きょうの聡太くんとプレイバックたまちゃん 2023/6/22
きのうはめちゃくちゃ暑かった。県内に全国一暑いところがあったくらいだ。聡太くんも廊下に落ちていた。
去年の聡太くんは元気有り余る子猫だったわけだが、いまはすっかりお兄さんなので、涼しいところに落ちているのが一番快適らしい。思い出せばたまちゃんもよく廊下に落ちていた。
廊下に落ちている、のさらに上になると、廊下に溶けている、になるのだが、まだそれは見ていない。それに聡太くんは自分のお布団で寝るので、ほかのところに転がっているのはなかなか見ない。
たまちゃんにもお布団を買ってあげたらよかったのかなあ、と思う。たまちゃんは勝手に好きなところで寝ていた。たまちゃんは晩年、安楽椅子のオットマンが主な寝床だった。
たまちゃんにしてあげられなかったことを、聡太くんにしてあげよう、と常々思っている。
聡太くんは家に入ってくる虫や窓ガラスに集まる虫と戦いたがる。去年の真夏のころはカミキリムシと戦っていたわけだが、あのころは子猫だったのでなんの考えもなく好奇心でカミキリムシと戦っていたわけで、思慮分別をもったいま、なぜ虫と戦いたがるのだろうか。
お腹が空いているから虫と戦うというわけではないと思う。ではなぜ虫と戦うのか。やはり聡太くんのなかの野生が戦いに駆り立てるのではないだろうか。
たまちゃんはスズメバチを仕留めたことがあったが、そういう危ないことはしないでほしい。家にいろいろな虫が入ってくるのはボロい家なので仕方がないとしても、どうか毒のある虫とは戦わないでくれと思っている。
きょうは雨が降りそうな天気だ。朝、外からカエルがゲコゲコ鳴くのが聞こえた。わたしは覚えていないが、たまちゃんは若いころ脱走してヒキガエルを連れてきたらしい。どういうことだ……。
猫が人間のところに何か持ってくるのは「これ食え」ということだと何かで聞いた。いやヒキガエル食えないし……。
猫と暮らすのは幸せなことだなあ、と思う。
猫は自由だ、人間の不安や極度の自意識過剰を「まあおちつけ、おちついてごはんをよこせ」とたしなめてくれる。
わたしは10代のころ、友達だと思っていた人に突然理不尽な嫌われ方をして、それ以来なにをするにも「誰かに嫌われたらどうしよう」とそればかり考えてしまう。カクヨムになにか変なものをUPしたときとか。
でもそれはだいたいただの自意識過剰というやつで、バズりもしないし誰からも嫌われない。世の中の人というのはそこまで単純に人を嫌わないのだろうな、と思う。
猫はたいへん気楽に付き合える家族である。突然理不尽に嫌ってくることはない。それが猫のいいところだ。
きょう買い物にいったら、ドラッグストアの駐車場で車にいて飼い主を待っている犬を見かけた。白いふわふわの小型犬だ。かわいいので「かわいいね〜!!!!」と声をかけた。激しく吠えられた。
それにフェイスブックを開いたらもう何年も前の今ごろ、知り合いの老夫婦から「東京の親戚の結婚式に行くからちょっと預かって」とヨボヨボの老犬を預かっていたことを記事にしていた。
犬はかわいい。人間の無償の愛を信じている。だから猫原理主義者に言わせると「人間に媚を売る」ということになる。
でも猫だって人間の無償の愛を信じているのだと聡太くんを見ると思う。ただ芸をするとかお利口にご飯を待つとかができないだけだ。
猫は人間の無償の愛を信じながらも気高く自由だ。犬とはぜんぜん違う方向に生きている。
どっちが特別というわけではない。どちらもかわいい。動物というのはたいがいみんなかわいい。だから動物を愛せない人は可哀想だなあと思う。
動物をかわいいと思える人間に生まれてよかった、と時々思う。
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