支援職ということ

療育を離れて何も無くなって、いろいろ気がつくことがある。
仕事をしていた頃の自分を振り返ったりする。
自分の奢りだったり、勘違いもあったなぁ、とか。


自分の生育歴と向き合った時に「アダルトチルドレンのプラケータータイプ」にどハマりしてるやん、って気が付いた。
その解説に「慰める人を探しており、その人を慰めることで自分の存在意義を確認しつづけないと不安」という文章があり、ズバリ言い当てられたのとそんな仕事をしている自分に気持ち悪さを覚えた。すごく嫌だった。
支援職は利用者を使って自己満足してるんだ、と嫌気がさした。

最近になって、いろいろな人と話す中で自分の偏りに気が付いた。
飲食店をやってきた友だちも「おいしいものを提供して人を喜ばせたい」と話していたのは、これも根底には「人の役に立ちたい」があるんだと思った。

昨日元CAお笑い芸人CRAZYCOCOのYouTubeを見ていたら、
「お笑いで人を笑わせい、幸せにしたい」と言っていて、これも同じ思いが根底にあるんだと思った。
さらにさっき、12月18日配信の渡辺直美ちゃんのYouTubeでも、彼女が涙ながらにミュージカルヘアスプレーをやってみて、自分がとても支えられたという話をしていた。支えられた分今度は自分が周りの人を支えられるように行動したい、と。これも一つ、人の役に立とうとする姿なのかな、と思った。
以前蛙艇の岩倉もマジ歌選手権で、お笑いに救われたから芸人になりたかった、お笑い芸人の道を選んだ過去の自分ありがとう!と涙ながらに歌っていた。
声優の中村悠一も年末のYouTubeで、「仕事を入れる年と抑える年を作ったら、何かをインプットしないとアウトプット出来ないことに気が付いた。何か感じる物が無いと役者として吐き出す物が無かった」と言っていた。
なるほど、エンタメも人に幸せや夢を与える=人の役に立つ商売だな、と思った。
そして、やっている彼らも感受性の人たちで、感じるものがないとアウトプットも出来ない、と。


世の中の仕事はやはりこの思いで成り立っているところが多いのかもしれない。社会に出るということは人と接することだし、給料の他にやりがいもないと続かない。どこに重きを置くかは人それぞれ。

支援職で大事なのは、人との距離感と自分に酔わないことだと思った。
もともと感情労働だし、感受性のかたまりの自分なので、情緒的に巻き込まれないこと、線引きをすること、承認欲求に酔わないことなのかなぁ、と思う。全部が〇か×なのではなく、適度にこなせるのがあるといいなぁ。人のふり見て我が振りなおせ。


同じ業種の友だちと話した時に「ミイラ取りがミイラになる」話もした。ある程度の割り切りも必要で、それは自己防衛にも繋がる。


一旦業界を離れないと分からないことがたくさんあった。
しばらく無職をやってみて正解だったと思った。


最近ようやく「これでいいんだな」と思えるようになってきた。
人から指摘を受けると「そうしなきゃ!」と思う自分もいたが、それはそれ、うちはうち。

自分の価値観を大事にしよう、迎合しなくてもいい。自分を大事に。
あらやだ、前の仕事で子どもたちに言ってきたことだわ。
前に関わってたお母さんが言ってくれたことを思い出した。
「みや先生が私たちにやってきたことを、今度は自分にしたらいいよ」
ああ、名言だなぁ。ありがたい。
私も支えられている。

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