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君と笑って過ごせるなら 続き

予定していた夫の胃の拡大内視鏡検査の日が来た。
前回の内視鏡検査で悪いものが見つかったためだ。

病院に着き受付を済ませると検査前の準備があるらしく、予約時間より早く呼ばれ別室に移動した。別室では従来の内視鏡検査と同じように胃の中の泡を消す薬を飲み、喉の麻酔が行われた。違う事としては検査前からソリューゲンF注という点滴をする事。この間、私はひたすら待合室にて待機。

夫より先に始めた方の検査が長引き(しかも二人)やっと順番が来た。検査用のベッドに横になると、有無を言わさず鎮静剤の使用となった。これも前回とは違う事。夫曰く点滴のチューブから鎮静剤が入れられ、冷たさを感じた次の瞬間には意識がなくなり、その次には「終わりましたよ」と言う看護師の声で目が覚めたそうだ。検査室に入り終わって出て来るまで35分程。検査中の記憶は全くないらしい。目が覚めた時、検査を担当した医師(この日は主治医)はその場にはいなかったそうで、この日、新たに組織を採取し病理検査に回された理由やその結果、内視鏡手術の詳しい説明は後日となった。

鎮静剤を使用したため別室で1時間半程休んだ後、看護師が血圧測定しその日は終了。検査前に冷房が効き過ぎている別室で長時間待たされたために、冷房病と(古代人かっ⁉︎)看護師から下の血圧が高めだという指摘を受けるおまけまで付いてしまった。

数日後、検査結果を聞くために大学病院へ。
今回の拡大内視鏡検査の画像で、前回の内視鏡検査で悪いものが出たと言われた部位を見せて頂いた。先日の拡大内視鏡検査でその周辺から採取した組織の病理検査の結果はまだ出ていなかったが、主治医からはそこに悪いものはないと思って採取したという事、手術で切除する範囲や方法などの説明を受けた。

「悪いものが検出された以上、手術した方がいい」と主治医は言った。私たちも出来るだけ早くと考えていた。通っている大学病院はコロナ感染症の指定病院ではなかったが、要請があれば受け入れるという立場だったので、それによって後回しにされる事が怖かった。(勝手な事を言ってごめんなさい)
幸いと…言っていいのかわからないけれど、入院、手術の予定はこの日のうちに決まった。以前にも主治医から簡単な説明を受けていたが、極早期なので開腹手術ではなく内視鏡的粘膜下層剥離術(ESD)という手術になるのだという。入院や手術が決まり多少はホッとしたけれど、やらなければならない事の一つがやっと決まっただけ。まだまだこれからだ。

診察を受けた日から数日後、夫は会社で定められた夏休みに入った。帰省の予定もなく訳のわからないGo Toキャンペーンに踊らされて旅行に行く事もなく、生命活動を維持するためにスーパーに買い物に行く以外はひたすら家で過ごす事、9日間。娘は相変わらず忙しく出社していたが、夫と私と次男猫は家で心静かに過ごした…と言いたいところだがそうは行かなかった。

心配で心配で仕方ない私はきちんと話したいと思い、それに反してあまり話したくない夫。夫には夫の気持ちがある事はわかっている。自分の体の事、娘と私に掛かる精神的負担の事、入院している間の家の事、入院費や生活に対する責任などを感じてしまうのだろう。それを口に出さない夫に苛立ち、不安と心配で胸がいっぱいな私は、泣きたい気持ちの代わりに怒りたくもないのに怒り、夫の心の奥に仕舞っていたと思われる言葉を引き出してしまった。そして夫が一番怖がっていた事が私と同じだったという事を知り、それを言った夫と、言わせてしまった自分に悲しくなった。本当にごめんね。

それから残された夏休みの数日は、お互い、努めて静かに過ごした。何も話さなかったのではなく、何も話せなかったのだ。今は悪いものが極早期だという主治医の言葉を信じるしかない。

