日常と野球

気が狂いそう

その一言で滂沱の涙が頬を伝った。相当張りつめていたことが自覚できた。
日常を渇望し、日常を野球に求めていたのだ。
2011年4月2日の京セラドーム大阪で体験したことは、もうないと思っていた。

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2019年3月31日22時、駅前の温度計は氷点下を示していた。
「思ったほど寒くないな。」
インフラ関連の企業に勤務して20年目、異動でやってきた初春の長野の夜は、雪国生活初体験の私を風のない気候でやさしく迎え入れた。
NPBの存在が当たり前のようにある生活を43年過ごしてきた私にとって、はじめてNPBの存在が薄い地域で暮らすことになった。

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職場の歓迎会が4月の中旬に行われた。
顔も名前もわかってない状態で、何を切り出せばいいのかわからないので「NPB、どんな具合っすか?」とご機嫌伺いみたいなトークテーマで各席を回った。

・NPBの試合はまず見ない
・長野出身のプロ野球選手っていましたっけ?
・見るのは高校野球ぐらいかなぁ
・独立リーグ?たしかにありましたね。

長野生え抜き組の皆様の反応はこうだった。
東京、大阪とNPBのチームが当たり前にある環境で生活していた私には目から鱗が落ちる思いだった。しかし、このような反応となる地域の方が多いのかもしれない。
世間はNPBを中心に野球が回っているはず、という思い上がりを恥じた。

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6月、社会人野球の全国大会「都市対抗野球大会」の地区予選の季節だ。
2019年の北信越地区予選は長野が会場だった。

長野市からは信越硬式野球クラブが全国を目指して長野県の一次予選を勝ち上がってきた。
地元を愛する男として、早々と信越硬式野球クラブの応援席に陣取ると応援団メンバーに見慣れた顔があった。
たしかに彼はこのチームを関わりの深い業務を普段行っているが、東京在住だったはず。なぜ、ここに?
試合が終わってから、応援団の出待ちをして聞いてみた。

「どうしても地元に残る応援団メンバーは転勤などで少なくなるのでね。そうなると編成できなくなるので、長野での勤務経験者やチームに関わりある会社所属の応援団経験者を招集します。」
では、応援のフォーメーションの合わせは?新企画とかありますよね?
「当日試合直前に合わせます。リーダー経験者が多いから話が早いんですよ。」

応援団のアベンジャーズは信濃にいた。そして地場に残る野球が少ない現実もあった。

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2019年10月6日、台風19号が長野を襲った。
インフラ復旧のため、発災から一週間は気が張り詰めていた。
設備対応のためクルマで郊外に出た帰りに、住宅地のうどん屋に立ち寄った。意外とはやっている店で、作業服を着たおじさんたちで満席だった。
地元一般紙を読み終え、スポーツ紙に目を通し始めた。一面から読み進めて、テレビ欄まで到達した。
テレビ欄には日本シリーズ第一戦中継の文字があった。

え、日本シリーズって今日からなの?

完全にNPBのスケジュールが頭から抜けていた。さらに言えば、頭に入ってこなかったのだ。スポーツ紙の野球記事を読んでいたはずなのに、今日から始まるんだ!という高揚感が湧いてこなかったのだ。
長野の地に来ても東京在住時と変わらず、ラジオでご贔屓チームを追い、クライマックスシリーズの結果も追っていた。なのに、何かが違う。

背景としてNPB全体の流れを感じる環境ではなかったことが考えられる。周囲に年間のペナントレースをどうこう語る方がいなかったことも大きい。
そして、かすかに残っていたシーズンの流れの感覚が千曲川の濁流に呑まれた。日常から非常に変わってしまい、娑婆の出来事が頭から切り離された。

「野球を通じて元気づけたい!」
これは日々野球に接している方々にしか響かない。そもそもの野球に通じてないところに、日常から切り離された状況になれば、なおのこと届かない。
届くとするならば、それは日常を取り戻しはじめたときなのだろう。

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2019年10月26日、私は長野から京セラドーム大阪に社会人野球日本選手権を観戦に来ていた。
幸いなことに業務に関わる災害対応は終わっていたが、職場ではまだ自宅に戻れない方がいた。
そのような環境の中、私は日常を取り戻したくて球場に足を運んだ。

ビジョンにはこの大会に参加している東芝の企業CMが流れていた。

 情熱の真っ赤な薔薇を 胸に咲かせよう

甲本ヒロトの歌声が8年前の京セラドーム大阪に記憶を戻した。


2011年4月2日、この日は「プロ野球12球団チャリティーマッチ」バファローズ対マリーンズ戦が行われた。
東京の重苦しい空気に耐えかねた私は、贔屓のマリーンズを追っかけるという口実で大阪に外の空気を吸いに行った。
関東地区の球場と異なり、ガラガラの観客だった京セラドーム大阪。
スタメン発表時にブルーハーツの「人にやさしく」が流れた。

 気が狂いそう

その一言で滂沱の涙が頬を伝った。相当張りつめていたことが自覚できた。
日常を渇望し、日常を野球に求めていたのだ。

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日本製鉄鹿島応援席の歓声で我に返り2019年秋になった。。
グラウンドは涙で滲んでいた。
野球が当たり前にある環境から離れて8ヶ月、かつての当たり前は容易に忘れ去り、忘れたことすら気が付かなかったことを思
い知らされた。

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そして2020年4月3日。未だ、開幕していない。


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