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信じる=誰かに期待する・ブラックの私が呟く

ライオンズゲートの影響と、アウトプット不足で、
思考がパンパンである。
こういう時は「ブラック」サイドの自分が忙しい。

一つ一つ、未消化の感情が沸き上がって、
思い出した事や言葉で「今更、なに?」ってイライラからの、

「あまりにも理不尽だった」と古い怒りが騒ぎ出し、
同時に「どんな結果であったとしても、自分で選んだことだから」と…

一旦自分をなだめては、
「いい子」でいたい自分に、更にイライラ💢

同時に、体調不調から思考回路が止まってしまい、
「どーでもいいわ」と投げやりモードへ。

未だかつてないほどの、不調と怒りとブラックモードと、
脳裏で繰り返される「理不尽」という言葉。

そして、突然、浮かんだ言葉がこれだった。


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人に裏切られたって思うときは、
「相手を信じているから」ってことなんだろうけど、

「信じる」っていうのは、多分
「あなたの価値観」が基準になっているんだと思う。

ぶっちゃけ、「信じる」=「私の期待通りになること」
ってことでもあるんだよね。

期待通りに事が運ばなければ
「それは裏切り」って感じるわけだし。

かといって、「自分を犠牲」にしてまで、
「相手の期待通りに」行動をする必要は全くない。



私は、無意識のうちに「誰かの期待通りに」行動することで
「自己承認」をしていたのだと、気がついた。

私はわたし。
私自身が自分を認めて、理解していればいい。

そういう自分もいるけれど、

「他人からの評価」や「人からの言動」に、
自分自身を振り回していたのも事実。

ブラックサイドの私になって、
気がつくこともあるものだ。

ブラックの私でもいい感じかも♡
なんて思うのもまた、私らしい。

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