夏休みが終わった翌日、夫はいつも通り出社した。一週間程勤務し、土日休みが明けた月曜日から入院だ。入院は前向きに治す方向に向かう始めの一歩。だから入院して病院と家とに離れている時間は心配で寂しいけれど、夫が元気になって家に帰って来るまでに必要な時間なのだ。

入院の前日。
「悪いところは全部取ってもらって、元気になって帰って来て。大丈夫だから」と、気休めにもならない言葉しか言えなかった。
その日、朝まで手を繋いで眠った。夫の手は大きく、その手と心の大きさにずっと守られて来たのだと改めて感じた。

入院初日。
病院へは13時に来るように言われていた。病院に着き入院手続きをする場所に行くと、とても混雑していた。月曜日は入院開始の人が多いのかもしれない。
保証金を納めた後、消化器内科の受付に行き指示された血液検査、心電図、レントゲン検査を済ませ病棟へ。コロナウイルス感染症防止対策のため面会は一切出来なく、病棟へ入る事も禁止されていたので、私は病棟のナースステーション手前の廊下まで。それ以上、中に入る事は許されなかった。コロナウイルスを持ち込む可能性があるのはお互い様なので仕方ないけれど、面会出来ないのは心配で寂しい。
看護師に病院内の説明を受けつつ、病室まで案内される夫の後ろ姿を見ながら、後ろ髪を引かれる思いで病院を後にした。

入院2日目。
手術当日の午前中に開始時間は13時半だと決まった。場所は内視鏡検査室。
内視鏡や検査室の設備的な問題なのか、外来で検査予約している人の進み具合や様子で手術の時間が決まると言っていたが、そんな感じなのだろうか?

猛暑の中、13時前に病院に着くと、手術の時間が早まり夫は既に検査室に行ったと看護師Aが。入退院の日と手術の日は付き添っていいと入院の案内には書いてあり、前日に話した看護師Bはいいと言っていたのに、コロナ感染症防止のために手術の付き添いは遠慮して欲しいと、昨日とは別の看護師Aに言われた。寧ろ手術の日は誰か付き添うように書いてあったよ?!昨日の看護師Bと言ってる事も違うし、夫は私が来る事は検査室に連れて行ってくれた看護師Cに伝えてあったと言うし。どういう事?!💢
コロナ感染症防止対策としては看護師Aの対応が正しいのだろうけれど、それなら病院全体で一貫して欲しいし、何より看護師Aの毅然とした物言いはやんわりと冷たく、思いやりは感じられなかった。
「ご心配なら手術が終わったらお電話するようにお伝えします」と看護師Aが言うので「術後に電話出来るのですか?」と聞くと「出来ると思います」と言うので「お願いします」と。
検査室の場所はわかっていたので、それでもと帰り際に行ってみると待合室の椅子に夫が座っていた。良かった。手術前に一目だけでも会えた。
「終わったら携帯に電話して」と言い手を繋いだ。でもどんなに心配でも私はここにはいられない。なんという時世だ。

15時半過ぎ、入院時の主治医から予定通り無事に手術が終わった事を知らせる電話があった。電話は外来の時とは違う医師だったが、手術は消化器内科のいつもの主治医が行ったそうだ。(これは後で夫に聞いた事)切除した組織を病理検査で調べなければならないが、手術は主治医の見立て通り順調に終わり、他にやらなければならない事は何もないそうだ。手術する際に起こる出血や穿孔、想定外の事をネットで調べて怖くなっていたけれど、何もなくてホッとした。良かった。
そうは言ってもこの先ずっと緊張の日々は続く。年に2回の内視鏡検査も欠かせないだろう。夫の健康を見張る責任が重くて押し潰されそうだ。

その日、主治医から電話があった後もしばらく待っていたが、メールはあったものの、夫から電話が掛かって来る事はなかった。緊張して眠れないくらい心配しているのはわかっているのだから、電話一本くらいしてくれてもいいじゃない。コロナ感染症のせいで付き添えなくて、術後の一番辛い時間も一緒にいられないというのに。人の気も知らないで夫とコロナのバカーッ!!(すみません)
…などと言っていられるのも、手術が無事に終わってホッとしているからだという事はわかっている。電話一本の事でこんなふうに我儘に考えてしまう。面倒くさい女だ。

