聡太くんうちに来て二年おめでとう! 2024/5/8
聡太くんが我が家に来て2年が経った。たぶん、聡太くんと初めて会った2022年5月8日のことはずっと忘れられないのではないだろうか。
その日は日曜日で、昼に図書館の駐車場で、聡太くんを預かってくれていた人から聡太くんを引き取った。聡太くんは洗濯ネットに入れられていて、とても小さかった。
母氏は図書館員なので、図書館の人たちにも「子猫が来たら見せて」と言われていて、図書館の倉庫にちょっとだけお邪魔して聡太くんを見せた。みな聡太くんのでっかいおててを見て「この子きっと大きくなるよ」と言っていた。まあお腹ゆる太郎だったから巨大猫にはならなかったのだが。
そして家に帰ってきて、茶の間に放してやり、新しいトイレに分けてもらった砂をいれた。それだけでトイレを覚えるのだから猫というのは大変賢くて行儀のいい生き物だと思う。
そして聡太くんは真っ先に父氏の膝にいき、そしてわたしと母氏にシャーと唸った。そしてその日の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」は壇ノ浦合戦の回であった。
なかなかUNKOをしないなあと心配していたら、夜になってキューキュー言いながらUNKOを出した。その様子がなんだかすごく可愛かったのであった。
それから1ヶ月くらい、母氏と交代で茶の間で寝ていたのだが、毎朝足をかじられて起こされた。顔を叩くとかでなく足をかじるのだ。クセがつよい。
聡太くんは昔も可愛かったがいまもすこぶる可愛い。子猫時代というのは一過性のものだが、猫というものはそもそも全てにおいて可愛いのである。
猫は悪いことをしても犬のように叱ってしつけることはできない。本人は悪いことをしたなどとは微塵も思っていないからだ。犬はなにかやらかすと申し訳ない顔をしたり目を逸らしたりするわけだが、猫はそういうことをせず堂々としている。
いや犬はそういうところが可愛いのだ、そもそも犬と猫は可愛さのベクトルが違う。犬は戻ってこない飼い主を駅で待ち続け、猫は文学作品のなかで擬人化されて人間の生活を観察する。そういう違いなのだと思う。
猫は可愛い、聡太くんと2年暮らしてしみじみそう思う。もちろんたまちゃんも可愛かったし大好きだ。猫というのは、命というのは尊いなあと思う。
さて、きのうグーグルフォトが半分まで来たと書いた。サブスクを真面目に検討し始めたのだが、計算してみたらどうやら一番安いプランで聡太くんが20年生きても問題ないだろうということが分かった。
家族はユーチューブだ音楽アプリだと当たり前にサブスクに入っているので、ごく小さい額のグーグルのサブスクに入っても文句は言われないだろう。
ただ、いま獣医学の研究はとても進んでいて、猫が30年生きる時代はもう目の前だという。そうなるとグーグルのほうが早くポシャる気がする。
まあもうちょっと容量を食ってきてからでも大丈夫だろう。ゆっくりやろうと思う。
聡太くんが我が家にやってきた次の日、動物病院に連れて行ったらいつもの獣医さんは特に猫エイズや猫白血病の検査などせずに「ちょっと痩せ気味だけど健康!」とお墨付きをくれた。つまり大らかに面倒を見ろということなのだと思う。検査はチョッキンするときにやったが問題はなかった。
きのうの夜、聡太くんが変なものを飲み込んでしまったらどうしようと突然不安になって、物置のビニール類を押し入れに押し込んだ。
でもきっと本人も加減がわかっているから吐くだけで済んでいるのだ。あまり心配しないで様子をみようと思う。