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面白い上に感心して読了した「コンビニ人間」で問うている正常な感覚とは?

村田沙耶香著の「コンビニ人間」の刊行は2016年。

今読んでも全く古くありません。

そしてとても読みやすい文体の小説でした。

なるべくネタバレさせたくないので

読んでない方はここで一旦たち止まるのをおすすめします。

ペーパーブックの英語訳された"Convenience Store Woman”

が面白いと言っていた友人の感想を聞いて借りてみたのです。

こんなにおもしろい小説ならもっと早く読んでおけば

良かったです。

図書館から借りたハードカバーを今日の20時くらいから

読み始め21時前には読み終えていました。

主人公"古倉恵子"は、三十代半ばであるにもかかわらず、正規の就職をせずに大学時代に始めたコンビニのアルバイトを続けていた。 古倉は子供の頃から変わり者で人間関係は希薄、恋愛経験も皆無だったが、「コンビニで出会う人間の真似」をしたり、妹の助言を聞くことで、大学生になってようやく普通の人間らしく振る舞う方法を身につけた。

ウィキペディアからコンビニ人間についてのあらすじより

主人公の考え方の合理性についての捉え方がある意味で

とても寛容なところがあります。

そんな寛容だなぁと思って説明を読むと筋は通ってるけど

社会的な合意された幻想みたいなルールからは程遠いのでした。

共同幻想からズレた主人公の行末がどうなっちゃうのか

知りたくて一気に読み終えます。

主人公の妹は(姉=)主人公どうしたら治るのか?

心配で仕方がないみたいでした。

誕生、思春期、恋愛、就職、結婚、出産、子育てみたいな

流れをコンビニで働くことを切り口でバッサリ斬っていく

著者の正常な世界観とは何かという問いかけが痛快でした。

かつての同僚で主人公と付き合うクズのような彼氏が

できるところもすごかった。

主人公の思考の合理性みたいな計算の仕方がある意味

すごい。

コンビニではちゃんと働けて生活もできるところで

それ以上の意味を求められると途端に社会から

はみ出してしまう感じの記述が凄まじかった。

主人公と一緒に暮らすことになる「彼」の存在も

大きく、本当に世間を舐めてるなぁという記述が

多くてそれを受け入れてしまうかのような

主人公の納得の仕方がある意味でめちゃくちゃに寛容です。

付き合う彼氏という存在と共に食事をするのではなく

彼に「餌をあげる」という発想がまたすごい。

私は学生の頃社会学を中心に学び、

社会化という概念→「価値の内面化」という用語を

学びました。

さらに社会学という分野は常識破壊ゲームという性格を

持ってることでずいぶんと楽しく学んだ記憶があります。

社会へ適応するということはどういうことなのか?

このようなテーマを考える材料になると思います。

ただコンビニの仕事を底辺だという記述がありました。

これは小説の中の一つの表現ではあります。

ただし誤解を誘う表現だとは思います。

コンビニの仕事はかなり過酷だと思います。

私にはとうていできない職種です。

コンビニで働いてる人を私は尊敬しています。

超人のような仕事をしないと務まらないような

そして覚えることの多い仕事だと思います。

結局のところ楽な仕事なんてないと思います。

主人公が過剰にといっていいほどにコンビニの店員に

適応しようとするかなり毒のある小説として、

ブラックユーモアのある小説としておもしろい作品でした。

ここまで読んでくださりありがとうございます。

またの機会に楽しい小説と共にお会いできますように。


せっかくのお時間を割いてまでここに来られたことにまず感謝します。そして読んでくださるあなたのスキやコメントが大きな励みになっています。投稿したものは我が子のような同時に自分の分身のようなものです。どんな作品であれ一役買ってもらえたらば何よりの幸せです。今後ともぜひどうぞご贔屓に。