入院3日目の朝。
夫からメールと電話があった。昨夜は麻酔の影響で消灯まで眠ってしまい、電話出来る時間が終わってしまったと謝られた。
昨夜の消灯後、気持ちが悪くなり朝方、嘔吐。以前にも内視鏡検査の後に吐いた事があるので、夫は喉の麻酔のせいではないかと言っていたが、吐いたものは緑褐色をしていて胆汁かもしれないと言っており、実際のところはわからない。発熱もしているが術後は感染症から体を守るためによくある事らしく、相当な高熱にならない限りは悪い事ではないらしい。

お昼前後。
午前中に術後の胃内部の傷の様子を内視鏡で診察。医師は一箇所血管が見えているところがあり、そこから出血する事がないように電気で焼く処置をしたと言っていたそうだ。
それ以外は大丈夫らしく今夜の夕食から食べてもいいという事だったが、夫から送られて来た夕食の写真は流動食のみで、食べるというより飲むという感じだった。

この日は消灯前に夫から電話があった。熱は徐々に下がっているそうだ。発熱は二日から三日で治るそうなのでもう少し頑張って。
心配が絶えなくて既にギブアップ寸前の私を気遣い、娘が仕事帰りにアイスクリームを買って来てくれた。優しいところは夫に似たのだろう。美味しかった、ありがとう。

入院4日目。
早速、夫からの朝の連絡が途絶える。7時頃になってやっとメール。
また熱が上がって起きられないのかと心配したが、ただの寝坊だったらしい。熱も徐々に下がって来たようだ。良かった。もう少し。
この日の朝も昨夜と変わらない流動食。お昼は鯖の梅煮など少しだけ固形物が。前途遼遠。

お昼過ぎ、入院時の主治医が回診に来て、内視鏡の画像を見ながら昨日の処置に問題がない事を説明してくれたそうだ。発熱と頭痛はあるものの、腹痛や吐き気などはないようなので、順調に回復していると思っていいのだろう。入院後初シャワーでさっぱり。

夜になって夫から電話。まだ声にあまり元気がない。
一昨日、手術で昨日も内視鏡検査では仕方ない。熱は微熱ながら上がったり下がったり、食欲もあまりないらしいけれど、少しずつでも食べて病院にいるうちに胃を慣らして、体力もつけて置かないと。頑張れ‼︎私も頑張る‼︎


この日、今年も月見バーガーのCMでコブクロの「三日月」が聴ける事を知った。絢香ちゃんのカバー。

♬君がいない夜だって そうno more cry もう泣かないよ
がんばっているからねって 強くなるからねって
君も見ているだろう この消えそうな三日月
つながっているからねって 愛してるからねって
三日月に手をのばした 君に届けこの想い♬

面会も出来ない病院と家とに離ればなれ。今の寂しい心境にぴったりし過ぎている。この想いが夫に届きますように。

入院5日目。
夫から朝のおはようメールはあったけれど、そのメールで喧嘩というか怒ってるのは私だけというバカな展開。
入院しているのだから具合が悪いのは当たり前だし仕方ない。でももう悪いところは取ってもらって、後は良くなるばかりなんだからもっとしっかりしないとダメだよ。こっちだって病気になった事を責めている訳でもないし、手術が済んでホッとしているのに、いつまでもそんな感じでいられたら、いちいち、一喜一憂して疲れるし体調も悪くなって気も沈むよ。

お昼。
病院食の写メあり。入院してからほとんど毎日送って来ているけれど、どれもあまり美味しくないらしい。調理師が作ってくれたものより、市販のりんごジュースやバナナの方が美味しいなどと言っている。コラッ‼︎
あまり食べたくないらしいが、量も少ないし徐々に胃を慣らして置かないと、家に帰って来てから何を食べさせたらいいのかわからなくて困る。
血圧は下がって来ているらしい。この日、看護師から尿を採取するように言われたそう。尿検査は初めてだ。

