自分がわからないと思っている自閉傾向のある人に捧ぐnote
自分がわからない。
そう思っていた頃、
私はワタシに禁止ばかりしていた。
頭で良い事だと判断した事だけ許可していた。
そして、
ある日気が付いたら
感情というものがわからなくなっていた。
そうなってもなお、
自分に許可をしていないなんて、
これっぽっちも思ってなかった。
これって怖い。
今はそう思う。
子供の頃
世の中の常識からして正しいこと。
それだけやろうと思った。
ステキな大人になるために。
それが素晴らしい人間だと
両親は教えてくれたし
学校の先生もそう言った。
私もそう思った。
誰も悪くない。
私の傾向。
私には完璧主義の傾向がある。
自分なりの理解から外れる事が
堪らなく苦しくて
曖昧な状況だと感じることはツラいと感じる。
少し脳の働き的に自閉傾向があるせいだ。
意味のない女子トークをするのはナゼ?
それに意味あるの?
正しくはないがそっとしておくってどういうこと?
正しくないものは直さないといけないんじゃないの?
そんな普通の人にとっては
どうでもいい疑問がどうでも良いなんて思えなかった。
まわりの大人に聞いても
誰も満足な答えをくれなかったし
自分で探しても見つからなかった。
そして相談した相手は
スゴく難しく物事を考えてるんだね。と私に言った。
誰も悪くない。
お互い素直に思った事を話しているだけ。
なんか人と違う。
子供心にそう思った。
小さな私はいつもみんなと同じになれなくて
苦しかった。
仲間外れにされるのではと不安だった。
そして処世術の1つとして
「悪いことをしない」を自分に植え付けた。
もちろん
「悪いことをしない」のは
素晴らしい事だ。
本心からそれが素晴らしいと
思っているのであれば。
でも私の場合間違っていた。
「悪いことをしない」の受け入れ方が間違っていた。
私の「悪いことをしない」の出所は“恐怖”。
恐怖からの禁止は幸せを運んで来ない。
だから私は
感情というものがわからなくなった。
恐怖から出た「悪いことをしない」というルールは
反動で
正しいことをしていると感じた時には
強気で自分の正論を主張するという私を産み出した。
今から思えば当たり前。
その頃の私は
世の中の常識からして正しいこと。
それだけやろうと思っているのだから、
悪いことはNG。
全力で自分の正しさを守らなければ
私は悪いことになってしまい
悪い私はNGなんだから生きていけない。
生きる価値がわからなくなる。
だから私が間違ってるなんて許しちゃダメなんだ。
無自覚に心の深い部分でそう信じているのだから
自分の「正しい」を守るため必死になる。
こんなだった私が
少し私がわかるようになり、
楽しいとか悲しいとか
マヒしていた感情を取り戻したキッカケは、
笑っている私を見て娘が言ったこの一言だった。
「ママ、どうして笑わないの?」
血の気が引いた。
私は笑っているはずなのに。。
私は何か大きな間違いをしている。
そんな気がした。
そこから自分と向き合い始めた。
今もまだ向き合いながら
試行錯誤している。
試行錯誤しないで生きる日が来たら
もっと幸せが溢れるのかもしれない。
だけど今は
試行錯誤するしか脳がない。
そして試行錯誤する私を私が許している。
試行錯誤しながらいろいろ掴んだノウハウが
私以外の人の幸せも作れるかもしれない。
なんとなくそう思い出したのは
今年に入ってから。
こんな私は
自分が迷子になったあなたの話を聞きたいと思う。
私はまだパーフェクトではないから
答えが見つかるかわからない。
でも一緒に考える事はできる。
一緒に試行錯誤する事はできる。
あー、、
あぁー。。
ここまで書いて
noteのまとめ方がわからない。
困ってますよ。今。
宇宙エネルギーに興味があるあなたへ愛を込めて