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きょうの聡太くんとプレイバックたまちゃん 2024/7/6
紺色の夏のワンピースを着られる季節になってきた。なにか羽織ればカジュアルに着られるし、アクセサリーをつければちゃんとした印象になるのでとても気に入っているワンピースだ。
ただ難点がある。紺色とか黒の洋服は、気がつけば毛まみれになっているのである。それはたまちゃんと暮らしていたころからずっとだ。猫の毛は黒猫もグレーの猫も、濃い色の洋服につくとだいたい白っぽく光る。コロコロで毛をとっても気がつけば抱っこを要求してくる。永久機関だ。
聡太くんはブラシが嫌いだ。イボ付き軍手で撫でれば抜け毛が取れると聞いたが、イボ付き軍手で撫でることすら断固拒否してくる。抜け毛がお腹に溜まって具合が悪くなるのではとずっと心配している。
子猫のうちにブラシをかけて慣れさせればよかったんだよなあ……と思うものの、子猫のころから聡太くんはブラシを断固拒否していた。でも首輪はつけっぱなしにしたら慣れたので、少々無理にでもブラッシングすればよかったのかもしれない。
家の中いたるところ抜け毛だらけだ。猫は生活を侵略するのである。
庭に梅の木がある。春になるときれいな花をたくさん咲かせる素敵な梅の木であるが、いまの季節はときどき「バタバタ」とヤブを鳴らして実を落としている。
梅干しや梅酒に加工できればいいのだが収穫するのも面倒なので放置だ。野生! である。さすがに酸っぱい梅はクマも食べないだろう。
そして聡太くんは庭の見える父氏の椅子にまったりぽん……と座っているのだが、ちょっと遊びたい気分のときは梅が落ちるたび「なんだ!?」という顔をして庭を見る。梅です。食べられません。
それで最近、ときどき裏の家のお婆さんが帰ってきているようなのだが、耳が遠いのか特大の声でなにやら人と話していてうるさいことこの上ない。さっきも大声でなにやら文句をつけており、聡太くんは「なにごとだ!?」と外を見ていた。
裏の家のお婆さんは昔、ローカル紙に自慢100パーセントの旅行記なんぞを寄稿しており、あまりに自慢100パーセントだったため母氏が抗議の手紙を新聞社に送っていた。祖母を捕まえて旅行の記念写真を長々と見せたりもしていた。だからイメージだけでも苦手である。近所付き合いは難しい。
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すごくどうでもいいけれどすごく大事な話をする。
聡太くんのいない生活が考えられない。これはもうたまちゃんに「猫なしで生きられない体」にされてしまったのだと思うのだが、聡太くんのいない暮らしを想像して、あまりに味気なくてゾッとしたりしている。
聡太くんはそこにいるだけで優勝である。大正解である。肩にちっちゃいジープである。
この不思議な生き物と一緒に暮らしているというのは不思議なことだ。ねこねこネットワークは偉大である。
たくさん大変なことがあるし、悩むこともあるし、実際に得することはほとんどないのだが、そこにいて触ったり撫でたり吸ったりできる猫、という存在は素晴らしいものだと思う。
わたしは「動物が嫌いだ」、という人の気持ちがよくわからない程度に動物が好きだ。動物のいない暮らしなんて味気なくて耐えられない。
なにより現在進行形でどんどん可愛くなっていくのがすごいところだと思う。聡太くんはすっかりハードボイルドの顔になったがそれもまたかわいい。
ひとりひとり個性がある。かわいいだけではない。伴侶動物というのはこういうことなのだと思う。