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きょうの聡太くんとプレイバックたまちゃん 2024/5/22

 聡太くんはお腹の調子がいいとたいへんイキイキしている。きのうも健康なUNKOを出し、夜もしっかりルーティーンをこなして、けさも人間の手をかじり、買い物から帰ってきたらギャリギャリと爪を鳴らして廊下を爆走している。パラリラパラリラというサウンドエフェクトが似合いそうだ。これではブンブンジャーのヤイヤイヤルカーである。健康なら毎日が爆上げだ。
 きょうはついさっきちょっと柔らかめのUNKOを出したのであるが、出たてだったので柔らかかったのかもしれない。そういえば猫は用を足す前や足したあとに猛ダッシュする生き物だということを思い出した。
 聡太くんは、ふん捕まえてお尻を拭かれたり人間のおやつのあんみつに興味を示してチョッカイを出した結果ケージに入れられたり、いろんなことをされても基本的に人間が好きである。それは聡太くんの性格がとても明るくて元気だからではないかと思う。

 聡太くんには毎日、楽しく過ごしてほしいなあ、と思っている。
 だから奥の物置に探検にいくのも楽しいのだろうから止める権利はないし、しょうじを突破したりしてもそれが楽しいなら許そうという気持ちである。
 きのうの人間の夕飯は厚揚げを焼いてネギとかつおぶしをパラパラしたやつで、焼いている厚揚げをうっかり落としたら、聡太くんは厚揚げの落下地点をうまいうまいとなめていた。ばっちいからやめようと言ってもお構いなしである。これが楽しい、ということなのかもしれない。
 楽しく過ごしてほしいのは、たまちゃんのひたすら寝ていた晩年が忘れられないからだ。インスタでたまに見かける「みけちゃん25歳」や、ドコノコの「ももちゃん25歳」は、大変かくしゃくとしておられて、バタートーストを求めてテーブルに登ったり、人間の食べている魚を食べたがったりしている。たまちゃんはもとが病弱だったから仕方がなかったのかもしれないが、だからそのぶん健康なはずの聡太くんには長生きしてほしいのだ。
 まあ健康なはず、と言ってもさっきゆるいUNKOを出したのだが……食べ過ぎ、という感じだったのできょうはカリカリを少なめにする。

「ほあ……」


 さきほども例に挙げた「みけちゃん25歳」や「ももちゃん25歳」は極端な例だが、動物と暮らす、ということをつい考えてしまう。
 動物と暮らすのはハッピーなことである。毎日トイレを片付けキャットフードを与え、一緒に遊び、ときに獣医さんに行く。わたしにとっては「責任を負う」というチャレンジでもある。
 しかしそのハッピーな生活はいつか終わるわけで、それを思うと恐ろしくてならないのだが、だとしてもハッピーな思い出はたくさん残るわけで、それから悲しみを引いてもお釣りがたっぷりくるのではないか、と思っている。
 それに亡くなってからだって思い出は紡げる。花をもらった、とか斎場のひとがよくしてくれた、とか。
 もう猫がある日ふらっといなくなる時代ではない。20年後を恐れるより、いまの元気ハツラツの聡太くんとの暮らしを楽しもうと思う。

 しかし聡太くんよ、やっていいことといけないことがあるんでないかい。なんでふすまに爪を立ててふすま紙をびろーんとはがしたんだ。しかも爪に引っかかって動けなくなったじゃないか。
 まあ、母氏が洗濯を干しているのを、行こうと思えばしょうじの穴から行けるのに何故か茶の間からじっと見ていたのがかわいいから許そうと思う。

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