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「茶の湯」と「茶道」の違いは何か?

日本文化に興味を持つ人が少しずつ増えていると聞いています。高級車のテレビコマーシャルに抹茶を点てている男性を使ったり、金融機関のお得意様向け冊子のグラビア背景に茶道具の写真がさりげなく載っていたりと、茶道文化も着目されているようです。ところで、茶道って言ったり、茶の湯って言ったり、その言葉の違いはなんでしょうか?
今回は、「茶の湯」と「茶道」の違いをお話しします。

茶の湯とは

「茶の湯とは、ただ湯をわかし茶を点てて、のむばかりなることと知るべし」と千利休がおっしゃったそうです。
つまりこれが“茶の湯”の定義ではないでしょうか。

茶の湯は、お茶を振舞う亭主と、招かれた客とが心を通い合わせて、一期一会を大切にしています。一期は一生、一会はただ一度の出会いです。 茶席で何度同じ人々が集うとしても、今日の茶はただ一度限りと、亭主も客もともに心して臨むものです。
このような気持ちを持って、そこに集った人たちでお茶を楽しむことが、茶の湯です。

茶道とは

一方、茶道はというと、単なる抹茶を供すること・抹茶を飲む事、ではなく、禅宗の根本的な考え方に通じています。人の心を養い、人間の価値を高めるための一つの教えとして学ぶ一面があります。

特に禅で教えられる精神を基にしていますが、禅の精神は、みずからを律し、万物に感謝し、ムダを省き、生き方を見つめ直すことではないでしょうか。万物に感謝することは、人を尊重し、物を大切に扱い、自然までも尊重することと捉えています。
しっかり茶道を学ばれようと思われる方は、自己の修練の場として、一つずつ作法を習得することを通じて、自らを律し、精神を鍛えることも大切となってきます。

茶の湯と茶道

茶道裏千家第十六代、千宗室お家元は、かつて次のような文章を寄せておられました。
『一碗のお茶をまず自分が楽しみ、そしてその一碗をお人と分かち合う一期一会の機会をもつことが“茶の湯”。一方、茶の湯を楽しむ一人ひとりが立ち止まって自分の歩んできた道を振り返った際に、その道が利休居士に続いているということを確認すること、それが“茶道”なのです。』と書かれています。(淡交タイムズ2009年12月号巻頭言から抜粋)
http://www.urasenke.or.jp/textm/headq/soke/times/times200912.html

一般に“茶の湯”と“茶道”という語が共存しているところからも推察されるように、ある時は主客が心を通わせて楽しく、ある時は自らを律し厳しく修業するものと思っています。

こころを通わす”茶の湯”の実際

茶道は作法が難しそうでとっつきにくいと、思われるかもしれませんが、こころを通わす茶の湯と思えば、気楽で楽しいものです。
その実例を、高校茶道部の文化祭でそれを見つけました。
茶道部員が点前をして、友達や家族などのお客様に披露します。
ひと前で点前をするなんて、ほとんど経験のない茶道部員ですが、緊張のなか一所懸命にもてなしの心で点前をしていました。
お客様の方も、静かに、その空気感を受け止め、心のこもった丁寧な点前に感動してくれました。その場の一体感が自然とできあがり、「とっても良かった」と言ってお客様は帰って行かれました。茶の湯を通じて素晴らしい時間がすごせました。

さいごに

”茶の湯”と”茶道”の違いがおわかりいただけましたでしょうか。
茶の湯を通じて心を通わすことは、この上ない楽しい時間をつくることとなることでしょう。そして、より心地よい場となるよう、茶道の修業をすることも、また充実したものです。
茶の湯、茶道、どちらも楽しんでみてはいかがでしょうか。


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