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真理VS誤謬―③ 反キリストの九つの特徴と歴史的な証拠

反キリストの九つの特徴と歴史的な証拠

宗教改革者たちは、『ダニエル書』7章と、『ヨハネの黙示録』13章に出てくる「小さい角」と、「先の獣」を、二つともローマ教皇権を表すという立場を表明しました。彼らは、聖書をどのように理解して、その結論に達したのでしょうか?この記事を最後まで読まれたなら、宗教改革者たちの見解に、読者の皆さんも全面的に同意されるようになることでしょう。
天の神様は、謙遜な姿勢と、偏見にとらわれていない心で、反キリストの正体を研究するなら、誰でも、同じ結論が出せるように、預言を記録しておかれました。神様は、聖書を真剣に研究するクリスチャンが、反キリストの正体を明確に理解できるように、預言を解き明かすことのできる鍵束を、聖書の中に秘めいておいてくださいました。預言者ダニエルと、使徒ヨハネが書き記した預言、そして、世界歴史を通して成就された預言の跡をたどる時に、ローマ教皇権以外に、世に存在するどんな宗教、政治、社会勢力なども、『ダニエル書』や『ヨハネの黙示録』が示す、九つの特徴を完全に満たす勢力はないことを悟るようになるでしょう。
『ダニエル書』7章が説明する『ヨハネの黙示録』
『ヨハネの黙示録』13章の序盤では、先の獣が“海”から上がってくる姿が描かれており(1節)、中盤ではほかの獣が“地”から上がってくる場面が描写され(11節)、中盤以降から13章の終わりまでは、最後の時代に、この二つの獣が協力して、聖徒たちを迫害し、獣の刻印を強要する事件まで展開していきます。「そして、先の獣の持つすべての権力をその前で働かせた。また、地に住む人々に、致命的な傷がいやされた先の獣を拝ませた。・・・その獣の像を拝まない者をみな殺させた。・・・この刻印のない者はみな、物を買うことも売ることもできないようにした」(黙示録13:12、15、17)。この獣は誰で、彼らの目的は何か?この重要な質問に対する答えを探すためには、まず、先の獣の正体を知らなければなりません。先の獣が分かると、ほかの獣の正体も見えてくるからです。
『ヨハネの黙示録』に出てくる預言を解釈する時、私たちは『ダニエル書』の預言を並べて研究することによって、目覚ましい悟りが得られるようになります。『ヨハネの黙示録』には、歴史的な啓示が4回繰り返し出ていますが、『ダニエル書』にも、同じように、世界の歴史が4回繰り返して預言されています。預言を研究すればするほど、多くの点について、『ヨハネの黙示録』と『ダニエル書』は、預言の内容においても、そのパターンにおいても、非常によく類似していて、この二つの預言書は、終末に関する預言において、互いに深く連結している事が分かります。いわば、『ダニエル書』は終末についての預言の概観が記録してあるのに対して、『ヨハネの黙示録』は、終末の預言の意味をより詳細に解き明かしている書といえます。従って私たちは、この二つの預言書を、一緒に比較しながら研究することによって、終末に関する正確な情報と、明確な信仰を養うことができるようになります。
最初に、驚くべき事実は、西暦1世紀頃、使徒ヨハネが記録した「先の獣」についての預言が、旧約聖書のダニエルが記録した、「小さい角」についての預言と、正確に一致しているという事です。旧約と新約の偉大な二人の預言者が、声をひとつにして指摘しているこの勢力は誰でしょうか?
『ダニエル書』7書では「小さい角」として象徴された勢力が、『ヨハネの黙示録』13書では、恐ろしい姿を持つ「獣」として登場します。次の比較表を見ると、『ダニエル書』7章の小さい角と、『ヨハネの黙示録13章』の先の獣の、背景、年代、活動状況についての特徴が一致していることが明白に理解されます。
そこでここでは、『ダニエル書』7章に出てくる「小さい角」と、『黙示録』13章に出てくる「先の獣」の特徴と、歴史的証拠を注意深く見ることによって、最終の時代に獣の刻印を強要する勢力が誰であるかを、明白にしていきましょう。

第1の特徴:小さい角と先の獣はローマ帝国の分裂以降、西ヨーロッパで起った。

ダニエル7章の小さい角:「わたしが、その角を注意して見ていると、その中に、また一つの小さい角が出てきたが、この小さい角のために、さきの角のうち三つがその根から抜け落ちた。見よ、この小さい角には、人の目のような目があり、また大きな事を語る口があった」(8節)。
ヨハネの黙示録13章の先の獣:「わたしはまた、一匹の獣が海から上がって来るのを見た。それには角が十本、頭が七つあり、それらの角には十の冠があって、頭には神を汚す名がついていた。わたしの見たこの獣は非常に似ており、その足はくまの足のようで、その口はししの口のようであった。龍は自分の力と位と大いなる権威とを、この獣に与えた」(1、2節)
教皇権が確率される時期と場所
いつ:ローマ帝国の分裂以降
どこで:西ヨーロッパ

