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コミュニケーションの定義を考えさせられた出来事

私はおそらく、冷たい人なんだと思う。

ひさしぶりに、「言葉で人を傷つける」
ということを思い出した。

正確にいうと、
『あなたが私を傷つけるではなく、私が自分を傷つける』
と、私は思う。

一人一人に、少なくとも一つは、言葉の地雷をもっている。

子供の頃から「この子は顔だけよくて、あとは全くダメ」と、
言い続けられたら

大人になってから「綺麗ですね」って言われるたびに、
嫌悪感、不快感、怒り…を感じる可能性がある。

でも、本人が「私、綺麗なんだよね」と、
いい意味で受け入れていたら、
怒りを感じることはないだろう。

ようは、

「言葉の地雷を認めて、受け入れて、癒す」

ということ

それは、誰かがするのではなく、
本人しかできないということである。

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「相手を思って伝えれば、伝わる」
と言う言葉をきくけれど、

「自分が欲しい言葉しか、受け取らない」
と言う人には、どんな愛の言葉を伝えても、
暖簾に腕押し、馬の耳に念仏。

この言葉の前提には、
「どんな言葉でも受け取ります」
という要素が含まれているからだ。


ここ半月ぐらい、ずっモヤモヤしていた。

① コミュニケーションは、一方通行では成り立たないこと。
② 被害者ぶって、愛の言葉を悪意に変換すること
② 怒ったのはあなた自身、それなら、自分の機嫌は自分自身でとること
④ 傷つけるのは、他の誰でもなく自分自身であること

これがモヤモヤの原因である。

でね、ここからが
「私って冷たい人間😅」と思えることなんだけど、

あなたの理不尽な不満をぶつけたい相手は…
あなたのお母さんであったり、お父さんであったり、
あなた自身であったりするわけで、

支離滅裂な言葉の数々を投げてこられても
被害者ぶってんじゃねーよ💢 としか思えない。

あんなが勝手に怒って、その場から立ち去ったんだから
自分の機嫌ぐらい、自分でとれ。

拗ねれば誰かが、どうにかしてくれる、と
思っているから、「私は被害者」です。
という顔をすんだよ。

あーーーーめんどくさい💢

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でもね、半月のモヤモヤでわかったことは、

そんな言葉にイライラ💢するよりも
そんな言葉を受け止めてしまう
「ゴミ箱」役を本日限りでやめる事。

今まで、本当にごめんね。
自分にひどいことをしていたね。
と、ギューってして労わること。

これを知れただけでも
今回のことは、無駄な出来事ではなかった。

コミュニケーションは、

「どんなに言いづらい言葉でも相手を思って伝えること」
「どんな言葉でも受け止める」という

双方の関係があって、
初めて成立することなんだと思う。

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