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【発達性トラウマ】片翼が落ちた飛行機みたいなわたし

母が、2泊3日の小旅行から帰ってきた。

母が今日帰ってくると思うだけで、なんだか頭がぼーっとして、のどのあたりが苦しく感じた。

娘は、ウンチをしていなくて今日で4日目だ。バレたら、きっとキツく怒られる(わたしが)。
母が出ていく日に謎に大量発生したアリたちは、まだキッチンから追い出しきれていない。こちらも、管理不行き届きということで、いろいろと言われるかもしれない。

部屋は、ある程度片付けた。
買い物もしたし、洗濯もしてる。
その他のところは、たぶん、文句はないはず。

そんなことを、頭のなかで考えて、身構えてすごすことは、当たり前の日常じゃないことを、最近のわたしはすこしずつ気づきつつある。


帰ってきた母は、買い物袋を手に持っていた。
「買い物してきたのよ、今日から数日分のパンとかね。明日からしばらく、買い物に行く時間がないから」

わたしが買い物をしてくるかもしれないということは、考慮には入っていない。買い物をしにいっていることに、気づいていないのか。アテにしていないのか。「どうせわたしがしなきゃいけない」と思っているのか。

わたしは、「買い物、わたしも今日してきたよ」と言った。

母は聞こえなかったのか、「あなたねぇ、お花たちにお水やりくらいしておいてよ。庭のバラが枯れてたわ」とわたしに言った。

そこか。
確かにここ2日、庭の水やりまでは思い至らなかった。

「水やり、してたけど。暑かったからね」
さらりと、口から嘘がでる。

怒られたり、言及されてばかりいると、子どもは息を吐くように嘘をつくようになることは、わたしが誰よりも一番知っている。理由は簡単。怒られたくないから。怒られるのが怖いから。

「ねえ。買い物、いってきたよ。パン、わたしも買ってきた」

もう一度言ったわたしの声は、やはり母には届かなかったらしい。母は、わたしの娘に、旅行のときの楽しかった話をたくさんしてあげだした。

...まあ、いいけれど。


しんどいなぁ、と思う。
5分も一緒にいなかったのに、もう疲れてしまった。

はやく、引っ越しをしようと思う。
いろいろな課題はあるけれど。
きっと、その方が、わたしはわたしらしく、生きていける。
そう信じて前に進まないと、やっていけない。


テーブルについた母に、定型文の「海はどうだった?楽しかった?」を投げかける。興味を示してあげないと、機嫌を損ねるからだ。

母は、海や旅行のあれやこれやについて、話しはじめた。すでに話に飽きてしまってわたしに語りかける娘をかいくぐりながら、母に相槌をうつ。「よかったね」「すてきだね」「そうなんだ」

最後まで、「あなたはどうだった?体調はどう?」の言葉は、なかった。

まあ、それも、いいんだけれど。


わたしの抱えるたくさんの生きづらさ。
誰かが、発達性トラウマを抱えて生きている人は、「まるで飛行機の片翼のエンジンが故障している状態で飛んでいるようなものだ」と表現していた。
その苦しさや、どこにも行き場のないやるせなさは、当事者にしかわからないことかもしれない。

「自分」が、ないんだなぁってことも、最近感じている。

それでも、これが “わたし” だから。
一歩ずつ、自分で自分を癒しながら、進んでいくしかないんだなぁ。
そう、思う。

さあ。一歩ずつ。

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