預言の解釈

「小さい角」:『ダニエル書』7章では、預言者ダニエルの時代からスタートして、歴史の中で順番に現れる四つの帝国が、四つの獣として表されています。「この四つの大きな獣は、地に起らんとする四人の王である。・・・第四の獣は地上の第四の国である」(ダニエル7:17、23)。この四つの獣は、しし(バビロニア帝国)、熊(ペルシア帝国)、頭を四つ持ったひょう(ギリシア帝国)、そして十本の角を持つ恐ろしい獣(ローマ帝国)を表しています。預言者ダニエルは、この第四番目の獣(ローマ帝国)がやがて十の国として分裂し、その分裂した十の国の中から、小さい角の勢力が起こる事を見ました。「十の角はこの国から起る十人の王である。その後にまたひとりの王が起る。彼は先の者と異なり、かつ、その三人の王を倒す」(24節)。

それでは、第四の獣として表されたローマ帝国が十の国に分裂したのはいつだったでしょうか?歴史では、西暦476年に、ローマ帝国は十の国として分裂したことが知られています。ローマの滅亡と共に、十か国に分裂した国は次のようなものでした。①アングロサクソン(イギリス)、②フランク(フランス)、③アレマナイ(ドイツ)、④バーガンディア(スイス9)、⑤バンダル(滅亡)、⑥スエービー(ポルトガル)、⑦オストロゴス(滅亡)、⑧ヘルライ(滅亡)⑨ロンバーツ(イタリア)⑩ビシゴス(スペイン)
それゆえ小さい角は、西暦476年以降、ローマ帝国が分裂して十の国があった西ヨーロッパ地域で、三つの国を除去しながら伸びてきた勢力です。「その後にまたひとりの王が起る。彼は・・・その三人の王を倒す」(24節)

*先の獣:『ダニエル書』7章で、「小さい角」として表された勢力が、『ヨハネの黙示録』13章では、「ダニエル書」7章に出てきた四つの獣を、混合した形で登場します。
使徒ヨハネは、この「先の獣」を≪ししの口+熊の足とひょうの体+七つの頭+十の角≫を持った奇怪で恐ろしい外観を持った姿で描写しました。これは、この獣が『ダニエル書』7章に出てきた、バビロン、ペルシア、ギリシア、ローマ帝国の権勢と、神の民を迫害する性格を、複合的に持っている勢力であることを表しています。『ヨハネの黙示録』13章の「先の獣」には、「頭が七つ」ありますが、これを見ても、この獣が『ダニエル書』7章に出てくる四つの獣の複合体であることが分かります。≪ししの頭(1個)+熊の頭(1個)+ひょうの頭(4個)+はなはだ恐ろしい獣の頭(1個)≫
この、「七つの頭」を持つ獣の、十本の角にそれぞれ冠(王冠)があるのを見ると、この複合的な獣が、強力な王権を持って出現する時期は、ローマ帝国が滅亡して十本の角(十の国)に分かれた以降(西暦476年)だという事が分かります。

歴史的な証拠

西洋史は、教皇権が、ローマ帝国が十の国に分裂した以降に、西ヨーロッパから登場したことを実証しています。「ローマ帝国の崩壊の後、ローマ教会の巨大な宗教王国が立ち上がった」( A.F Flich, The Rise of The Medival Church)。「教皇はローマ皇帝が持っていた権力と名声、そして異教の名称を受け継ぐことによって、実質的にローマ皇帝の座を占めた」(ステンリの歴史)

ローマ教皇権はいつ起きたのでしょうか?ローマ・カトリック教会が、強力な勢力で登場する歴史的年代が、この第一番目の特徴と正確に一致します。教皇権は、ローマ帝国が十の国として分裂した西暦476年以降に強力な勢力として登場しました。正確に言うなら、西暦538年に、ジャスティニアヌス皇帝が、ローマ教会へ強大な権勢(宗教、政治、軍事)を与えると宣布しましたが、この時をもって、教皇権が世界を支配する、中世暗黒時代の始まりとなったのでした。
また、預言は、教皇権が登場する地理的な位置を、西ヨーロッパであると記しています。まさに教皇権は、西ヨーロッパから起こりました。具体的にいうと、ローマ帝国の心臓部であるイタリア半島のローマ市から起こりました。

