きょうの聡太くん 2024/5/11
小松左京の猫にまつわるエッセイや対談などを集めた「小松左京の猫理想郷」という本を読んでいる。さすが「虚無回廊」を書いたひとだけあってすさまじい知性で、ときどきクラクラしながら読んでいるのだが、なぜ昔の人は猫が外に出ていって喧嘩でボロボロになってくるのにまた猫を外に出したのだろうか。獣医さん代だってすごかろうに。
おそらく小松左京が若いころは猫というのは家族にカウントされていなかったのだろう、と母氏が言っていた。なるほど、犬猫は「ネズミ退治係」とか「残飯処理係」だったわけである。家族として家にずっといて、用もないのにヨシヨシする関係ではなかったのだ。
それでも対談などをみると血統書のついたような猫は屋内で飼われていたようだ。命の重さが違いすぎてちょっとドンヨリする。
猫はいま家族として扱われていて、小松左京が「ペット」と言った関係より深く家に食い込んでいるのだと思う。ペット、というのは命を軽んじているようで今ひとつ好きになれない呼び方だ。もちろん小松左京が悪いわけではないのだが。
しかし聡太くんが外に出ていく様子というのが想像できない。たぶん逃げ出したら「わーい!」と走り回るか、あるいは植え込みの影などに隠れて「こわい……」と震えるかのどちらかだと思うのだが、子猫のころからいっぺんも脱走などやらかしたことのない聡太くんである、外で遊ぶ様子が想像できない。
Xを見ていたら「猫が脱走したら近所のボス猫に相談せよ」という話が流れてきた。「近所の猫に頭を下げよ」という説もあった。なんというか「子猫の写真を撮るために母猫の許可を取る」という岩合光昭さんの話を彷彿とさせる話である。
聡太くんは外に行かない代わりに、最近物置に遊びにいく。そりゃもうるんたるんたと廊下を進んでいく。でも結局かくれんぼをして遊ぶだけなので、一人で物置に行くのは怖いのだと思われる。
聡太くんはずっと家のなかにいればいいのだ。確かに狭い家のなかじゃ退屈かもしれないが、安全であることは間違いない。
無益な殺生はしたくないのだが、最近聡太くん対ゲジゲジの対戦カードが組まれてしまって、こわごわゲジゲジを捕殺することがある。
我が家は古くてぼろっちいので、ナメクジやらゲジゲジやらワラジムシやらが\やあ/と現れることが多い。5月になって虫の動きが活発になり、最近はゲジゲジがよく出る。
きのう聡太くんは壁を走る細長い虫と戦っており、近くに寄って確認はしなかったが動き方からおそらくゲジゲジだろうと判断し、お口に入れてモグモグされたら困るのでティッシュペーパーで捕まえて握りつぶして捨てた。実に小さいゲジゲジだった。
猫は動き回る小さいものと戦うのが好きだ。おととし、聡太くんが子猫だったときにはカミキリムシと戦っていた。カミキリムシは激怒してチキチキ言っていた。きっとあのカミキリムシを仕留めたら、くわえて持ち運んでだれかの枕元にボロリと置くつもりだったのだろう。
猫としての本能が聡太くんを闘争に駆り立てる。でも頼むから不快害虫と戦うのはよしてほしい。