夜に夫から電話。
具合が良い時に読むようにと貸した重松清さんの本二冊のうち一冊は術前に読了、術後は発熱などにより読む気にならず、iPodでコブクロの歌を聴いていると言っていた。
重松さんもコブクロも心に染みると言っていたが、私に言わせれば「今頃そんな事言ってるの?!」な感じだ。重松さんもコブクロも、人の気持ちは一つではない事、頭でわかっている事と心が感じている事は必ずしも同じではない事、そんな心の中を丁寧に描き、たとえ不器用な生き方しか出来なくてもそのままで良いと言ってくれる。
ヨシタケシンスケさんもそうだ。しょんぼりしてしまう時はしょんぼりしていれば良いのだと言ってくれる。今の私のように。でも弱気にだけはならないようにしようね。

入院6日目。
今日も朝のおはようメールから。
病院の消灯時間が21時と早いせいなのか、夜が長く夜中に何度も目が覚めてしまうらしい。病院の夜は何だか怖そうに思っていたけれど、廊下の電気は一晩中、点いているし、夜中でもシーンとする事はなく怖くないらしい。

お昼。
朝とお昼ご飯の写真が送られて来る。
病院で食べている食事は低残渣食といい、日常の食事で胃腸にもっとも負担をかける食物繊維を制限し、負担をかけやすい脂肪の多い物・刺激の強い物・極端に冷たい物などを控え、胃腸に負担をかけないように調整した食事の事だそうだ。
家に帰って来たら何を食べさせていいのか困るけれど、参考にさせて頂こう。

入院時の主治医が病室に来て、退院後の診察日と術後の内視鏡検査の日が決まったと伝えられる。診察日には手術の際に切除したものの病理検査の結果を聞く事になる。怖いけれど問題なしという結果がもらえると信じている。問題なしは変かな。問題がなかったら手術なんてしない。主治医から「これでもう心配はない。大丈夫ですよ」と言われるための大事な診察だ。

夜、夫から電話。
こんなに毎日、電話で話すなんて久し振りだ。携帯電話があって良かった。
付き合っていた頃や、結婚してからは出張の時などに電話で話したけれど、その頃より内容がある…気がする。
離れている理由があの頃と違い重いから、きっと内容も意味もあるはずだ。

持って行ったiPodを病院で良く聴いているらしい。胸に染みているのは絢香✖︎コブクロの「あなたと」だそう。歌詞を少しだけ。


“出会ったあの日の夢を見た 手もつなげないまま二人
笑い声がただ時をつないだ 未来なんてまだ見えなかった”

この歌詞が良いと言っていたけれどこれにはちゃんと続きがあるんだよ。

”どんな孤独も自由も羽にして あなたにあいにゆく
壊れそうな心の隣には あなたと描く未来
どんな些細な痛みも分けあって あなたと歩けたら
途切れそうな心も抱きしめて あなたのそばにいたい
明日もそばにいたい”

この”明日もそばにいたい”が、今日も明日も明後日もこの先もずっと…とそれまでの全ての歌詞の想いを完結させている。

私からはコブクロの「YOU」を。
この歌はいつまで経っても未熟な私たちのような歌だよ。
全部好きだけれど一番好きな歌詞を。

”優しくただ空へと誓うように
壁にもたれ描き出す未来
ほら君の手を引く僕が見える”

”背中を押す”のではなくて、”手を引く”というところが優しくて好き。私は夫に一生手を引かれて生きて行きたい。


入院7日目。
今日も朝のおはようメールから。
低残渣食はお気に召さないらしいが、体調が回復して来たのでちゃんと食べている様子。朝の体温は35・9度、血圧は138/76と下がって来ているようだ。良かった。

コロナウイルス感染防止のため、病院と家とで会えない事を夫が遠距離恋愛だと言っていた。病院は歩いて行けるくらい近いから遠距離でもないし、恋愛じゃなくて結婚してるのだけれど何だか嬉しい。

