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マッチングアプリと映画ギバー(記憶を注ぐもの)の似て非なる匂い

AIがあなたのことを学習し
最適なパートナーをピックアップするマッチングアプリ

 昔みた映画の中のトンデモ話しが現実で再現される、まるで未来に生きている様な錯覚に陥るほど、科学や技術の進歩がめざましい今日この頃。昔話をすれば、デロリアン型のタイムマシーンで未来や過去を飛び交って波乱万丈が楽しい、バックトゥーザフューチャーの中で描かれた、自動でフィットするジャケットやシューズは登場するのか?レンジ一発巨大なピザや、立体映像の映画看板、そして人気のホバーボード。2015年が来るのが待ち遠しかった。今やAIがスポーツスタジアムや空港で膨大な数の人間の中から犯罪者を見つけ出したり、来るぞ来るぞと言われてなかなか来ない自動運転もすぐ目の前みたい。
 そんな中、近所の世話好きな仲人おばさんオススメのお見合いから、ナンパ橋やクラブ、合コンや出会い系パーティを経て、今やマッチングアプリがその座を奪ったとか、奪う勢いだとか。そして最新技術ではAI人工知能が登録者の好みやアプリ上の活動をどんどん学習していき、登録者にぴったりのオススメパートナーを厳選するんだとか?もう無駄に出会って無駄な時間を費やしたり、会ってみてガッカリする萎える気持ちもなく、時間とお金の浪費をすることなく、AIにお任せすれば素敵なパートナーと出会い幸せな結婚生活が約束される。てな塩梅になるとかならないとか。

SF映画の中ではAIに支配されるストーリーが多い

 有名な映画ではマトリックスがAIが支配する地球上で(地球なのか?)人類はAI達の電気エネルギーを生成する為の電池でしかなく、身体は培養液に浸かり、脳だけがネットワークに繋がり、仮想現実をリアル社会だと誤認識しながら生涯を暮らす。多かれ少なかれ見ている夢が、当人には現実の世界なので、無駄な争いもなく平和な日々が続く幸せな人生が営まれている。
 病気をなくす為、異端な悪巧みな考えをなくす為、意識や遺伝子を精査して、人類の中から優秀な遺伝子を残す為に政府やAIが結婚相手や子孫をコントロールする話はSF映画の中では定番のプロットのひとつである。
 最近みた映画「GIVER記憶を継ぐもの」では過去の歴史の戦争などを反省し、争いのない平和な世界を目指した近未来に人々は感情を抑える薬が義務で当たり前の生活を送っている。感情や記憶や色を忘れてしまった人類ではあるが争いのない平和な暮らしの中で、徹底された長老委員会の最適な管理のもと、決定された指示に従い、仕事や結婚相手を選別してもらい、子孫となる子供は委員会から提供され、また不適合な子供は処分され、人々の記憶から消され、平和に暮し続けている。
 その中で主人公は首席長老から「レシーバー(記憶を受け継ぐもの)」という職に任命され唯一、「ギバー(記憶を注ぐもの)」から人類が歩んできた愚かではあるが輝かしい歴史はもちろん、色と、愛情と憎しみや争いという全ての記憶を引き継ぐことになる。そして偽善的な平和に疑問を感じ、愛しい弟が処分されるのを嫌い、幼馴染の彼女に恋心を抱く。そんなテーマの映画だった。

AIは支配する存在なのかお友達なのか

 スティーヴン・スピルバーグ監督の映画の中では宇宙人やAIはいつも僕らの味方で大切な友人だったりする。けれども多くのSF作品の中では人類に牙を剥き、人類を破滅に追い込んだり、支配したりしようとする。宇宙人だって、地球を支配したり、占領したり、人類を排除しようとする趣が多い。どんどん自動化が進み、AIが進歩すると人類はAIに仕事を取られ多くの人々が失業して未来を見失った人々が路頭に迷うと言われたり、実労かわ解放され、もっとクリエイティブな幸福を感じられる新しい仕事につく可能性も言われてみたりもする。
 AIマッチングアプリで選んでくれた理想のパートナーは、文句も言わず、モラハラもせず、自分のわがままを聞いてくれる、勝手に自分を幸せにしてくれるパートナーであるはずもなく、生きていて感情を持った人間で、こちらと同じように向こうも要求をしてくるし、オナラもすれば、アホズラなポカンと口を開けた寝顔を見せるし、悲しい時はグチグチ愚痴を言うはずである。結婚は人生最大のギャンブルだ。なんて台詞もあるくらいで、賭けてみたものに最大限にリターンを得るにはそれ相当の努力と覚悟がいるし、一か八かで結婚した相手と上手く行く為には時間をかけて築き上げるものがあるのだから、それならば有意義な生活を築く為にAIに頼た分だけ誰かのせいにしてしまいそうな気もする。

インターネットが始まった頃ネチケットなんて言葉が流行った

 対1人にそれ相応の努力と時間をかけるのであれば、まだ見ぬ未来の人工知能に対しても愛情と希望を持てないのだろうか?宇宙人だって「初めまして、私は地球人です。こんな価値観とこんな文化を持って暮してます」なんて自己紹介から始めるべきじゃ無いだろうか?
 黎明期のインターネットでは必ず「初めまして」から始まった。インターネットエチケット「ネチケ」なんて言葉もあり、どこに住んでるのか、どんな年齢なのか、何も知らない相手には最大限の敬意を持って接しはじめていた。
 宇宙人が突如地球に現れ、何を目的に、人類をどう扱うのかも分からぬまま、ひたすらそこに存在し、彼らは彼らなりに人類とコンタクトを取る手段と方法を模索していたなんて映画もある。先に述べたスピルバーグの「未知との遭遇」では、宇宙人は招待状を地球に届け、理解を求め、そして招待状の時間と場所で「宇宙人と人類」が初めて会合を行った。
 初めまして、よろしくお願いします。いつの時代も出会いはドキドキ、ワクワクと同時に少しの不安が混じり合いますね。

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