見出し画像

処方箋を出さない診療所 #3

「こんばんは」

「こんばんは」

「また来ました」

「どうぞ。ここは病院ですから」

「ありがとうございます」

「はい」

「とか言って、ほんとは早く帰りたいんですよね」

「否定はしません」

「今日の晩御飯は?」

「かにめしです」

「なにそれ。知らないけどおいしそう」

「おいしいんですよ」


「今日、友達の結婚式があったんです」

「なんと。それはめでたいことですね」

「めでたい……のかな」

「嫌いな方なんですか?」

「違います! 全然全くこれっぽっちも違います。先生はデリカシーってものがないですね。もしくは感情の機微が」

「正直な疑問を言ったのにぼろくそ言われました」

「あ、すみません。いやでも、めでたい、のかなって」

「疑問に思うわけですか」

「大事な友達が知らぬ輩の伴侶となって一生を共にすることを、めでたいって言います?」

「あなたにとってはわかりませんが、そのご友人にとってはめでたいのでは? 生涯を共にする、自分もお互いも大切にすることができる家族ができて」

「ああそうか……そうなんですよね。その子にとってめでたいのは頭ではわかってるんですけど、自分にとっては全然全くこれっぽっちもめでたくないので、ついつい『めでたいことですね』って言われると反論したくなっちゃうんです」

「ひねくれ者ですね」

「ひねくれ者なんです」


「これまでに参列した友達の結婚式、全部で爆泣きしてるんですけど」

「そうですか」

「先生は泣かなさそうですね」

「まあ泣いたことはありません」

「はは」

「それで?」

「ああいや、なんで泣いてるんだろう、って、毎回考えるんですよね。テレビとか、話で聞く限りは全然想像がつかなかったんです。友達の結婚式で泣くって。でも、いざ姿を見たら、ダメでした」

「ダメだったんですね」

「はい。なんていうのかな、ぶわーっとこみあげてきて、その場では感情の名前や説明がつかないんです。で、元カレか、ってぐらい泣いちゃって」

「元カレ、まず結婚式に呼ばれることは少ないと思いますしその場でそんなに泣くことはないと思いますけど」

「もし呼ばれることがあったら、家に帰って泣くんですかね」

「そうじゃないですか。その場で大号泣したら、なんだか格好悪いじゃないですか」

「確かに。納得いってない、ってことですもんね」

「で、『呼ばれたけれど納得のいっていない元カレ』、ではないあなたが泣いたんですね」

「はい」

「それは、なぜ泣いているのかわからないなりに、どう感じているんですか」

「なんだろうな、悲しいし、悔しいし、でもそれより、その子がこれで幸せになるのかなって、だったらいいなあって、実感して泣いているような気がします」

「実感ですか」

「はい。なんていうか、結婚の報告自体は式の前に聞いてるじゃないですか。でもその時は、相手の人も目の前にして聞くことって少ないし、たぶんあまり実感がわいてないんだと思います」

「なるほど」

「でも式に出席して、相手の人と一緒にいるところを見て、二人が笑っているところを見ると、ああ、これがこの子が幸せになるための選択の一つだったんだなあってわかるんです。それで、それが本物になったら、本当だったらいいなあって願うと、涙が出てくるというか」

「願って、涙が出るんですね」

「人の幸せを願って泣く感情って、いったいなんていう名前なんですかね」

「わかりません」

「病院でもわかりませんか」

「別にわたしは心理学者でも精神科医でもカウンセラーでもないので」

「そうですよね……いや、なんでここに話しに来てるのかわからなくなってきたな」

「お金をいただいている立場ですが、同感です」


「手をつなぐのが好きなんですよね」

「いきなりですね」

「いや、日常ではなくて、そういう大事な時に。手をつなぐと、いろんなことがわかるんです。正確には、つなぐっていうより握る、かな。受け売りなんですけど」

「なるほど」

「手があったかいと、平常通りだなあとか。手が冷たいと、緊張しているのかなあとか。一概には言えないと思うんですけど」

「はい」

「手を握って、少しずつ言葉を交わしていると、なんだか気持ちが流れ込む気がしてきませんか」

「その時、その方の気持ちはどんな風だったんですか?」

「いや、そういう具体的なことじゃなくて。なんだか、心の温度が通じ合うというか」

「あいまいですね」

「そうですね。あいまいな話です。でも、そう思うから、特別な時には、なんとなく相手の手を握りたくなるんです。重みとか、温度を確かめて、その時の相手のことを知ろうとしたくなるんです」

