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生活観をつくりだす

 親元を離れて一人暮らしを始め、1ヶ月を過ぎた。仕事は忙しくなかったものの、自室のインテリアを充実させることに夢中になってしまい、机でパソコンを開くということが凡庸に感じられ(ネットショッピングを除く)、これほどの人生の大イベントなのにnoteを更新することを忘れていた。
 ようやく自分のお城を構えることになるのだから、それはそれはテンションがあがる。POPEYEやBRUTUSで読んだ(もしくは、Instagramの「発見」から与えられた)生活のノウハウ等を生かす場面が、ついに来たのだ。

 たとえば冷蔵庫や洗濯機のような、必要最低限の生活用品を揃えている時は実感がわかなかったけれど、カーテンや収納家具を日々吟味していた時は、新生活のにおいが自身から感じられた。実家からパクったメジャーを片手に、部屋の隅々を計測し、時には家具のパーツを追加したり、返品をしたりした。DIYに憧れる体質ではないけれど、僕がこれまで生きてきた中で培った美的感覚のみで「勝負」をしている気がして、3月からこれまでにかけては、少なくなるばかりの銀行の残高とは裏腹に、勝気な時期が続いた。

 特に、ここ3週間はフィーバー状態であった。
 冷蔵庫や洗濯機などは、入居時期に合わせて冷静な彼女と一緒に選んだけれど、それらを設置し終わって、彼女が仕事で遠くに旅立っていた期間は、一人きりでリビングの構想を練った。無駄に歩き回って、インテリアショップとホームセンターをハシゴしたり、近くの無印良品に在庫がなかったために、吉祥寺の大型店までわざわざ繰り出したりした。
 カップルとファミリー層で溢れて賑わった街中を、巨大なナイロンバッグを肩に掛けて、イヤホンをして階段を上る僕の姿には、若干のたくましさもあっただろう。生きるということはたくましくなることだ、と知った。

 とは言えすべては「自分の城を作るために」という自己勝手な目標が原動力なのである。生きる、なんてそこまで高尚な目的のためではない。


 ほとんどのレイアウトを終えた今、こだわりはたくさん詰め込めた、と自己評価できる。ラグ等を敷く「低めの暮らし」に反発し、テーブルもテレビ台も高さを出した。テレビは43型で、6畳一人暮らしで標準とされるサイズよりかなり大きい。不必要なものばかりを飾る、ガラス板のディスプレイラックまで揃えた。ルームディフューザーとかスマートスピーカーとか、本当にQOLを上げてくれるのか分からないものも、購入品には混じっている(まぁ必要で無かったとしても、人生の寄り道だと自己完結している)。

 今、リビングを見回してみても、何事も無計画な僕にしては、部屋全体の統一感は出せたと思う。家を決めるまでは、壁紙やフロアタイルを張って、もう少しアーバンでアンバーな雰囲気に拵えたかったけれど、今の色調も悪くない。相変わらずモノは多いけれど、それらのほとんどは見えない場所に閉じ込めることに成功して、思ったより空間には余裕がある。掃除機など必要なものはまだあるけれど、これ以上モノを買い足すことが少し怖くなるほど、このバランスがベストだ。決して写真映えはしないが、居心地が良い。

 何が言いたいかというと、とても満足なのである。(控えめな性格のために)遠回しな表現をいくつか重ねてしまった。この家、最高!


 1ヶ月も経つと、机の上がレシートで散らかっていたり、変なところから食パンの結束バンドが発掘されたり、それなりに生活感が出てくる。それはもしかしたら、丁寧な暮らしを装おうとする自分自身に対して「ボロが出た」と言えるのかもしれないけど、考え方を変えれば、自分らしさがようやく育まれてきた証なのかもしれない。これまで、知らず知らず親によって掃除されていた場所を汚くしてしまっていることに気付いたり、逆に家族間に存在しなかった習慣がやけに続いたりする(毎朝豆乳を飲む、など)。

 こだわりたいこと/妥協できることの線引きが、僕の中でハッキリしてきたような気がする。スーパーでの買い物では、ストックを切らしたくない食品が定まってきた。肉は国産にするか外国産にするか、お米は洗うか無洗米を選ぶか、食パンはどのメーカーを選ぶか・・・ふと、選択している自分を客観視すると、面白い。そしてきっと、これらが変化するタイミングも面白いんだろう。「人生はあらゆる選択の連続だ」という言説があるが、ようやくそれを実感できている。一人暮らしの魅力とは、これなのかも。

 本質、この居心地の良さは忘れないでいたい。生活感を排除するのではなく、生活観を作り出していくのだ。
 急な外出のために、トートバッグはドアノブに掛けて、靴下はすぐに洗濯カゴに入れず玄関近くに脱ぎ捨てて置く。でも、調理台が水に濡れたままは嫌だから、ふきんですぐに拭く。コンロは常に綺麗にする。エアコンは無理せずに付ける。ベットからテレビを消すためだけに、アレクサを起動させる・・・最後のは、ただのズボラかもしれない。

  せっかく育んだこのマイルールたちが、経済苦で消滅しないよう、どうにか、頑張って生きていきたいと思う。

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