第2の特徴:「小さい角」と「先の獣」は宗教的な勢力

『ダニエル書』7章の「小さい角」:「この小さい角には、・・・また大きな事を語る口があった。・・・彼は、いと高き者に敵して言葉を出し」(8、25節)。
『ヨハネの黙示録』13章の「先の獣」:「龍がその権威を獣に与えたので、・・・その獣を拝んで・・・また、大言を吐き汚しごとを語る口が与えられ、・・・彼は口を開いて神を汚し、・・・その名を世の初めからしるされていない者はみな、この獣を拝むであろう」(4~6、8節)

*当然、教皇権は宗教的な勢力です。神様の代弁者として礼拝を受け、聖書にない自分たちの教理を作り上げ、いと高きお方に敵対する発言をしています。

預言の解釈

「小さい角」:『ダニエル書』7章に出てくる小さい角は「いと高き者に敵して言葉を出す」と言われていますので、これは宗教的な勢力に違いありません。ダニエルは「小さい角」の勢力は、それ以前に存在した十本の角、すなわち、十の国と異なる属性を持っていると説明しています。「十の角はこの国から起る十人の王である。その後にまたひとりの王が起る。彼は先の者と異なり、かつ、その三人の王を倒す」(24節)。ダニエルは、何がどのように異なるので、「小さい角」を「先の者と異なり」と表現したのでしょうか?十の角は、単純に政治的王権を持った国々でしたが、小さい角は、政治的な王権だけではなく、宗教的な属性も持っていたのです。
「先の獣」:『ヨハネの黙示録』13章の「先の獣」は、小さい角と同じように「大言を吐き汚しごとを語る」存在で、地に住む者たちから「礼拝」を受けることを要求し、口を開いて神を汚し、神に敵する言葉を出す宗教的勢力です。

歴史的な証拠

教皇権は、以前存在していた王国や国家と、全然異なる、宗教的な特性を持っています。「以前の十の国々は、すべて政治的君主国家だが、ローマ教皇は、宗教的君主国家であるという点で大きく異なっている。それ以前の王国では、人の体を治めていたが、教皇は人々の魂をも治めることができるのであった」(Daniel By Ford)。
教皇権は、宗教的勢力から始まり、現在まで、巨大な宗教団体として残っています。教皇権は、単一教団としてはこの世界で最も大きく、影響力のある宗教団体です。教皇権の影響力が及ばない国は、この世界ではないほど世界的な宗教団体で、最近では、宗教連合の掛け声の中、プロテスタント教会にも、強力な影響力を持っています。

第3の特徴:小さい角と先の獣は大言と汚れた事を語る。

『ダニエル書』7章の「小さい角」:「この小さい角には、・・・大きな事を語る口があった」(8節)。
『ヨハネの黙示録』13章の「先の獣」:「この獣は、また、大言を吐き汚しごとを語る口が与えられた」(5節)

*教皇権は大言と汚しごとを語る勢力です。自分を神様と等しくし、自ら罪を赦す権威があると主張しています。

預言の解釈

「小さい角」と「先の獣」がする“大言と汚しごと”とは何でしょうか?聖書では、「大言」は「汚しごと」と一緒に使われる単語です。それゆえある勢力が「大言」を吐くというのは、その勢力が「汚しごとを語る」という意味です。それでは、「汚しごとを語る」という意味は何でしょうか?
新約聖書では「汚す」という単語は、次の二つの意味で用いられています。一番目は、人間が、自ら罪を赦す権威を所持していると主張する事(ルカ5:21)、二番目は、人間が、自分を、神様と等しい位置にまで高めた時と言われています(ヨハネ10:33)。
『ヨハネによる福音書』10章では、イエス様が「わたしと父とは一つである」と語られた時、ユダヤ人たちは、イエス様が神様を汚したと言って、石を投げようとした場面が出てきます(ヨハネ10:30-33)。また、“父が自分におり、また、自分は父といる”と言われた時にも、イエス様を逮捕しようとしたと書かれています(10:38,39)。
『マルコによる福音書』2章では、「汚す」という言葉の意味について、違う定義があげられています。イエス様が中風の者に「子よ、あなたの罪はゆるされた」と言って、ご自身が地上で罪を赦す権威があることを語られた時、ユダヤ人たちは、主に向かって「神を汚すことだ」(マルコ2:5~7)と言いました。もちろん、イエス様は、神様と等しいお方でしたから、ご自身を、神様と等しい存在であると語る事が出来たのでした。「人の子は地上で罪をゆるす権威を持っている」言われました。しかし、イエス・キリストでもない人が、どんな人であれ、自分が神様と等しいと言ったり、罪を赦す権威を持っていると主張するなら、彼は神様に敵対する「汚す口」すなわち、「大言」を吐く者です。小さい角は、神様に敵対する大言を出します。つまり、自らを神様と等しいものだと主張し、罪を赦す権威を携えていると主張する特徴を持った勢力です。

