ミニマリストと八百万の神 映画「トイ・ストーリー3」

妻も息子も使わなくなったものを手放すことにためらいがない。メルカリですぐに転売できる今の世の中は、そういう人には便利な世の中だ。

およそ人が何かを手に入れる時は、何らかの役目を期待しているものだ。その役目が済んだら、自分以上に役目を欲しているところに移す方が合理的である。それは物だけではなく、人も、お金も、事業も、世の中のほぼ全てのことに当てはまる。世の中は経済合理性に満ち溢れている。私も総論賛成である。

一方、各論では、私はあまり裕福ではない家庭に育ったため、子どもの頃、欲しいものを欲しいときに買ってもらえることが少なかった。だからこそ、買ってもらえたサッカーのスパイク、ゲーム、マンガ、参考書…何度も繰り返し使っていた。欲しいものをそれなりに買えるようになった今でも、今持っているものを何とか使えないかと考えてしまう。経済合理性に適っているか、というと疑問符がつくが、自分のものは最後まで大事に使いたいのだ。ちょっと使う頻度が減ったからといって、すぐに手放すのは反対である。

きっと私が貧乏性であることに加え、八百万の神を信奉する日本人のDNAなのだろう。一度所有し、何らかの役目を果たしてくれたものは、私にとっては愛着を感じ、輝いて見える。大事に使ったものは、ボロさもまた味なのである。

トイ・ストーリーは、子どもたちを楽しませるため、おもちゃに神が宿ったかのような物語。第3作となる今作は、おもちゃの持ち主の少年が大学生になり、生まれ育った家から旅立つことが決まった。その出発準備の中で、ボタンのかけ違えから少年のことを誤解し、おもちゃが家出をして、とある保育園にたどり着く。そこには、クマのぬいぐるみがボスとして牛耳っていて、というところから物語が展開していく。

おもちゃたちは、心の中では少年と過ごした楽しい思い出が残っており、本音では少年から離れたくないが、再びそうした役目を求めて少年の元から旅立とうとする。少年側もおもちゃとの思い出が忘れられず、使わなくなっても捨てるという判断ができない。

私もあまり使わなくなったものを、メルカリに出してよいか問われることがある。ミニマリストとしては当然なのだろう。私は拒否するが、合理的な理由を説得的に示せず、いつもモヤモヤして終わる。トイ・ストーリー3は「好きだから手放せない。」そうやってはっきり言えばいいと教えてくれた。それが説得力を持つほどに、物を大事にしていきたい。

でも、子供が卒業したおもちゃをメルカリに出すのは歓迎だなあ。

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