勉強「するための」方法 須﨑恭彦著「勉強に集中する方法」

私は、勉強が趣味だと思う。勉強=苦行と捉える風潮は、学ぶハードルを上げるだけであり、趣味とは胸を張って言いにくいものの、勉強は嫌いではない。会社に入ってからも、それなりに多くの資格を取ってきた。「勉強」と聞くと、習得後にワンランクレベルが上がった自分を想像して、ワクワクしさえする。

そんな自分は、学生時代に形作られた。多感な思春期において、何か得意なものがあることは精神衛生上重要だ。私は、運動神経は普通だったし、芸術系科目は得意ではない。絵画に至っては、真剣に描いたのに、心の病を疑われたこともあった。そんな私にとって、明らかに人よりよくできた勉強は心の支えだった。アタマが良いとされるのは、ルックスのよさや運動神経のよさと並んで、世間知らずで視野の狭い子どもの自己肯定感に影響する。そんな過去が勉強を苦にしない自分を作ってきた。

この本では、成功体験がなく、「どうせ自分なんて…。」と思っている人は、まずはそのメンタルを通常に戻すことが勉強を始める準備として欠かせないとする。そのトラウマを解かない限りは、うまく行きようがない。勉強ができる人は、生まれつきの適性もあるが、得意だからこそ苦労せず勉強してきた蓄積があるので、練習を重ねたアスリートのように、勉強のやり方自体が上手くなっている。その上、成功体験があるので、自分ならできると信じこめる。これは大きなアドバンテージだ。一方で、勉強が苦手と思いこんでいる方は、やり方がわからないし、自信もない。勉強と聞くと拒絶反応が出る。こんな状態で勉強を続けるのは、なかなか難儀だ。義務教育の過程でのトラウマは大きいものである。

見方を変えれば、この本は自己啓発のみならず、子育てにもとても役に立つ。「何でできないの!?」と問いただす親がいるが、それがわかれば苦労はない。勉強しないからというのは簡単だが、なぜ勉強しないのか、なぜやる気が起きないのかに踏み込まないと解決にならない。「アンタの子だからだよ。」私ならそう思ってしまいそうだ。私の子供には、そんなことを言うよりも、成功体験を積ませてあげたい。テストの出来不出来は、色んな要素が絡んでくるのでコントロールが難しいが、せめて新しい挑戦を怖がらない人間になってほしい。改めてそんなことを考えるきっかけになった。

私は勉強を子どもの頃から今に至るまで、基本的に独学でやってきたので、自分なりの勉強方法がある程度確立されているが、この本の勉強法は納得できることが多く、気づきもあった。

勉強の習熟度はS字曲線型であり、ある程度蓄積が進むまでは、遅々として成果が上がらないということは、必須の知識だろう。だからこそ、勉強初期には、専門書ではなく、「何時間でわかる」というような入門書で全体像を把握し、薄くて簡単な問題集を仕上げるのがいい。一度全体像を頭に作れば、(本書では「新しい回路ができあがる」とする)色んなことが有機的に結びつき、加速度的に習熟が進むものである。

また、資格の勉強であれば、試験前の目標到達点は過去問が解けるようになることだろうが、難関資格であればあるほど、手も足も出ない。まずは過去問と解答を読むことから始めることも有効である。

ありがちなのは、資格試験の受験を悩む時に、受からなければ無駄になるから、挑戦をやめようとすること。何十万円もかけて予備校に行くとか、会社をやめて受験に専念するとか、そんな背水の陣で臨む人が結果を求めることは理解するが、そうでない場合は目的と手段を混同している。本来、知識が必要だから勉強したいと思ったはず。であれば、勉強して知識を得たことが無駄になるはずがない。受かることこそが全てだ、と言い切れる場合は、人生を一変させる試験か、必要性が低い試験のどちらかだろう。やってみて向いていないことに気づいた、あるいは他にやりたいことができたら、軌道修正すればいいのである。それに気づいたことが収穫だ。

勉強を効率的にしたいというのは、多くの人の願いであり、勉強法の本は数多ある。しかし、勉強法の本を読んで勉強した気になっても、実行しなければ全く意味がない。勉強法の本は数多あれど、勉強を実行に移すための本は少ない。挑戦したい気持ちはあっても、腰が重く感じる時にはオススメの1冊だ。

さて、最近小学生である息子の友だちが、僕は勉強ができるのになぜモテないのだろうと悩んでいた。経験上、勉強ができるからという理由でモテることは、学生時代は特にほとんどなく、これも目的と手段の混同だと思うが、努力するキッカケは何でも良いので黙っておこう。

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