コツコツ、という音。マンションやアパートではこれ程に聞こえてこない、屋根からの新鮮な響き。台風が近づくと、いつか銃弾大の穴が空くんじゃないかと心配にさせるくらいに、それは激しさを増す。けれど僕にとっては、どこか心地よい気がした。雨風をしのぐことができている、ということが、僕に生を感じさせる。ここまで何とか1ヶ月、耐えて来れたようだ。 ボーイスカウトに所属していた中学生時代、「日本ジャンボリー」という朝霧高原で行われた全国イベントに参加したことがあった。1週間近く、タープ
昨年7月頃から始まった長期プロジェクトを完走して、その後、息つく間も無くやってきたシリーズ案件もとりあえず撮影まで終えて、ひと段落。家業に関しても、税理士や銀行等との話し合いに決着がつき、税金の支払いも滞りなく行えそうといったところ。今の気持ちは、曇りのち晴れである。 これまでの期間、楽しいイベント事は沢山あったけれど、心に余裕のない中、とりあえず突き進んでいたというのが実際である。時に、ノンストレスで東京で趣味に没頭する同世代たちを羨んだり、人に迷惑をかけながらタスクを
前のエントリを書いた時には、思いもよらない出来事だった。 5月5日、父が亡くなった。2月に発症したコロナとその後遺症で入院し、快方に向かいつつあったものの、医療体制がやや手薄になったGWに悪化して、そのまま帰らぬ人となった。65歳、若すぎると思う。何より、父本人が一番びっくりしているだろう。LINEの「ひとこと」欄には「150歳まで生きてやる」と書いてあった。2年前に原因不明の病気で倒れるまで、風邪ひとつしてこなかった健康体だったし、その病気自体は車の運転や旅行をこなせる
会社が新体制になって(名前も変わって)、新しい風が吹きそうな予感はするものの、その風にあたりに行くヒマがないくらい、人手不足を感じる。新卒研修を終え、初めて執務室に入って部に合流した時に感じた、「僕らのチームにおいでよ!」みたいなキラキラムードは、もう夢まぼろしだ。いまはチームではなく個の時代だ、と言えばそれまでだが、後輩に華やかなムードを醸し出す4年目になれないのかと思うと、少し寂しい。 入社時の内定者懇親会で「案件を掛け持ちすることはありますか?」と質問したことを思
3月に引っ越すまで住んでいた地元は、生まれる数年前から始まった再開発計画のおかげで何でも揃っていて、住むにはとても便利だけれど、困った事に「遊び場」が無く、まだ若者をさせていただいている僕にとっては、ひどく退屈だった。引っ越しを検討し始めた約1年前に、僕の中で「地元の良さ・再発見プロジェクト」を立ち上げて色々と開拓をしたものの、そのほとんどが深夜帯までやっているバーだったりしたので、このご時世では全く意味を持たず。結局、魅力を見出せずに、僕はその街を後にしてしまった。
親元を離れて一人暮らしを始め、1ヶ月を過ぎた。仕事は忙しくなかったものの、自室のインテリアを充実させることに夢中になってしまい、机でパソコンを開くということが凡庸に感じられ(ネットショッピングを除く)、これほどの人生の大イベントなのにnoteを更新することを忘れていた。 ようやく自分のお城を構えることになるのだから、それはそれはテンションがあがる。POPEYEやBRUTUSで読んだ(もしくは、Instagramの「発見」から与えられた)生活のノウハウ等を生かす場面が、つい
自分にとってふさわしいクリエイティブとは何か、ということをよく考えてしまう。 どんなことをしていたら僕らしいだろう?輝いて見えるだろう?そんなことを考えるのは野暮だと分かっているのに、気づけば、意識している。ここ数年、年初に「今年はクリエイティブな年にするぞ」と意気込み、大晦日に「何もできなかった」と後悔する、なんてことが続いているのも、きっとこのスタンスのせいだ。今年も、何もできないまま1月が過ぎてしまった。 「やりたいことは好きなだけやればいい」「クリエイターになり
好きな古着屋を聞かれたら、僕は迷わず「学芸大学のISSUE」と答える。渋谷や原宿を一通り歩いて、ときめくアイテムにめぐり逢えなかった時(それでも何かしら服を買いたい気分の時)、ここに来れば間違いなく良いアイテムに出会える、"駆け込み寺"的な存在だからだ。シーズン毎に膨大な量の更新があるInstagramもフォローしているが、そこまで予習せずにフラッと立ち寄ったとしても、目をひく"強い"洋服たちがたくさん並んでいる。 古着屋特有の雑多な陳列は皆無で、店内はゆっくり時間が流