歴史的な証拠

教皇権は、神様だけが取られるべき立場を取り、自らを、人間の罪を赦す権威を持っていると主張しています。そのことを、バチカン教皇庁から公式に発行された文書などから見てみましょう。

A. 教皇権は教皇を神様の座に置くか等しい者と主張する。

“教皇は余りにも尊厳があり、高い位についているゆえに、単に、人間ではなく、神様のような存在として神様の代理者である”(カトリック教会百科事典に記録された「教皇」についての定義;教皇レオ13世の言葉・抜粋)。
“教皇は、この地球上で全能なる神様の代わりに座している”(1894年6月20日教書)。
“教皇は、天の王、地上の王、煉獄の王として三重の冠をかぶる” Feraris 著・Prompta Bibliotheca 第6巻, p.26 (バチカンから発行された公式書籍)
“教皇は単にイエス・キリストの代理者だけではなく、彼は肉身のベールに秘められているイエス・キリストご自身である”(The Catholic National 誌1895年7号)。
“聖書において、教会のかしらとしてのキリストに適用される名称など、その方の至上権に関するあらゆる内容は、すべて教皇にも適用される” Bellarmin, Authority of Councils, 2巻17章
“教皇のみが最も聖なるものと呼ばれ、・・・聖なる君主、至高なる皇帝、そして王の王と呼ばれる。教皇はたとえようもなく大きな威厳と力を持っているゆえに、キリストとひとつになって、等しく裁きの座につくことができる。それゆえ、教皇が行うことは何であれ、神様の口から発せられたように扱われる。天使たちでさえ、堕落したならば、彼らを裁き破門に処することができる”Article on the Pope, Ferraris, Ecclesiastical Dictionary.
“我々の主(教皇)は、この地で全能なる神様の座を占めている” Pope Leo XIII, Encyclical Letter, 7/20, 1894.
“教皇は余りにも威厳があり至高であるがゆえに、彼は単なる人ではなく、神様の代理者である。教皇は地上の神であり、王の王であり、最高の権勢を携えている”Prompta Bibliotheca, vol. VI, p. 25-29.

今現在も、このような教皇についての立場は、変わらず続いているでしょうか?教皇ヨハネ・パウロ2世の戴冠式において、教皇の頭に三重冠を置きながら、ささげたオタビアニ枢機卿の祈りは、彼らの思想が全然変わらず、続いていることを確認することができます。「三つの冠として飾られたこの三重冠を、どうぞお受け取り下さい。あなたは君主たちと帝王たちの父であり、世界の司教であり、救い主イエス・キリストの地上における代理者であります。主の名誉と栄光が永遠にあらんことを」

B)教皇権は罪を赦す権威があると主張する。

“神様ご自身も、司祭や神父たちが赦すか、赦しを拒むか、その判断に従い、神父たちの宣言が先制した後で、神様はそれに基づいて判断される”(神父の尊厳性と義務など、12巻、27p)
“教皇権はその権勢が人々からではなく、神様から与えられたゆえに、神様の律法の修正はもちろん、地上の代理者として彼は彼の羊たちをつなぎ、また、解く、最も大きな権勢を持って行動する”( Ford, P.151)
“赦しは神様から直接人に来るのではない。それゆえ、頻繁に神父たちへ罪を告白するべきである”(1984年12月11日ヨハネ・パウロ2世教書137pより)。

聖書は、神様とイエス・キリストと人間の位置について、次のように明白に記しています。「神は唯一であり、神と人との間の仲保者もただひとりであって、それは人なるキリスト・イエスである」(Ⅰテモテ2:5)。パウロは、この真理を破壊する反キリストの姿について、さらに詳しい記録を残しました。「彼は(不法の者反キリストは)、すべて神と呼ばれたり拝まれたりするものに反抗して立ち上がり、自ら神の宮に座して、自分は神だと宣言する」(Ⅱテサロ二ケ2:4)。

第4の特徴:「小さい角」と「先の獣」は、政治的な勢力でもある。

『ダニエル書』7章の「小さい角」:「人(a man)の目のような目がある」(8節)
『ヨハネの黙示録13章』の「先の獣」:「全地の人々は驚きおそれて、その獣に従い、・・・すべての部族、民族、国語、国民を支配する権威を与えられた」(3、7節)。

