と思っていたら、「まっぴー?」って車から声かけられて、振り向くと車から手を振る女性。僕が益田に行った時だけではなくオンラインでもたまにイベントを一緒にさせてもらっているコーディネーターの方。「僕今から1時間暇なんですけど、連れまわしてもらえません?」って言ったら「ちょうど私もなんだよね!行こう!」って言ってドライブ。マジで最高すぎる方です。そこで思っていたことを話し、次に益田に来るときにしたいことを話し、あっという間に1時間。こういうオモシロくて楽しい人がいるってわかってるから益田に行きたいなって思うのかもしれないですね。

【益田フォーラム・松江フォーラム】

 春休みの課題も出し終えて、本格的に動き始めた3月。益田と松江の2か所で開催されたフォーラムに参加しました。益田のフォーラムは『ひとが育つまち益田フォーラム2023』、松江のは『伴走者のための共学共創フォーラム2023』という名前でした。この2つのフォーラムでは(全部そうかもしれないが特に)内容よりも、オモシロイ人に出会えたことが印象に残っています。

 僕は益田フォーラムに参加するために3月2日から5日にかけて益田に滞在しました。今回はフォーラムに参加するというよりも、大学で共に学んでいる仲間を益田に連れていきたいという思いで動こうとしたところ、フォーラムの存在を知り、参加したという流れ。僕たちは前夜祭と本番、そして懇親会の3つに参加しました。前夜祭では3人のとてもオモシロイ人と出会えました。1人は島根大学の学生で、もう1人は大阪教育大学の学生、3人目は東大の学生です。島大の学生とはSNS上でやり取りをしていましたが、会うのは初めてでした。僕の中学校の時の恩師が社会教育主事として働いており、その方の紹介でつながりました。初めて会った10分後にはもう爆笑しながら話す仲になりました。周りの人から「付き合ってる?」とか「幼馴染なの?」と聞かれる距離感バグを起こしていて、最高に楽しかった。大教大の学生は夏に会ったことがありました。10日間のユタラボ修行のときに、益田でイベントを開かれており、そのイベントに参加した僕は彼女らに衝撃を受けました。今回のフォーラムでは、「なんか若い人らだけで集まってんなぁ、地元の人かなぁ」と思い、「はじめまして!」って言って入ったら、「え、まっぴー、、?」って。焦りました。夏に会ったときにはあまりお話できていなかったので、記憶に残っていませんでした。これ読んでいるかもしれないのでここで謝ります。ごめんなさい。でもまぁ、そうやって声をかけてくれて、思い出すことができました。その大教大生のグループの中で、僕は個人的に気になる人がいたので、益田にいる間はずっとお話していました。東大の学生は初めて出会いました。この方からは何か不思議な魅力を感じました。何がオモシロイのか、どこがオモシロイのかを僕は言語化できていません。というより、言語化できるほど話せていないし、そもそも言語化できないところにオモシロイを感じていたのかもしれない。みんなオモシロイ人です。でも3人は確実に違うオモシロイを持っています。島大の方は距離の詰め方が上手で、面白そうな人を見つけるのが上手です。それとはまた少し違って、大教大の方は誰とでもふんわりとした空気を作るのが上手だなって思います。好かれるのが上手ともいえるかもしれない。東大の方は本当によくわからない雰囲気にオモシロイを感じています。僕はそんな3人と出会えたことがこの益田での収穫だったなって思います。

 僕はこのフォーラムを経験して、悩みができました。僕は僕が輝きたいという気持ちを強く持っています。縁の下の力持ちとかになりたいとは思えません。僕は僕が輝きたいし、1番でいたい。そんな思いを抱えながら教育の仕事に就いていいのだろうか。そんな悩みです。そしてもう1つ。僕は大事な人を大事にできているのか。今回の益田滞在でも多くの人にお世話になりました。移動手段や宿泊場所など、いろいろな場面において何も考えていない僕を支えてくださいました。そんな大好きな人たちに、僕は何ができているのだろうか。そう考えた時に何もできていないと感じました。そんなモヤモヤを抱えながら駅でふらふらしていると、東大からきていたもう1人の学生を見つけました。その子は実家に帰省するときに祖母にプレゼントを買いたいと言っていたので、駅前にあるフルーツ屋さん(?)を薦め、荷物を見張っておくことにしました。買い物から帰ってきたその子は僕たちに、「いいところを教えてくれたり、荷物見ていてくれたりしてありがとう」と言って、クッキーをくれました。僕はその時に悩みへの答えが出たように感じました。大事な人を大事にする。僕が僕の大事な人にあげられる「クッキー」は会いに行くこと、そして大好きだと伝えることだなって。すごく単純なことかもしれないけれど、それでした。だとしたら、僕から子どもたちにあげられる「クッキー」もまたあるかもしれない、そう思うようになりました。そんな素敵な出会いが益田にはありました。

 松江フォーラムは、益田で出会った島大のオモシロイ学生に来てほしいと言われたので彼女に会うことを目的にして行きました。この文章を書いていて何度も出てきたであろうこの一文。フォーラムの内容も特に知らないままでその人に会いに行くためだけに参加しました。結論楽しくなかったです。でもやはり懇親会で素敵な出会いがありました。