たったひとことの気遣いが、人としての格を上げ、その人自身をお洒落にしてくれると思う。 サカナクションの山口一郎さんがやっていたインスタライブに、藤原ヒロシさんが出演していた時の話。彼らは仲良しで、しばしばコラボ機能を使って、敬語が飾りのように聞こえるくらい、気持ちのいい会話を繰り広げている。視聴者として、彼らの相思相愛な師弟関係は憧れのど真ん中だ。 やがて楽しい会話が終わり、お互いがそろそろ接続を切ろうとした時、藤原さんは別れ際に「今日は楽しかったよー。ありがとう」
昨年の10月3日、彼女の誕生日プレゼントを探すという名目で、僕は表参道にいた。立ち並ぶハイブランドのお店と、魅力的な商品たち。後先のことを全く考えなければ、という条件付きで「買えなくもない」という経済状況に置かれた、社会人2年目。そしてこの日は、長期戦だった地方ロケの撮影が終了して久々の休日。なにか、自分へのご褒美を探していた時期だった。 倉敷の記事でも書いた通り、僕は街を徘徊することが大好きで、表参道や青山、キャットストリート付近も例外ではなかった。ウィンドウショッピ
気づけば、年が明けてしまった。『準備篇』を書いた時から嫌な予感はしていたけれど、シリーズモノを書こうとすると、必ず途中でジャマが入って挫折してしまう、というのがブログ時代からの悪い癖だ。ストレス解消策としてnoteを書いているのに、後編が書けないために、新しく記事が更新出来ないストレスが生まれてしまうというのは本末転倒である。乗り越えるためにも、昨年の秋の出来事を、今更ながら思い出していこうと思う。 - - - - - - 2日目、起きたのは9時頃だった。1泊目のベッ
先に結論を言ってしまえば元も子も無いのだけれど、今回の旅の満足度はあまり高くない。それは岡山/倉敷が持つ土地的魅力のせいでは一切無く、『準備編』の最終段落に綴ったような「慢心」そのものが原因だ。僕は、"自由気ままなひとり旅"という幻想に囚われすぎていたのかもしれない。 とにかく、時間に対して無頓着すぎたと思う。 今夏、日帰り旅行で那須塩原へ行った時には味わうことの出来なかった「街における時間的制約」を、僕はこの旅で目の当たりにするのである。 - - - - - -
長く苦しかった地獄の案件が終わりを迎えて、労働基準法的にも「今年はもう店仕舞いかな」と呑気に構えていた矢先、次の案件が入ってきた。 自粛期間中も出社し続けて休みが無かった今年、残り2ヶ月くらいはゆっくりしたかったけれど、同郷のプロデューサーから指名をいただいたという事で、「やります」と一つ返事で答える。一緒に仕事してみたかった先輩もチーフとしてついてくれるから、2ヶ月前に比べて精神状態はかなり良い。 先輩たちから電話で案件の説明を受けていた際、制作としてのキックオフは
洋服を買う楽しみを覚えたのは、4年前くらいになる。 大抵の大学生と同じように、まずは古着に興味を持ち始めた。トミーヒルフィガーとかラルフローレンとか、80年代に流行ったカジュアルなアイテムを求めて、下北沢や原宿へ。バイト代で賄える程度の金額で買えてしまうことが分かると、どんどんのめり込んでいった。当時は少し太っていたから、オーバーサイズな古着は体型を隠すという点でも、もってこいだった。 そして何より古着は、かならず個性的だ。素材が上質なもの、シルエットが美しいもの、パ
今年に入って、カレーの雑誌を2冊も買ってしまった。『BRUTUS』の特集と、調理する機会もないのに『dancyu』。SNSで特集本が出るという情報を聞きつけると、僕はすぐに飛びついてしまう。ほかにも2冊欲しいムック本がすでに出ているし、先日『マツコの知らない世界』でも(今までの放送の再編集版ではあるが)「カレーの世界」が放送されたようで、ここ数年、カレーはやっぱり大人気コンテンツなのだなと感じさせられる。 僕がカレーにハマったきっかけは、間違いなくインスタグラマーの吹春
「何もしない」を2日間くらい味わっていたら、心がスッキリしていくのがわかった。ふかふかのベッドは最高の相棒で、睡眠は最強のリラクゼーションだ。嫌だった出来事も足首の疲れも、僕の知らないどこか遠くへ連れて行ってしまう。今後本当にテレワークが中心になっていくなら、作業用の椅子にお金をかけるのも悪くない。特別給付金はすべて家に入れてしまったけれど、貯金を切り崩して拵えている、そう遠くない未来が見える。 先週半ばでようやく仕事を終えることができ、久々にフリーだ。徹夜の作業に慣れ