愛することが、怖かった
今朝、出勤前の夫と話す時間があった
その話の中で、
いつも家族のことを考えて
頑張っていることへの感謝
そして、例え、今のように頑張れない状況になったとしても
今住んでいる、家がなくなったとしても
私も子どもたちも、夫を大切に思う気持ちは変わらないこと
を伝えた。
私にとって大きな出来事だった。
何かをしてくれるから愛する、大切にする。
その何かがなくなっても愛せるだろうか・・・
言い切る自信が今までの私にはなかった。
結婚したのも本当に純粋にそう思っていたのか。
損得はなかったか。
自問自答する時間が長かった。
離婚したくてもがいた時期、
それでもこの二人の関係に、家族一緒にいる未来はないのかと
傷つけあいながらも進んだ時期
結婚13年目。
暖かい時間もありながら子育てをする中で生じる
私の固定観念、夫の固定観念。
愛されること、愛を受け取ることも怖かったけど、
条件なく愛を与えることも恐怖だったのだ、と気が付いた。
不確かで、見えないそれを
安易に言葉にすることができなかった。
だって、あんなことも言われたし、あれだって許せないし、あの時は1人で頑張ったし、あれもあるから、許してあげないって
私がしてたんだ
愛を受け取れるようになり、凄く満ちているように感じていたけど
私は条件なく人を愛していい、
と、今日、今朝。
許してあげた。
いろんな過去が溶けていく。
それはこの先、
また傷つくかもしれないという恐れ
に左右されず、
傷ついたとしても、今のこの気持ちは真実
と。
与えることへの恐れを、一つ手放せたように思う。
なんでそんな経緯になったかというと、
夫が子どもたちに対して最近よく言う言葉が気になっていたから。
言葉はその人の概念を、奥底の恐れや想いを映し出す。
特に、とっさの言動は。
言動を批判するではなく、
上辺でジャッジすることなく
根底を夫婦で共有できて
より、関係性もまた一歩進んだように思う。
女性である喜びを味わい尽くす生き方講師
梅澤愛
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4/1 - 4/22
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