 イベント終わりの懇親会で、北海道大学の学生と話しました。北海道でカタリバの運営をされているらしく、僕も人生紙芝居をした経験などに興味を持ってもらえました。僕は彼女に対して、とても興味がわきました。僕がそらしたくなるほど目の奥を見てくる感覚がしたのです。彼女は「なんで?」と「本当に?」を聞き続けてきました。そして何より面白かったのが、そのフォーラムへの気持ち悪さを感じていたことです。いや、感じていただけなら僕もそうです。それでも彼女はそれを言語化し、その表出に彼女の感情があふれんばかりに乗っていました。僕はそんな彼女をみて、オモシロイと感じました。懇親会から3次会終わりまでの5,6時間。僕はずっと彼女と話していました。たまに大人も混ぜながら。とても面白かった。そんな彼女から「北海道おいでよ。北海道カタリバ来てほしい」と言われたのがすごくうれしかった。お世辞とか、挨拶としての「今度飲みに行こうよ」とか「いつか来てね」、「鳥取行くね」とは違う。少なくとも僕は違うと思えたその言葉に僕はすごく幸せな気持ちになりました。会いに行きたい。どんな場をつくっているのか見に行きたい。それを肌で感じたい。そんな風に思わせてくれる存在との出会いが松江にはありました。

【おわりに(だいぶ長いと思います。)】

 最近、引っ越しをしました。大学寮には2年生までしかいられないからです。引っ越してからちょうど2週間が経った一昨日、これから始まるゼミで共に学ぶ仲間2人が新居祝いに来てくれました。僕たちはその2人と、別ゼミになってしまうもう1人を合わせた4人でいつも勉強会をしています。振り返れば、4人で勉強会をするようになったのは2年生になってからのことでした。それまでは僕が1人のことを嫌いだったからです。彼と初めてまともに話したのは4月のことだったと思います。僕のマイプロの話を詳しく聞いてくれて、意見を交わしまくったことがきっかけでした。それからの1年間、僕らは授業で1番前の席に座り、授業が終わると「さっきの授業なんか違うよね」「○○というよりも○△なんじゃない?」みたいな議論を何時間でも繰り返す。みんなで本を読もうという話になると正義について何日間も語り合う。そんな最高ですてきな仲間を僕は手に入れました。そんな彼らと僕の新居でお酒を飲んでいる時に、ふと全員が言ったこと。それは「今年1年間は何か特別だったよね」でした。僕はそれを聞きこのまとめを完成させなければと思うことになりました。

 この文章を書くにあたって何度も出てきた表現があると思います。「オモシロイ」という言葉。そして「会う」という言葉。僕はこの1年間を通して、いろんなオモシロイに触れました。それよりもはるかに多いオモシロくないにも触れました。僕にとってのオモシロイ、それは素敵な「表現」を持つことです。それは素敵な「言語」かもしれない。それは素敵な「言い方」なのかもしれない。それは素敵な「雰囲気」なのかもしれない。それは素敵な「見た目」なのかもしれない。そんな素敵な表現を持った人たちや物事にたくさん触れました。僕はそんなオモシロイ人たちが大好きです。以前、どこかで僕は言いました。僕の「スキ」はそんなに価値ないから、たくさん言うから。でも、わかるはずです。価値のない好きを僕が言うわけないことくらい。僕にとっての好きは「その人に向かいたい」ということです。それは話を聞くということかもしれないし、その人を目当てに会いに行くことかもしれないし、触れたいと思うことかもしれない。僕はこの1年間でたくさん大好きな人ができました。本気で恋をし、本気で語り合い、本気で学びました。インプット期とアウトプット期とをわがままに繰り返しながら、進んできました。僕にとってこの1年間が特別であったのは他でもない僕自身のおかげです。僕がいろんな人と出会い、僕がいろんな人と語り、僕がいろんな人を大好きになり、僕が大好きだと言いたい人に大好きだと言いました。そんな僕が選んだ素敵な道に花を植え、回り道を作り、隣に大きな道路を作り、また大きな桜を植えてくれた。僕はそんなことをしてくれたみんなのことが大好きです。

 そしてもう1つ。僕が大事にしている言葉。「テキトーに生きる」。文中でも少し触れました。僕は全部経験したい。何かに向かって全力で走りたいし、その途中で盛大にこけることもしたい。清純に誰かを本気で愛したいし、曖昧な関係で泥沼にゆっくりと落ちていくこともしたい。本気でまじめに語り合いたいし、ばかみたいにお酒飲んで歌いたい。僕は特別じゃないからこそ特別になりたい。この1年間で大好きな人がたくさん増えたから、3年生になったらもっともっと彼ら彼女らに「大好き」を伝えたい。そう思ってます。

 最後に、ここまで読んでくださった方へ。僕はあなたに大好きだと伝えたいです。僕のことを本気で愛してくれるあなたに、僕は本気で愛を伝えたいです。とてもステキな出会いをありがとう。大好きです。


オモシロイとは素敵な表現を持つことである  (2023-03-28)


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