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つまみ細工の思い出

消えない魂

 お茶を点てていると、どうしても人と出会う機会が増える。人嫌いで始めたお茶であったのに、久しぶりにFBの友達人数を見たら、1100人を超えていた。茶事に呼ぶ5人がいればいいや、と思っていた当初の計画は、とっくの昔に破綻していた。
 大切な人が増える一方で、死別する機会も増える。あらゆる世代と交流する文化であるため、それは致し方ないと思うしかないが、死という一方的な働きにはその都度閉口する。
 死の報せを聞くと、一定期間、その空間にとっぷり浸かることとなる。その人のたくさんの思い出が泡沫のように浮かび上がっては消える。その間は、とにかく別れを惜しむ。どちらかというと、死は当の本人にではなく、此岸にいる我々に顕れるのではないだろうか。何故なら、その人がいなくなることを如実に感じられるのは、当の本人よりも、生きている我々だからだ。しかし、生きていくためにはどうしたってその悲しみを忘れていかねばならぬから、いつかはその空間から出なければならない。だからこそ、死が起こったそのときから、期限を決めて喪に服すことは非常に意味のあることだと思う。

 しかし、その期間を終えても、その人の知恵や技術、思想などは後世の人に引き継がれていく。そうすることで、肉体的な死を迎えても、魂の死は半永久的に起こらない。受け継がれる起源の魂に後世の魂が付加されていけば、より大きくなっていく。宗教もそうだろうし、お茶の文化で言えば利休の魂はだいぶ巨大化したのではないだろうか。やがてそれは伝統文化と呼ばれ、古を稽(かんが)えながら、今を照らす大切なきっかけとして残っていく。

 私にとって、身近にそう思えた文化の一つが「つまみ細工」だった。何かの機会でつまみ細工専門店の「つまみ堂」さんを知ってから、人生になくてはならないものとなった。これまで、個人的に娘の七五三でも、茶会でも、つまみ細工を使わせて頂いている(後述)。
 特に、つまみ堂の高橋社長に出会えたことが大きなきっかけだった。お会いする度に、古希も既に超え、それまでも度重なる病を抱えてきた高橋社長の頭の中はつまみ細工への想いでいっぱいで、私はその熱量に何度も驚かされた。
 昨年、1月に高橋社長が亡くなられ、惜しまれながらも「つまみ堂」も閉店とあいなった。しかし、高橋社長の情熱は後継者たちに受け継がれ「一凜堂」という新しい名となって、次代への継承と発展を見せている。こちらのお店にはつまみ細工の様々な講座が用意されており、材料の販売も手掛けられ、特に講師陣との距離が近いことも特徴といえる。

 ただ、残念ながら今回のコロナ禍の影響で、一輪堂さんは大きな被害を受けてしまった。そのため、クラウドファンディングを開始された。内容をみれば、普通の人であればとっくに諦めをついてしまう状況だが、これまでも何度も難局を乗り越えてきた一凜堂の皆様は、常に前を向いている。そこに高橋社長の魂を感じる。
 こちらも見るだけで良いので、是非一度お読みいただけたら嬉しい。もし宜しければご支援賜りたく存じます。
伝統工芸「つまみ細工」存続のため支援のご協力をお願いします!」(CAMPFIRE)


つまみ細工を好きな理由

 何故、大切なものになったかというと、高橋社長の熱量にやられたのはもちろんのこととして、それを受け継いだ素晴らしい人々が、つまみ細工を信じて活動しているからだ。そしてそれがそのまま私の人生の一部となっている。

娘の七五三

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 これは、娘が七五三の時に家族みんなで作ったつまみかんざしだ。つまみ細工は初心者にとっても非常に入りやすい文化で、ピンセットと糊があればできる。これを、私と妻の両親や兄弟にひと花ずつつまんでもらい、完成。大切な人生儀礼の一つを、家族合作の品で、娘の晴れ姿を飾ることができた。人生の一部となった瞬間であった。

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茶会の飾りとして

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 これは端午の節句で飾る薬玉だ。邪気を払う飾りとして1000年以上前から日本にあるが、茶会の寄付(待合)でこれを飾った。まずは、外界から来た人を穢れを払い、香りをもって清め、それから茶室に入ってもらうためだ。この薬玉の部分を、昨年、一凜堂さんにお願いして制作して頂いた。今年の端午の節句はあいにく自粛期間となったが、家に飾り、コロナ退散を祈った。


いつか茶会を

 生前、高橋社長とは、つまみ細工の茶会をしようと、何度も語ったが、私の力不足で叶えることができなかった。しかし、必ず未来で開催することを誓っている。そのためには、今回の事態を乗り越え、つまみ細工の伝統がなくならないことを祈る。

武井 宗道

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