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きょうの聡太くんとプレイバックたまちゃん 2023/4/28

 聡太くんのお腹のサプリメントが届いた。きょうび珍しくコンビニ払いのできない通販なので代引きを利用したのだが、宅配便のお兄さんがピンポーンときても聡太くんはぐっすりと昼寝をしていたのでちょっと顔を上げただけだった。
 なにやらサンプルもいろいろついてきた。しかし高いのだが。箱を開けてエアパッキンを取り出したら聡太くんが起きてきてエアパッキンを噛もうとしたので、とりあえず隠して、サプリメントも棚に入れた。箱を喜ぶかなと思ったがスンスンしただけでやめてしまった。
 たまちゃんは箱や猫転送装置に興味のない子だったので、聡太くんが箱に入ろうと頑張るのは新鮮でかわいいと思う。しかし気にいる箱とそうでない箱があるのだろう。猫の考えていることは哲学的である。

毛布地層から発見されたニャンモナイト。


 きのう、えねっちけーで「魔改造の夜」を放送していた。地上波で月一のレギュラー番組になったそうだ。夢中で楽しく観ていたら、聡太くんが不満げな顔でこちらを見ていた。遊んでほしかったらしい。
 ボールを投げてやると夢中で追いかけてジタバタしていた。今朝も少し遊んだ。楽しく遊ぶとそのあとは眠くなるようだ。分かりやすい。
 不機嫌な聡太くんの仏頂面というのが、ときどきタローマンに見える。人間の食べている魚を奪うというべらぼうな夢があるからだと思う。
 きのうの人間の夕飯はタラのパセリ焼きだった。なんのことはないタラにパセリとバターで味をつけたのを買ってきて焼いたのだ。たぶん聡太くんは食べてみたいと思っていたのだと思う。
 そういえばきのうの昼に食べたドーナツも、聡太くんは強奪しようと頑張っていた。油と小麦粉と砂糖の匂いがしたのだろう。どうしてこうも食欲が激しいのか。
 人間の食べ物はなんでもおいしそうに見えるのだろう。そりゃ食べさせてやりたい、お刺身もチキンも焼き魚のしょっぱくないところも、なんでも食べさせてやりたい。しかし聡太くんはお腹が弱いので食べさせられない。悲しいことである。

「おとーさん、だいどころでなにしてるのかな」


 どうも、「ペット」という言い方が好きになれない。
 ペット、というのは撫でて可愛がるもの、ということだ。確かに聡太くんを撫でるのは楽しい。しかしそれは聡太くんの同意なしにやってはいけない。あるいは寝ているところをそっと撫でてやるくらいだ。
 聡太くんはしっかりとした人格、いや猫格がある。たまちゃんや昔飼っていた犬もそうだった。犬や猫にも気持ちというものがあって、人間を「なでてもかまわないひと」とか「けんかをうっていいひと」とかそういうふうに認識しているのだと思う。
 その、一個の生き物であるという尊厳を、「ペット」という言い方は否定している。「ペットは家族」ではない、「犬は/猫は家族」だ。あるいは「鳥は/うさぎは/モルモットは/ハムスターは/フェレットは/ヤギは/カメは……(以下延々と続くので省略)家族」である。
 家族であるならば、理想としては互いに有益な関係でなければいけないのだと思う。人間は猫の世話をする代わりに、ふわふわで温かくて可愛い猫という生き物と暮らすことができる。
 逆に言うと動物園で専門の知識のある飼育員でないと飼えない動物は、一般人が飼っても幸せにしてやることができない。それなら飼わないほうがいいのだと思う。
 だから、わたしだって幸せにできるはずなのだから、聡太くんとずっと幸せに暮らせることを願うばかりである。

 灯油の宅配をお願いしたらガチの同級生の男子がやってきて灯油を入れてくれた。相変わらずだいぶ太っていたが、太り方がすっかりおじさんになっていた。歳をとるってこういうことか、と思ってしまった。
 もしかしたら奥さんとか子供がいるのかもしれない。いい旦那さんやいいパパをやっていたりするのかもしれない。時の流れは一瞬である。
 わたしは人間の家族を新しく作ることは諦めているので、結婚したり子供をつくることはないだろう。その代わりに聡太くんがいるのだ。聡太くんと幸せに生きていくぞと強く思う。

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