私たち夫婦はスマートフォンに買い換えたばかりで、まだ使い方もおぼつかない初心者。パソコンやiPadの応用なので何とか使えてはいる…と、思う。
夫はスマホに買い換えた事を良かったと言っていた。入院する事になりこんなに使うとは思っていなかったけれど、メールが使い易くなったからと。これからはスマホもメールも、もっともっと楽しい事に使おうね。

iPodに入っている絢香✖︎コブクロの「あなたと」がいたく気に入っているようなのでそれは、一番最後の歌詞”あなたのそばにいたい 明日もそばにいたい”がそれまでの歌詞を全てちゃんと完結させているんだと、コブクロファンの先輩ぶって教えてあげた。

お昼。
毎日、睡眠時間3時間で頑張っているのに、今日は私の誕生日だという事に全く気付かない夫に、何だか腹が立ってメールで自分から言ってしまった。黙っていても気付かせるように駆け引きや計算くらいすればいいのに、相変わらず出来ない女なのだ、私は。
夫は夜、メールではなく電話でちゃんと言うつもりでいて、言い方を考えていたと言っていたけれどホントかなー?取り敢えず何と言ってくれるのか楽しみにしていよう。

持って行った重松清さんの本は二冊とも読了してしまったらしい。こっちは何だか落ち着かなくて全く読書出来ていないと言うのに、自分だけ読書とかiPodとか優雅なものだ。でも帰って来たらまだほんの少ししか発表されていない、コブクロの新曲を聴かせてあげるね。

退院手続きの事や会社、保険会社に提出する診断書について、メールでやりとりしたが、流石にわかり難い。夜にでも電話で教えてもらおう。

夜、夫から電話。
誕生日の事を何て言うのかなと待っていたのに、雑談ばかりで何も言わない。考えて置くんじゃなかったの?消灯時間が近くなっても相変わらず何も言わないので、「で?」と聞いてしまう。照れ笑いして中々何も言わなかったけれど「おめでとう。これからもよろしく」だった。
ロマンチックな言葉など想像してなかったけれど、あなたの健康と、元気で長生きしてくれる事が一番のプレゼントなのだよ。

明日はいよいよ退院だ。家に帰ったら生活習慣を見直してどんどん元気になろうね。こちらこそこれからもよろしくね。

退院の日。
おはようメールで退院の時間を聞いてみたが、何だかはっきりしない。こっちは迎えに行く気満々でいるのに。面会が禁止されていて一週間振りの感動の再会のはずが、つまらない事で喧嘩してしまいメールはそれきり。病院側の都合がある事はわかるけれど、事前に説明があっても良いのでは?
9時半過ぎに退院出来ると夫から連絡を受け、俄雨の中、慌てて病院へ。会計を済ませ無事退院、我が家へ。この8日間は人生で一番長い8日間だった。


と、退院で終えるはずだったこのnoteは、夫が帰宅しこれら入院中のやり取りが夫の思いやりによる出来事だったのだとわかった。続きが。


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入院、4日目以降の出来事。
手術前と手術後のレントゲン写真に、肺気胸の疑いのある白い線のようなものが写っていたのだという。気胸とは何らかの理由で肺の空気が胸腔内から漏れ出し、その空気が肺を圧迫し、肺が外気を取り込めなくなった状態をいうそうだ。レントゲン写真をコピーしたものを見たが、鎖骨の下辺りに斜めに白い線のようなものが写っている。白くなっているところに、肺から漏れた空気が溜まっているという事なのだろうか。
医師によるとスポーツの事故や交通事故により胸に衝撃を受ける事で起こる事もあるらしいが、自然に起こる事も多いらしい。スポーツ事故や交通事故については身に憶えがあり、胸に痛みを感じていた時期もあったらしいが、どれもずいぶん以前の事で記憶が曖昧。繋がらないらしい。