*教皇庁は強力な中央集権的制度を持った都市国家であり、政治的な勢力である。

預言の解釈

「小さい角」:『ダニエル書』7章の「小さい角」の“角”はこの勢力が政治的な勢力であることを表しています。“角”は聖書で王権を象徴するため、この「小さい角」は国家的属性を持った勢力です。「十の角は・・・十人の王である」(ダニエル:7:24)。すなわち、「小さい角」は王権のような組織を持った勢力でなければなりません。王権の組織を持っているだけでなく“一人(a man)”が「小さい角」で象徴された勢力の指導者として君臨します。従って、「小さい角」は王権のような中央集権的な組織を持っており、一人が組織の指導者として君臨する君主国家の姿を持った政治的な勢力であると言えます。

「先の獣」:『ヨハネの黙示録』13章の「先の獣」もやはり「部族、民族、国語、国民を支配する」政治的な権勢を携えていますが、それだけでなく、全世界的な影響力を及ぼす勢力です。「全地の人々は驚きおそれて、その獣に従い」(3節)。

歴史的な証拠

ピラミッド形の組織を持った教皇権の形態は、強力な王権を連想させるのに十分です。実際においても、ローマのバチカンは、今でも、教皇が君主として君臨する一つの独立国家であり、絶対的な君主国家の体制を取っています。全世界で、このように、教会自体が一国家として君臨する形態はありません。ほとんどの人は、教皇権を、ひとつの宗教団体だと思っていますが、実際にはそうではありません。バチカンは、国際的に認知されている独立国家であり、全世界の150余りの国家と、大使たちを交換しています。
教皇権は、世界の政治と宗教界を監督し、判断する役割を果たしています。歴史的な視点から見ると、教皇権は、中世期に千年以上の間、ヨーロッパを政治的に威圧していました。16世紀の初めに起きた、宗教改革運動によって、一時的に、影響力が小さくなりましたが、今や再び全世界に、強い政治的な影響力を及ぼしています。しかも教皇権は、領土や民族を超越して、影響力を行使することができる世界的な勢力です。
教皇権が、ヨーロッパ全体に、強力な影響力を及ぼした宗教暗黒時代には、教皇はヨーロッパ諸国家の皇帝を擁立したり、廃位させたりする権勢を振り回していましたが、それらの歴史的な事実は、数々の歴史家たちの記録で確認できます。

“教皇グレゴリー7世の勢力に反発した、神聖ローマ帝国のヘンリー4世皇帝を、教皇が破門したために、それに当惑したヘンリー4世は、イタリアのカノッサで、教皇に切に赦しを願わなければならなくなった”(世界史)
“教皇は最高の裁判官として、王と皇帝たちを意のままに廃止させることができる”(教皇グレゴリー1世:590~604年)
“他の諸国家は、自国の領土内にある国民だけを治められるが、ローマ教皇は、領土と国民に関係なく、各部族、民族、国語、国民を支配する全世界的国家であるという面で大きく異なっている”( Daniel By Ford,152p)

第5の特徴:「小さい角」と「先の獣」は聖徒たちを迫害する。

『ダニエル書』7章の「小さい角」:「わたしが見ていると、この角(小さい角)は聖徒と戦って、彼らに勝ったが、・・・いと高き者の聖徒を悩ます」(21、25節)。
『ヨハネの黙示録』13章の「先の獣」:「そして彼は、聖徒に戦いをいどんでこれに勝つことを許され」(7節)。

