幸せを追い求めるということ

私は幸せについて定期的に悩むことがあるのですが、その根本的な理由がなんとなくわかった気がしたので、ここに書きたいなあと思います。

まず、私が小中高と勉強を頑張り続けてきたのは、勉強を頑張れば頑張るほど幸せになれると教えられてきたからだと思います。

周りの人よりも幸せになりたい、お金に困って自分がやりたいことができなくなるのは嫌だ、親に少しでも楽をさせてあげられるくらい稼ぎたい、女子に生まれてきても、ちゃんと一人で生きていけるように頑張ってお仕事をするんだ!そんな気持ちを糧にして、勉強、勉強、勉強の日々を過ごしてきました。

本当に頭のいい人は、そこまで中学や高校の時から死ぬほど勉強しなくても医学部に入学できたかも知れませんが、私はそんなことがありませんでした。

勉強して勉強して、教科書を読み漁って、必死になって勉強しました。

今振り返ると、よくもまぁあんなにも勉強したもんだなぁ・・・

今、同じ勉強量をしなさいって言われたら、無理かも・・・(汗)。


そこまで自分を追い込みながら試験勉強などをしていると、ふと気づくことがあるのです。

それは、自分はどれだけ頑張っても、一番にはなれないということです。

もちろん、努力はしてきたつもりではありますが、結局、上には上がいて、勉強すればするほどわからないことが出てくるんですよね。

そうすると、いつか幸せになれるだろうと思って勉強し続けてきて、一番最初の時よりかは前に進んでいるはずなのに、どこに向かっているのかわからなくなるんです。

勉強すればするほど、もっともっと進まないといけないような気がしてきますし、今の自分ではダメだなぁと自信がなくなります。

幸せになりたくて努力してきたはずなのに、この頑張りは幸せにつながっているんかなぁ・・・です。

でも、今日、ある方のお話を聞いて、自分とは違う視点があることに気がつきました。


勉強をしなくてもお金持ちにはなれる。勉強をしなかったからといって、幸せになれないわけじゃない。

でも、もっともっとお金持ちになって行ったり、もっともっともっと上に行きたいって思ったりした時に、それを叶えるためには勉強が必要になるんじゃないかと。

そう考えれば、勉強ができている、勉強をしないといけないと思える、そんな環境に居られること自体が幸せなんじゃないかなぁと思えるようになったんです。

発展途上国では、勉強したくても勉強できない子がいる。

「お金がなくてやりたい勉強ができない人がいる、だから勉強ができることに感謝しないといけないよ。」

これは、親に言われたことのある言葉ですが、その時にはあんまり自覚を持てなかったし、自分としてはそんなにも裕福な家には生まれてきていないけれども、それでも努力して医学部に受かったんだから、誰でも努力さえすればできるでしょ!っていう思いもありました。

でも、今日、親が言っている意味がすこーしですがわかった気がしたんですよね。

そうやって自分の考え方を進化させて、ちょっとずつちょっとずつ前に進んでいくことが大事だなぁって思いました。

勉強に行き詰まったり、辛くなったりした時には、今日のこのnoteを読み返してもう一度前を向いて進んでいきたいなぁと思います。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?