そんな不安な事がありながら何も言わず、いつも通りにメールや電話していたのは、私が心配し過ぎる事を知っているから。入院中に聞かされたら私の狭い狭いキャパシティはいっぱいになり、家にいても何も手に付かなかっただろう。元々の病気と戦うだけでもかなりの力を振り絞って臨んでいるだろうに、気胸の疑いまでなどと、どれだけ不安だっただろう。
病室の窓からは我が家の方角の景色が見えるけれど、高い建物に阻まれて我が家は少しも見える事はない。その景色をスマホで写した時の気持ちは聞いても応えてくれないだろうけれど、聞かなくてもわかる。
わかるのに私はその事実に潰され、夫の気持ちを慮る事も出来ずに、自分の心配な気持ちだけを夫にぶつけた。ごめん。

気胸に関しては入院中にレントゲン写真とCT検査を行ったのみで、医師の診察もまだ受けていないし、CT検査の結果も聞いていない。入院中に同大学病院の外来の予約を入れただけだ。夫はその結果次第でやるべき事(治療)をやるだけだと既に決めていると言う。この時点で腹が括れない私は完全に遅れを取っている。一つ一つに躓き派手に転んで、泣きながらでないと前に進めない。自分でも自分が面倒くさい。
退院後の自宅療養期間は、入院し離ればなれになっていた8日間の心配と寂しさを埋める毎日ではなく、ESDで切除した悪いものの病理検査の結果に加えて、CT検査の結果を聞くまでの心の準備期間になった。

二週間の自宅療養期間が終わり、夫はこれが日常なのだと言いながら出社した。
日常か…。
陽だまりの道♪で”君と笑って過ごせるなら何もいらない”と、コブクロは歌っている。泣きたい気持ちの今日だって私は笑っている。笑っていないと不安に潰されてしまいそうだから。何でもない日常を過ごせる事は本当は特別で幸せな事なんだよね。


そして。
退院後、肺気胸の診察と、手術で切除したものの病理検査の結果を聞く日。入院時の主治医の配慮で同じ日の午前と午後に予約は入っていた。

午前中に呼吸器の診察。この日の診察前に撮影したレントゲン写真と、入院中に撮影した写真を見比べた呼吸器の医師は「もう治ってますね」と言った。
治ってるの⁉︎気胸って自然と治る事もあるの⁉︎えーっ、そうなのー⁉︎(取り乱してしまいました)
特発性で原因は不明。古いものではなくわりと最近のものだという事。(後から消化器の主治医から受けた説明)今後は胸が痛いなどの症状が見られたらすぐに受診してレントゲン検査をするという事。再発が認められた場合は手術になるという事だったので油断は出来ない。

午後からは消化器の診察。
手術中の内視鏡の画像を観せて頂く。ネットで調べた通りの画像だったけれど、夫のものだと思うととても痛々しい。
切除したものの中から極微小の悪いものが検出されたと聞かされた。主治医は「出るとは思わなかった。極初期で見つかり手術を決断して良かった」と言った。
完治に至ったのは手術してくださった主治医、最初の内視鏡検査で見つけてくださった医師、そして入院時の主治医や看護師の皆さん、病院の職員の皆さんのお陰。
本当にありがとうございました。心より感謝申し上げます。

胃に出来た悪いものの心配はこれからも続く。慢性の萎縮性胃炎が治るのに数年は掛かるらしく、その胃炎が原因でリスクはまだあるのだそうだ。
2か月後に予定している術後の内視鏡検査から、また一つ一つ慎重に丁寧にやって行こうね。
肺気胸の再発率は50%だそうでこちらも油断は出来ない。
心配は絶えないけれど、定期的な内視鏡検査と肺に圧をかけない事、食生活や生活習慣に注意して、体や健康を過信し過ぎる事なく、約束通り100歳越えの長生きをしてね。


♪君と笑って過ごせるなら 何もいらない
特別じゃない毎日の どこかに幸せを
失わぬ様に感じて生きていよう
ささやかな夢 抱えたまま この旅が終わるとしても
陽だまりの中 肩寄せ合い 歩いた道を忘れない
小さな幸せを 繋いで♪

コブクロ「陽だまりの道」より


あなたの幸せが家族の笑顔であり、私の幸せが家族の健康であるなら、私たちが幸せになる事はとても簡単。あなたがずっと元気でいてくれれば、私はずっと笑顔でいられるから。


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