*教皇権は神様の聖徒たちを迫害しました。

預言の解釈

聖書のことばが意味する通りに、「ダニエル書」7章の「小さい角」と『ヨハネの黙示録』13章の「先の獣」は、すべての聖徒たちを迫害した勢力です。

歴史的な証拠

私たちは、中世暗黒時代の歴史の中で、教皇権が、数百万のクリスチャンたちを迫害し、殉教させた事実を、幾らでも発見することができます。中世期の世界史に対する知識が少しでもある人なら、数百万のクリスチャンたちが、宗教暗黒時代の間に、宗教裁判を通して、異端と言う罪状のもと、残酷な死を受けなければならなかった話を覚えておられることでしょう。
“ローマ教皇は、ローマ教会が強要する教えと偶像崇拝を受け入れず、神様のみ言葉を根拠として、聖書を高く掲げ、死をも辞さないで罪に抵抗し、血をもって信仰を守り通した、5千万の男女を、宗教暗黒時代の間に殺傷したと積算される”(H.G. ゲイネッツ『差し迫る終末』204p.)
“ローマ教会が、かつて人間の間に存在していたどんな制度よりも、さらに多くの無実の人々の血を流してきた事実を、歴史に対して健全な知識を持った人であるなら、疑問の余地なく認めるであろう”( William Lecky, History of the Rise and Influence the Spirit of Rationalism in Europe, 2巻 p.35,37)
“教皇権のそのような迫害は、彼らが携えている次のような神学な信条からはじまる。「異端者とは誰か?異端者とは、カトリック教会が、神様の啓示にもとづいて教えている、特定の真理を明白に分かりながら、これらを意地を張って反対し、自分の意のままに、信じることも拒否することも選択できると考える人で、キリストの教会の信仰を受け入れたと公言する、永世(洗礼)を受けた信者である」”(M.ムラル、カトリック教会の伝統的解説4巻、170p)
1998年5月28日、教皇ヨハネ・パウロ2世は、自分の使徒書簡で、次のようなカトリック法令を発表しました。「真理すなわち、聖なるカトリック信仰を否認するか、疑うか、クリスチャン信仰を完全に拒否するか、法によって警告を受けた後も、本人の立場を変えない人は破門することによって、異端者あるいは背信者として処するべきだ。聖職者の場合でも例外を認めず、そのほか別の罰金刑に処する”
小さい角と先の獣が携えている迫害の精神は今までも相変わらず引き続いています。

なぜ、教皇権は,
中世期に神の聖徒たちを迫害したのでしょうか?それは、宗教暗黒時代の間、教皇権は自分たちと異なる信仰を持った人々は、神の栄光のために、除去されるべきだと考えたからです。しかも、私たちが考えなければならないことは、彼らのそのような思想は、今でも全然変わっていないことです。もし、彼らに、再び中世期のような軍事力と警察力が与えるとするなら、彼らは再び、次のような彼らの神学にもとづいて、迫害を再開することでしょう。「霊的剣と物質的剣すべてが、教会の権限の中にあるため、物質的剣も教会のために使用されるべきであり、霊的剣も教会のために使われるべきである。物質的剣は、王たちと軍隊たちによって使われるべきだが、それらもやはり、司祭の志と承諾によって使われるべきである。自ら異端であると公言し、言葉や行動で他の人々を誤りに導く手引きをしようとする者は、必ず破門のみならず、当然死刑に処しなければならないであろう”( Lepicier, De Stailitate et Progressu Dogmatis,p.211, 212)

第6の特徴:「小さい角」と「先の獣」は1260年の間勢力を保つ。

「ダニエル書」7章の「小さい角」:「聖徒はひと時と、ふた時と、半時の間、彼の手にわたされる」(25節)。
「ヨハネの黙示録」13章の「先の獣」:「この獣には、また、大言を吐き汚しごとを語る口が与えられ、四十二カ月のあいだ活動する権威が与えられた」(5節)。

*教皇権は、預言的期間である1260年間、権勢を保持しました。

預言の解釈

「ひと時と、ふた時と、半時のあいだ、」または、「四十二カ月」は、どちらも、預言的期間を表わす表現として、反キリストの勢力である小さい角と先の獣が、どれほど長い期間、全盛期を謳歌するかを教えています。
「ひと時、ふた時、半時のあいだ」が、どれほどの期間であるかが分かる手がかりが『ヨハネの黙示録』12章に出ています。『ヨハネの黙示録』12章6節と14節では、女として象徴された神様の真の教会が、サタンの勢力が加える迫害を避けて、深い山と渓谷に身を隠す場面が次のように表現されています。「しかし、女は自分の場所である荒野に飛んで行くために、大きなわしの二つの翼を与えられた。そしてそこでへびからのがれて、一年、二年、また、半年の間養われることになっていた」(黙示録12:14)。「女は荒野へ逃げて行った。そこには、彼女が千二百六十日のあいだ養われるように、神の用意された場所があった」(黙示録12:6)。『ヨハネの黙示録』12:14では、女が荒野へ逃げている期間は“一年、二年、また、半年”ですが、『ヨハネの黙示録』12:6では“1260日”となっています。これは、同じ期間を表していることを確認出来ます。(一年、二年、また、半年=1260日)。
ところで、『ダニエル書』にある、“ひと時、ふた時、半時”というのは、実際にはどのくらいの期間でしょうか。ここでの、“時(time)”はどの位の期間を表しているでしょうか?“時(time)”は、原語で、“iddan”ですがその意味は“年” (year, 年)です。『ダニエル書』11:13に記録された同じ表現を見ても、“時”の意味が分かります。「それは北の王がまた初めよりも大いなる軍を起し、数年(timeすなわちyear)の後、大いなる軍勢と多くの軍需品とをもって、攻めて来るからです」。この聖書の箇所では “時(time)”は“年(year)”を意味する表現である事が分かります。したがって、「ひと時、ふた時、半時=一年+二年+半年=1260日=42月という、象徴的な期間に対する預言の解釈の公式が得られます。(*聖書では、いつも一カ月は30日、一年は360日で計算します)。
さらに、ある預言が、象徴的な表現で描写された場合、その象徴的預言の中にある期間を計算する時は、1日を1年として換算することが聖書の中にあります(1日=1年、エゼキエル書4:4と民数記14:34参照)。従って私たちは、聖書に出てくる、象徴的預言期間である「ひと時、ふた時、半時」、「1260日」、そして「42カ月」は、すべて実際には、1260年という長い期間を表しているとの、聖書的結論を下すことができます。
神様は、「小さい角」と「先の獣」が、1260年のあいだ権勢を保ちながら、聖徒たちを迫害し、真理を変造させるようになることを、『ダニエル書』と『ヨハネの黙示録』全体に、7回も反復して記してくだることによって、ご自身の聖徒たちを、反キリストの欺瞞と攻撃から保護しようとされました。

