見出し画像

魂が満たされる空間を求めて (1)

迷い込んだ場所で見つけたもの


少し前に、これまで訪れたことがないイギリスの郊外に車で行った時、ふとした拍子にルートを外れ、知らない村に迷い込んでしまうということがありました。

その村は、商店などもある通りからさほど離れていないのにも関わらず、緑に囲まれて外から守られた空間で、さながら秘境のよう。車道より高いところに細い水路が通っており、そこに沿って散歩道が続いています。途中、かなりの時を経てきたらしい石造りの可憐な噴水が水際に立っているのが見えました。村にある数少ない建物の表面や周りに施された細工は、こちらも長い時間、雨風に表面が侵食されてはいるものの、美しい姿を残しています。細工は現在のイギリスでは見かけることが少なくなった、どちらかというとイタリアの古い建造物を思わせるものでした。

残念ながら帰途を急いでいたので、車を降りる間も、写真を撮る間もなくあっという間に村を通りすぎてしまったのですが、その村を通っている間中、なにか魂が満たされるような、胸が締め付けられるような感覚があったのでした。うっかり迷い込んだ名前もわからない村なので、二度と見つけることができないかもしれないのですが、なんとか探して、今度はゆっくりと訪れてみたいと思っています。

マルタ島にて

空間に呼応する心身


以前、『アナログとデジタルの間(はざま)で』という記事で、「そこにいると心身が温かくなる街、冷たく硬化させられるような街」というようなことを書いたのですが、その後ずっと建築物や街並みというテーマに捉えられています。

「世の中は大変な危機で、街並みとか、美しさを求めるとか、悠長なことは言っていられない」というご時世かもしれないけれども、こんな時だからこそ美しく調和の取れた空間と繋がることが大切なのではと、最近特に思うようになりました。

意識する、しないに関わらず、特定の造りやエネルギーを持った建物や街並みに身を置いていると、

・心身が元気になる
・自分の内面に静かに籠ることができる
・「尊い何か」と繋がることができる

などが起きたり、逆に、

・気分が落ち込む
・怒りっぽくなる
・体調が悪くなる

などという反応が起きたりします。何気なく、「この建物いいな」とか「この場所は避けたいな」というような時にも、少し丁寧に心身に意識を向けてみると、色々な反応が起きているのがわかるかと思います。そして、そこにいると心身が整い、豊かな感じがしてくるような建物や空間は、上記で書いた村のように、視覚的にもある種の美しさを持っているようです。

私たちの身を包むものである建造物や街の空間は、常に私たちの心身の状態、ひいてはそこから導き出される思考や行動にも影響を与えているという意味で、食や様々な療法と同じくらい大切なものなのだなー、と最近改めて感じています。

マデイラ島の丘の上のチャペル

粗暴(brutal)な建物の到来


さて、特にこの10年位、「美しい」「心が落ち着く」「元気をもらえる」と感じさせられる場所や建物や生活を支える物たちが消えゆく速度が早まってきているようで、気になっています。日本でも都市の再開発が盛んですが、古い建造物や街並みを保存することに熱心と言われるイギリスやヨーロッパの国々でも、昔の写真と比べると、街や生活の随所に見られた意匠を凝らした細工や建造物が消えつつあることが分かります。

これは一つには、戦後の街の再建も絡みヨーロッパで1950年代に始まった「ブルータリズム」という建築様式の影響もあります。(ブルータリズムについては、例えば日本語ではこちらの記事に紹介されていました。)住宅供給や街の立て直しと言う必要に迫られて仕方がない事情もあったのかもしれないけれども、「予算があってもあえてブルータリズムで建てる」「これはスタイル、思想、表現なのだ」とブルータル(brutal = 粗野、粗暴)な建築物で空間を満たしていった部分もあり、現在では新旧のスタイルが街に混在している状態です。スタイルの好みは主観的なものだし、たまに素敵だなと思えるモダン建築もあるけれども、やはりブルータリズムの建築物を見て「美しい」と感じたり、それらの建物の中に身を置くと心身が喜ぶ、という人は少ないのではと思います。

これ↑ が、
これに。。。

進歩の影で退化するもの

「昔は今より貧富の差も激しくて、上流階級だけが綺麗な街や建物に住んでいたのでは?」と考える向きもあるけれども、100年以上前に建てられて今でも残っているイギリスの庶民の住宅や、昔の人の日常品も、やはり実用性を越え、ある種の心の余裕と美への眼差しがないと取り入れないような造りをしているのです。これは日本でも同じことかと思います。日本でかつてお世話になっていた歯科医の先生が、「大学で昔の美しい木の机が捨てられそうになっていたので驚いて引き取ったんですよ」と見せて下さったオフィスの一角は、アンティークの時計などがアレンジされ、ため息が出るような素敵な空間になっていました。

私たちが暮らす現代は、進歩の恩恵を受けている場面も数多くあります。また、個人的に古いものが全て美しいと思っているわけでも、昔に戻りたいと思っているわけでもありません。ただ、街の風景を見ていると、「今あるべきものがここにない」という感覚が湧いてきてしまうのです。テクノロジーや便利さは進歩しても、「美」とか「心身と調和した環境」ということに関しては、退化している(させられている?)部分も多いのでは、と思わずにはいられません。

美しい街灯が残っている街もあるけれども、
最近の我が家の近所の街灯は皆これになってしまいました。。


昔のものは街灯のポールの土台にも意匠が凝らされていましたが、
今はこんな感じなのが残念です。。

そんなこんなで私は今、未だに残っている美しいものを自分の街や訪れた場所の中に探して確かめたり、様々な理由から消えてしまったもの・消されてしまったものをしっかりと惜しんだり、ということに凝っています。今住んでいる街は、引越して4年になりますが、こんなふうに意識していると、4年の間に気づかずに通り過ぎていたものも見えてきて面白いです。自分の中の退化を食い止めるためにも(?)、この街探索をしばらく続けていこうと思っています。

***   ***   ***

次回の記事では、自分が住む街や訪れた先の街で気になった建物や街の一角などについて写真入りでご紹介します。

ここまでお読みくださりありがとうございました。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?