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きょうの聡太くん 2024/5/31
弊noteの記事を、誰も見ていないのだが毎日インスタのストーリーズにシェアしている。
誰も見ていないのだがやらないよりはやったほうがいいよねとやっているのと、以前もっとインスタを活用しようと週末に「今週もお疲れ様でした!」と聡太くんの画像をシェアしていたのとで、インスタにはすごい勢いで猫関係の画像や動画が流れてくる。
家の中にいて幸せそうにしている猫なら大喜びでかわいいねえかわいいねえと見るのだが、ときおり「可哀想な猫」も流れてくるのはやめてほしいと思う。
交通事故に遭っただとか猫エイズ陽性のボロボロの野良猫だとか、可哀想な猫がいることからも目を逸らしてはいけないのだが、なるべくなら幸せな猫のほうがいいな、と思ってしまう。可哀想な猫は可哀想だ。わたしがインスタに求めるのは楽しい写真なのだ。
現実は厳しい。
きのう、魔改造の夜を観ながら父氏がさけるチーズをおつまみにしていたのだが、さけるチーズのパッケージを持ってきたところ聡太くんが「それはちゅーるですか!?!?」というリアクションをした。聡太、それチュールやない。さけるチーズや。
ガーリック味だったのでもちろん食べさせたりはしなかったが、しかしなぜちゅーるだと思ったのだろう。金属質のパッケージだからだとは思うのだが、ほかに金属質のパッケージを見せて興奮した記憶はない。
なおわたしは火垂るの墓をちゃんと観たことがないのだった。野坂昭如の原作は読んだがひたすら辛かった。戦争はよくない。
聡太くんの爪研ぎで出る段ボールの破片が、ときどき食べ物に見えて危うく口に入れそうになる。いや触れば「あっゴミだ」と気づくのだが、落ちているだけでは色合いや質感がジャガイモっぽいのだ。
手触りがクッキーにそっくりなトイレ砂といい、見事に聡太くんに生活を侵略されている。たまちゃんのときはべつだん爪研ぎ板を用意した記憶がないので、椅子の背もたれなどでバリバリしていたのだろう。
聡太くんは丹念に爪を研ぐ。そりゃもうキンキンになっている。噛まれればもちろん痛いが引っ掻かれても痛い。やめてほしい。
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わたしは聡太くんの責任を負えて幸せだなあと思う。責任を負うことを幸せだと思うのはおかしいのだろうか。分からないが、人間の子供を育てることが一生ないと思われるので、この小さな生き物の責任を負えることが幸せである。
キラキラと幸せなママをやっている人たちが世の中にはたくさんいるわけだが、それはキラキラした面だけ見えるからキラキラしているのであって、裏側では辛い思いもたくさんしているのだと思う。
でも聡太くんを猫育てするのは100パーセント楽しい。おかしいだろうか。そこが人間と猫の違いなのだろうか。分からないのだが、聡太くんをかわいいかわいいと世話するのは、ハタからみたらキラキラはしていないが、わたしとしてはあのキラキラと幸せなママたちよりよっぽど幸せである。
そういえばローカルニュースの時間に流れているコマーシャルで、婦人科の病院のコマーシャルがあるのだが「キラキラ輝く日常のために」という言葉が使われていて、コピーを考えたひとの「キラキラ」という言葉への解像度の低さを感じる。キラキラしているというのは現代、決して褒め言葉でないと思うのだが……。
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