1、ダニエル7:25;“聖徒はひと時と、ふた時と、半時の間、彼の手にわたされる” 2、ダニエル12:7;“ひと時とふた時と半時である。聖なる民を打ち砕く力が消え去             る時に”
3、黙示録11:2;“彼らは、四十二カ月の間この聖なる都を踏みにじるであろう”
4、黙示録11:3;“わたしのふたりの証人に、荒布を着て、千二百六十日のあいだ預言することを許そう”
5、黙示録12:6;“女は荒野へ逃げて行った。そこには、彼女が千二百六十日のあいだ養われるように”
6、黙示録12:14;“女は自分の場所である荒野に飛んで行くために、大きなわしの二つの翼を与えられた。そしてそこでへびからのがれて、一年、二年、また、半年の間、養われることになっていた”
7、黙示録13:5;“この獣には、また、大言を吐き汚しごとを語る口が与えられ、四十二カ月のあいだ活動する権威が与えられた。”

歴史的な証拠

これらの7つの預言の内容は、教皇権において、歴史的に正確に成就されました。私たちはその事実を確認するために、中世期の歴史を調べてみなければなりません。

1260年の期間はいつ始まり、いつ終わったのでしょうか?始まりの時期について、ひとつはっきりしていることは、ローマ帝国が十の国に分裂した以降、即ち西暦476年以降に起きるという事です。ローマ教会が権勢を掌握する契機がいつ作られたのかというと、西暦538年はとても意味深長な年と言えます。この年、ジャステニアヌス皇帝は、ローマ教皇権に、絶大な権勢を与えるという勅書を公布して、教皇権が教会のかしらとして、すべての聖徒たちを掌握できる権限を公認したのです。私たちは、この年を、ローマ教皇権の至上権を掌握し、1260年の支配を始めた年と定めることができます。
「西暦538年に、ローマ教会の監督は世界のすべての教会のかしらとなり、異端者たちを処罰する者となり、その年から1260年間の教皇の統治が始まった」( History of the  reformation by J.A. Wylie)

1260年の預言期間の後半期おいて、教皇権は、ルネッサンスと宗教改革運動によってゆさぶりをかけられ、次に、フランス革命のあおりを受けて、決定的な打撃をこうむりました。538年から開始された1260年という長い預言の期間が終わる、その正確な年である1798年に、驚くべき事件が起こりました。当時、フランス革命政府の命令を受けたベルティエ将軍が、軍隊を率いてローマ教皇庁へ攻め込み、時の教皇ピウス6世を、その権勢の座から引き下ろしたのです。教皇ピウス6世は捕らえられ、ローマからフランスへ護送され、投獄後、監獄の中で屈辱的な死を遂げました。教皇のすべての財産は差し押さえられました。その年がまさに、1260年の終点である1798年でした。
驚くべきことに、『ヨハネの黙示録』13章には、1260年が終わる時点で起きる、教皇権の没落の状態を思わせる、このような預言があります。「とりこになるべき者は、とりこになっていく。つるぎで殺す者は、自らもつるぎで殺されねばならない」(黙示録13:10)
西暦538年に、教皇権の権勢が確立されてから始まった1260年の預言は、1798年にベルティエ将軍の“剣”によって教皇権が崩壊したことで、まさに正確に成就しました。
「1798年、ローマでの一人のフランス人殺害事件(フランス軍司令官デュフォ―の殺害事件)は、フランス人たちに、永遠の都、ローマを征服し、教皇の世俗的権力に終止符を打つ口実をこしらえた。老いた教皇は、ウァランスへ配流された」(教会史)