「なるほど」

「普段、パーソナルスペースが広めなので、あまり人に近寄ったり、触ったりはしないんですけど。たまに、特別な時、手を握るのはいいなあって思ってます」

「おすしみたいに」

「先生、それあんまりおもしろくないです」


「おめでとうと、言えましたか」

「え?」

「先ほど、めでたいことだとはすぐには思えないとおっしゃっていたでしょう。ご本人に、おめでとうと、言えましたか」

「……どうだったかな。言ったかな。言えたかな」

「どうだったんでしょう」

「言えた、ような気がします。でもそれは、祝う言葉ではなく、やっぱり願いの言葉だった気もします。どれだけ爆泣きしてもここでちゃんとおめでとうと言うから、だからそれが抱えきれなくなるぐらい、幸せになってくれって」

「やっぱり、元カレポジションなんですか」

「そんなつもりはないんですが……確かにな……」

「あなたにその方の幸せを決める権利も、量を決めることも、約束や契約を押しつけることもできません。でも同じように、願うことへの制限もありません。そう思います」

「……はい。ありがとうございます」

「出席のお礼をもらったんです」

「お礼ですか」

「はい。式の出席のお礼、って。むしろ呼んでもらっているこっちが、お礼を言うべきかなと思うのですが……」

「そう思います」

「その中に、その友達からのメッセージカードがあって。もう10年以上の付き合いになる友達なんですけど、『もし結婚式をするなら、一緒に見届けてほしいとひそかに願ってた』んだって」

「いいですね」

「それを見て、また泣いちゃいました。なんだろう、みんなに見届けてほしい、じゃなくて、一緒に見届けてほしいっていうと、変な言い方ですけど、まるでその子にとっても他人事のような、誰かのどこかの出来事を、同じ立場で見守るような感じがして。確かにその子のことなんですけど、一緒に、おこがましいけれど等しく、大事な時間を共有するように思ってくれているのかなあって」

「そうですね」

「そんな大事な時間を、一緒に見届けてほしいと言ってくれること、幸せだなあって思いました」

「お礼、何をいただいたんですか」

「紅茶です」

「紅茶。いいですね。いつでも飲みたくて、いつでもおいしいものですね」

「開けた途端、ふわっと芳醇な香りがして、とても幸せな気分になりました」

「はい」

「いろんな飲み方をしたいと思います、ストレート、アイス、レモンを絞ったりミルクで漉し出したり、ケーキに入れたりクッキーに入れたり。いろんな形で、この日の気持ちを食べて消化していこうと思っています」

「いいですね。自己診療の一歩です」

「そうですかね?」

「はい。自分で自分のご機嫌をとったり、面倒を見たりするのが苦手な人って、けっこう多いんです。その中で、自分の行動で、自分の気持ちに整理をつけようとすること、とてもいいと思います」

「やだ、なんか照れるな。紅茶のおすそ分けがほしいんですか」

「はい」

「正直だな」

「そんなにいい香りがする紅茶なら、気になります」

「わかりました。一個だけですよ? 今度持ってきます」

「それは楽しみです」


 待合室でお会計を待ちながら、結婚式の時の自分の状態を冷静に、振り返ってみた。

 式が始まる前、挨拶に来てくれた友人の姿を一目見ただけで、まるで正午の噴水のスイッチを入れたみたいに、涙が溢れてしまったこと。必死に眉間にしわを寄せて耐えたこと。それでも声を出したらもうすでにガラガラになっていて、友人を心配させてしまったこと。
「もらい泣きしちゃうから」、って、そうだよな。自分が泣くことで、式前の花嫁のメイクや情緒を崩すわけにはいかない。
 そういえば、相手の人にも「メイクが崩れるから泣くのはよしておきなさい」って言われたんだった。お前に言われる筋合いはねえ、ってにらみつけたい気持ちもあったけれど、こんな優しい人が友人を全力で支えてくれるんだと思ったら心強い、と思ってしまったのが悔しかった。

 一緒に同席していた人たちとはまともに会話できていたっけ。ちゃんと心、その場のその時のわたしの体の中におさまっていたかな。
 ああ、相手の人のご親族に話しかけられた時、「今泣くのに集中してるんで!!」って気持ちで、ぞんざいな応答をしてしまったかも。困るな。まずは相手の人に愛想をふりまいておかなきゃいけないし――これからもその友人をちょくちょく遊びに連れ出していいと快く承諾してもらうために――、ひいてはその人の親族にだって、よく思われておいた方がいいんじゃないのか? あんたのお嫁さんのお友達は嫌な人だね、なんて言われた日には、青魚もびっくりの青ざめだ。


 名前を呼ばれて、窓口へ行く。3割負担の診察料を払う。おつりを財布にしまう。ここ、いつになったらキャッシュレスに対応してくれるのかな。
 自分の中に、自分の大事な感情をそっとしまう。これを、たとえばスーパーでお肉を買うみたいには消費したくはないけれど、必要な時、地元の神社に納めるお賽銭のようになら、ちょこっと取り出してみてもいいかもしれない。



※この物語はフィクションです。大事な人の節目の日に心から「おめでとう」と言えるかどうかは、よくよく自分と相談しましょう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?