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身の回りに自然を探すこと

私はとても神経が過敏なので、ちょっとしたことで動揺したり、心が乱されてしまう。例えば、歩きタバコをしている人が溝にタバコをポイ捨てしたところを見てしまったとき(歩きタバコとポイ捨てはたいていセットで発生する)。せっかく気分よく朝のお散歩を楽しんでいるのに、それだけでもう爽やかな気分が台無し。心がかき乱され、その気持ちをずっと引きずってしまう。

声の大きな人と遭遇してしまったときにも、心が乱される。ただ話し声がでかいだけなのに、恐怖で縮こまったり、すれ違った後もその声が頭の中をこだまし、ちゃんと処理しないといつまでも嫌な気持ちを引きずることになる。

こういう負債を心の中にためこんでいくと私はすぐに体調を崩すので、純粋な自衛の意味で、見てしまった嫌なもの、聞いてしまった嫌なことを心の中から素早く追い出すためにはどうすればよいか、試行錯誤を繰り返してきた。

私が行きついた方法のひとつは、「自然を探す」というものだ。自然に触れるだけで、心の中のネガティブな想念は浄化されていくそうだ。

とはいえ、私の住んでいる地域は自然からはちょっと遠い。ちょっと歩いたところで公園すらない。その辺をうろうろしても、自然のなかに身を浴すなんてことはとても無理な話だ。

それでも、無理やりに自然を探してみる。大通りに並んだイチョウ。道路脇の植え込み。民家の軒先に置かれている鉢植えの花。アスファルトのひび割れから出てきた雑草。コンクリートの隙間からのぞく緑の苔。探せばあるものだ。

それを、「あった!あった!」と探しながら歩いていると、だんだん気持ちが切り替わっていく。大自然に浴さなくても、ちっちゃな自然が私の心を癒してくれる。

イライラしている時も、よく私はこの方法で気持ちを静めている。躁鬱の症状である病的なイライラの時には薬のお世話になるしかないが、外的な理由でイライラした時には、とてもよく効く。

部屋で観葉植物を育てるのも、心の安定にとても役立ってくれている。植物は育てている人の気を感じるというので、枯れてしまったときは「自分から悪い気が出ているんだな」と申し訳ない気持ちでいっぱいになる。順調に育ってくれるととても嬉しいし、自分も健康なんだなと思える。

人間も生き物。自然と触れ合って時を過ごすということはとても大切なんだろうな。今日も、いつもの通り道の街路樹に「ありがとう」と言ってきた。


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