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啐啄同時

 山歩きをはじめたのは4〜5年前のこと。「富士山に一度は登ってみたい」という漠然とした思いが急に実現することになったのはひょんなことから。職場の近くで十数年ぶりにばったりと旧友に出会した (「でくわす」とは出会すと書くのか!)。この旧友から同様に長いこと御無沙汰している別の旧友へとつながり、その旧友が山歩きをしていることがわかり「富士山に登ってみたいんだよね」なんてことを言ったら、その夏に実現した。

 山歩き以前に波乗りをはじめた時も同じような流れだったことを思い出す。ばったり再会した旧友が波乗りをしていて、波乗りなど全く頭になかったのだが、数年はまった。思えば、以前近くに波乗りをしている人がいて、その記憶の種が発芽したとも思える。さらに遡ると、音楽をはじめたのも同じようなきっかけである。留学から帰国し復学したら、卒業したはずの音楽をやっている友人が留年していてばったり。意気投合しバンド結成。

 「雛が卵から出ようと鳴く声と母鳥が外から殻をつつくのが同時である (大辞泉)」という意味をもつ「啐啄同時」という禅語があるが、時間差はあるもののまさにその通りの展開である。上述した他にもどうにも説明がつかない偶然に遭遇しているが、考え抜いたあげく考えが抜けた。「然もありなん」である。「人知を超えたものがある」という、ある意味当然といえば当然の認識。あえて言挙げする必要のない「日常」という奇跡中の奇跡の話。