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月無き夜の小夜曲(セレナーデ)/2.会議室といっても様々だ。

本編

「ここ……か?」

 目的地にたどり着いて最初に日向(ひなた)の口から出た言葉は疑問形だった。
 それもそのはずである。

 目の前にある建物は「メイド」とも「使用人」とも「面接会場」とも結びつかないマンションなのだから。

 一応、立地は良い。東京都心、池袋駅から徒歩数分といったところだろうか。

 表通りから一つ入ったところではあるが、おおよそ生活するのにも困らないのではないかとは思う。

 ただ、このマンションに住んでいる人間が使用人を求めるとは正直考えづらい。

 と、いうか、一室一室が狭すぎて、使用人を雇う必要がないのではないだろうか。
 さて。

 ここに来るまでは一切意識していなかったが、流石にここからは番組《チャンネル》を買えた方が良いだろう。いつも使っている51.5では失礼になってしまうかもしれない。やはりここは「他所行き」の番組《チャンネル》10.6がふさわしい。

 そうなれば話は早い。日向は通行の邪魔にならないようにマンションのすぐそばまで行き、足を止め、目をつぶって意識を内側へと向ける。

 外界との接続をシャットアウトし、聞こえてくる音を「意識」せずに「あるがまま」に吸収する。そして、内部にある「楽しき日々」に、その中にある番組《チャンネル》10.6に集中する。深く、深く入りこみ、

「これでいい、かな」

 目を開き、意識を浮上させる。既に番組《チャンネル》10.6に切り替わっている、はずである。試してみよう。

「初めまして、早川《はやかわ》日向と申します。メイド募集の面接を受けに来たのです」

 小声で練習。どうやら問題はないらしい。いつもよりも高めの声、柔らかい口調。とても「怒る」「人を騙す」などといったこととは無縁と思われる清い声がそこにはあった。調律《チューニング》はうまくいったらしい。

「成功、かな」

 無事、番組《チャンネル》10.6に切り替えることもにも成功し、いよいよマンションへと足を踏み入れる。内部は外見よりもさらに「メイド」というフレーズからは程遠かった。

 ガラス戸のしまった管理人室に、奥に見える郵便受けの数々。正面のエレベーターは明らかに昭和と平成の時代を生き抜いてきたと思われる歴戦の猛者だ。一応階段もあるようだが、非常階段も兼任しているようで、建物の外を通っていた。

 このなんの変哲もない、古めかしいマンション。その四階が面接会場となっているらしい。ホントだろうか。

「…………行こう」 

 軽くこぶしを握り、歩みを進め、エレベーターのボタンを押す。上層階を指し示していた表記はほどなくして段々と数を小さくし、その数字が「1」になった段階で、無人の箱が目の前に現れる。その間誰かが通りかかるということは一切ない。

 正直なところ安心した一方で。番組《チャンネル》10.6がきちんと機能しているか確認する機会を逸してしまった。今考えてみれば、どこかで試してみればよかったような気はする。何せこの番組《チャンネル》はほとんど使うことがないのだから。

 エレベーターに運ばれてたどり着いた4階は、やっぱり「メイド」の雰囲気のかけらもなかった。どちらかと言えば「通いの使用人がすむ格安マンション」といった方がいいくらいで、廊下も大して広くはない。

「409……409……」

 部屋番号を照らし合わせながらゆっくりと歩みを進め、やがて一つの部屋に突き当たる。

「貸し会議室……」

 漸く合点がいった。

 つまりここは、あくまで面接会場でしかないのだろう。思えば住所を調べてみることもしなかったのもうかつだったとは思うが、男性として申請したにも関わらず一切のおとがめなしに面接の知らせが来たことで若干舞い上がっていたのかもしれない。
 再度メールに書かれている住所を確認する。

 間違いない。

 この先に「メイドを探している雇用主」がいるのだろうか。

 失礼があってはいけない。ポケットからハンカチを取り出して手の汗をぬぐい、ひとつ深呼吸をする。余談だが、ハンカチも女性ものと言って差支えの無いものだ。ここまでこだわる意味があるかは知らないが、やるなら徹底した方が良いだろう。

 呼び鈴を押す。

 すると「ビィー」という何とも古めかしい音が鳴る。

 暫くすると、

『はーい?』

 女性の声だ。日向は一つ唾を飲み込み、

「あの、面接に来たんですけど……」

『あ、次の人ね。どうぞー。鍵は開いてるから入って入って』

 なかなかフランクな対応だが、油断してはいけない。日向は「分かりました」とだけ告げて、ゆっくりとドアを開け、室内に入り、靴をきちんと揃えた上で、ゆっくりと室内へと入り、

「失礼します」

 ひとこと挨拶を述べる。その間に感じたことと言えば「思ったよりも大分狭いな」ということくらいなもので、

「ん。そこ座って」

 室内にいたのは女性が一人だけだった。恐らくは先ほど応対してくれたのも彼女だろう。ノートPCと手元の紙をにらめっこしていて、まだこちらには視線を向けていない。日向は彼女の向かい側のソファに腰を下ろし、

「あの、よろしくお願いします」

「ああ、うん、よろしく。ごめん、ちょっと待ってててね」

女性はそれだけ言って再び意識を手元の資料に移す。四角いレンズの赤ぶち眼鏡に、ポニーテールには遠く及ばない、邪魔だからまとめただけと思われる結んだ後ろ髪。その色はやや暗いブラウン。それが染めたものなのか地毛なのかはぱっと見ではわからない。
 
 顔立ちは整っていて、美人というよりは美形という表現が正しそうだ。だがその一方で、着ているのはスーツなものの、ネクタイはしていないわ、上着は脱いでソファーの上に適当に放置されているわ、袖まくりをしているわで、仕事の出来る女というよりは締め切り間際の雑誌編集者という雰囲気が漂、

「あ!君か!」

 突然だった。

 突然すぎてなんのことか分からなかった。

「えっと……」

 だから日向はたずねようとした。その瞬間、女性は顔を上げ、

「え?嘘?マジ?」

 まじまじと日向の顔を眺め、

「うっそぉ……こんなことある?いや、確かに指定はしなかったけど、でもこんなうまい話普通ないでしょぉ……いや、こんな簡単に転がってるもんなの?やべえなぁ現代」

「あの、一体何のことでしょうか?」

 女性は漸く我に返ったと思うと、

「採用!」

「……………………はい?」

 意味が分からなかった。

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