#3 私にとってのジェンダー
このシリーズも3本目となりました。
最後は私にとっての「ジェンダー」について、書いていきたいと思います。これまでも書き続けてきたテーマではありますが改めて、私にとってジェンダーのテーマがどう私の人生に影響しているのか、向き合ってみたいと思います。
男はこっちで、女はこっち
違和感はなかっただろうか。
体育の時に、男は体操で女はダンス。
整列の時に、男の列と女の列。
男は強く男らしく、女はおしとやかに女らしく。
私たちは、小さい時から男と女のどちらかに分けられ、それが当たり前かのように育てられた。
小さい頃、何にも考えずに好きな友達と遊んでいたら、自然と周りは男の子ばかりだった。一緒にテレビゲームをしたり、外で走り回ったり。
小学校高学年くらいになったくらいだろうか。
周りから、「女なのになんで男とばっかり遊んでんの?」とか「女なのになんでスカートとか履かないの?」とか言われ始めた。意地悪な子は、「女が男になりたい〜!」とか言って、からかってきた。だから徐々に男子と遊ぶのをやめた。
身体の成長と共に、「自分は女なんだ」と突きつけられた。社会の中では、女として扱われ、制服はスカートを強制され、「彼氏を作らないの?」と周りから心配された。
その時は、自分が男だとか女だとかいう認識はなかったけど、なるべく皆から不自然に思われないように、いじめられないように、周りの期待する自分でいることを選んだ。そこから、大人になるまで社会から期待される自分で生きてきた。本来の自分を閉じ込めておかないと女性として社会で生き抜くことはできなかった。
自分の表現したいジェンダーと、周りから期待される自分のジェンダーに乖離があった。
こんなに遠ざけていたテーマではあるが、今振り返ってみると、ジェンダーはいつも近くにあるものだったなあと感じる。
性別転換という手段
24歳の時に、性別転換の治療を受けると決意した。それまでやってきたサッカーを諦め、自分の将来のために手術を受けた。
手術とか、お金とか、時間とか、色々大変なこともあったけど、本当に生きやすくなった。生きたい自分で生きて、ありのままで生きる自分に興味を持ってくれたり、好きになってくれる人がいることが本当に恵まれているなと感じた。無理をしたり、仮面を被った自分を好きになってもらっても少しも嬉しくないことに気付いた。
生きやすくなっただけではない。
私は、この性別転換という経験をすることで、ジェンダーという、とても曖昧で目には見えないものに向き合うことができた。
私にとってのジェンダー
私にとって、ジェンダーと向き合ってきた時間は、「自分を深める時間」だった。人は自身と向き合ったり、深めたりするときに、これまでの経験や違和感などをヒントにすると思うが、私にとって「ジェンダー」というトピックが自分と向き合う上でとてもヒントになった。
生物学的に男か女かという基準だけで、社会的に男か女かで分けられる時代は終わり。自分はどんな人を好きになるか、どう表現するかなどは、本当に一人ひとり違って、曖昧で、変化もしていくし、到底2つの枠組みに分けられるものではない。
ジェンダーは、誰もが持っているもので、人によって生きる上でどこまで影響していくかは分からないけど、自分のことを知る1つのきっかけにはなるんじゃないかなと思う。
色んな自分らしさの表現の方法があって、性別転換は数ある中の1つの手段。大切なのは、どんな自分であることが心地が良いかを、自分で理解することだと思う。
それが今の社会で、生きづらければ生きづらいほど、周りと違い、オリジナルであることの証拠だと思う。
他の人と違うことを感じ、経験してこれたからこそ今の自分がいる。
そんな自分に誇りを持って、生きていきたい。
お知らせ
★ジェンダーに関するプロジェクトをスタートします。
ジェンダーに関する事業、GENDER+(ジェンダープラス)をスタートします。これまで向き合ってきたこと、経験してきたことを活かして、1人でも多くの人が「自分らしく」いられる環境作りに取り組んでいけたらと思っています。
★クラウドファンディングを実施しています。
2023年1月、PLAINEでは「海外」「サッカー」「ジェンダー」をキーワードにクラウドファンディングを実施しています。1月31日まで実施していますので、ぜひ応援&シェアいただけると嬉しいです。
また、ジェンダーに関する相談事などありましたら、お気軽にご連絡ください。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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