私と向き合う・その2
<その1からお読みください>
「言っても無駄・無駄・無駄」
この思考は、子供の頃の出来事に関連している。
今まで、すっかり忘れていたけど、
「助けを求めるのを諦めた」
「誰も信用できない」という出来事があった。
子供の頃、家族で出かけた帰りの
電車の中でのこと。
酔っ払ったおじさんが、絡んできた。
当時、小学生だった私は、
怖くて何も言えず、同時に
「なんで、親なのに助けてくれないの?」
という怒りがあった。
酔ったおっさんに絡まれたのは、
ほんの少しだったし、殴られたわけでなく、
怒られていたような、怒鳴られていたような、
そんな感じだった。
親だけでなく、周囲の大人は、
だれ1人、声をかけてくれなかった。
そりゃそうだ。
だれも好き好んで、
面倒なことには関わらないよね。
親がそばにいれば尚更、
「放っておこう」ってなる。
私は、周囲の大人に
裏切られただけでなく、
自分の「親」からにも裏切られた。
この頃からだと思う。
「言っても無駄」
「言ったところで何も変わらない」
実際、勇気を出して
「伝えた」としても
逆に言いくるめられたり…
あたかも「正論」ですって顔して
あなたの価値観を押し付けてきたり、
「本当、反論するだけ無駄だよね」
と心の中で嘲笑う私がいる。
だから、誰が何を言っても
「事実は自分が知っていればいい」
「人に理解されなくていい」
「勝手に言わせておこう」
と言う思考だった。
「その思考だと、自分が辛いでしょ?大変でしょ?」
セッションの時に言われた言葉である。
また、見透かさてしまった…
過去に起きた「事実」は、変えようがない。
だけど、その時に傷ついた、小さな私に
大人の私が寄り添うことはできる。
大人の私は、その事実が起きた事件に
タイムトリップして、
酔っ払いのおっさんに、
たっぷり文句を言ってから
隣の駅のホームに放り出す。
周りの大人と自分の両親には、
小さな私が、気が済むまで。
たーーーーっぷりと説教をする。
言いたいことが言えれば
小さな私も、大人の私も納得するもの。
そう、私は「言いたかったこと」が
言えなかった。
言っても無駄なことだと、思ってた。
だけど、
小さな私に寄り添って、
「言いたいこと」を言ったことで、
「私の言葉は無駄ではなない」
という上書きができる。
飲み込むな、言葉を飲み込むな。
どんな言葉でも、
私は、自分の言葉を発する権利がある。
私の言葉は、尊い。
私の言葉は、とても美しい。
生きていれば、また、
「言っても無駄」
と、思うことがあるかもしれない。
思うたびに、
その感情を手放せばいい。
大丈夫。
私はありのままで愛される。
大丈夫。
私の言葉は尊い
と、何度も自分に伝えよう。
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