第7の特徴:「小さい角」は神様の十戒を変更する。

『ダニエル書』7章の「小さい角」:「彼はまた時と律法とを変えようと望む。聖徒はひと時と、ふた時と、半時の間、彼の手にわたされる」(25節)

*教皇権は中世宗教暗黒時代に十戒を変更しました。

預言の解釈

『ヨハネの黙示録』13章6節には、反キリストの勢力である獣の活動について、「彼は口を開いて神を汚し」と、書かれています。『ダニエル書』7章では、この預言の内容が、具体的に描写されています。反キリストの勢力は、宗教暗黒時代の期間に、神様の律法、つまり、十戒を変更しようとします。それは特に“時”すなわち、時間と関連している律法を変更することによって、神様の権威を汚すのです。

歴史的な証拠

教皇権は、自分たちが神様の戒めを変更、または取り消す権限があると信じる信仰を、『カトリック百科事典』に次のように記しています。「ペテロとその後継者(注:教皇を意味する)たちは、教訓や禁止に関する律法を付加する権威を携えていると共に、これらの律法から免除させる権威もあり、必要に応じて廃止することのできる権威もある。・・・このような司法上の権限は、さらに、罪でさえ許す権威までも含まれている」。( Pope, The Catholic Encyclopedia, vol. XII, 265, col. 2. )

「カトリック教会は、安息日を一週間の中で七日目の土曜日から、初めの日である日曜日に変更させた後、十戒の第四番目の戒めとして、日曜日を主日として守るように命令した」     (カトリックの辞典4巻、153p)

さらに、このような神学的立場から、カトリック教会は、自分たちの教理問答や教理書において、十戒の第二条の戒めも取り去りました。その真の理由は、十戒の第二条に記載されている、「刻んだ像を造ってはならない」との戒めが、彼らが設置しているマリア像や各種の聖人像への崇拝と矛盾するからです。そのために、第二番目の戒めを除き、代わりに第十番目の戒めを二つに分けることによって、十戒の形態を維持しました。このようにして、カトリック教会が教える十戒には、偶像崇拝についての戒めはなくなり、「むさぼり」についての戒めが二つ重複して書かれるようになりました。

こうしてカトリック教会は、第四番目の戒めである第七日安息日(土曜日)を第一日(日曜日)に変更して守るようにさせ、各種の像を作って拝むようにさせてきました。それは、千年以上も続きましたが、その間、神様は、イタリアやスイスの山中に逃れた、ご自身の純粋な聖徒たちを通して、ご自分の律法を保存され、現在に至りました。神様の律法に対する、サタンの絶え間ない攻撃にもかかわらず、「よく言っておく。天地が滅び行くまでは、律法の一点、一画もすたることはなく、ことごとく全うされるのである」(マタイ5:18)というイエス・キリストの宣言は、今日までも不変であり有効なのです。

宗教改革の先鋒であったマルチン・ルターは、教皇権が神様の十戒を変更した問題に対して、次のようにいいました。
「パウロが、テサロニケ人への第二の手紙2章4節で『すべて神と呼ばれたり拝まれたりするものに反抗して立ち上がり、自ら神の宮に座して、自分は神だと宣言する』と記録しておいた存在がここにある。反キリストである『不法の者、すなわち、滅びの子』・・・が神の律法を変更させ、神の戒めの上に自分が作りあげた戒めを高めた。・・・我々はここで、教皇権が本当に反キリストの権座に座している事実を確信する」
(The Prophetic Faith of Our Fathers, vol.2, P.291)

ここでしばらく、教皇権が神様の律法を変更するようになった歴史的な背景を探りましょう。
もともと、太陽神を拝む異教徒であった、ローマ帝国のコンスタンチヌス皇帝は、クリスチャンたちの支持を得ることによって、自分の政権を安定させるために、クリスチャンに改宗し、キリスト教をローマの国教として取り入れました。これを契機として、大勢の政治家たちや異教徒たちが、皇帝の後に続いてキリスト教会に侵入してきました。そして、キリスト教徒として新しく改宗した皇帝は、異教徒たちの反発を和らげるために、彼らの伝統や風習である、神殿に偶像を立てることや、彼らが太陽の神に礼拝する日を、キリスト教が受容してくれることを要求しました。それに対して、教皇権の指導者たちは、皇帝の歓心を買うために、神様ご自身が書かれた十戒を変更することによって、皇帝の要求を受けいれたのでした。
歴史家モシェイムの証言は、その当時の教会の姿をよく表しています。
「教会の監督たちは、以前、ギリシアやローマの異邦の宗教を信じていた人々が、自分たちの神々へ尊敬と信心を表わすため行っていた宗教儀式や制度などを、少しずつ変更して、キリスト教会の中に引き入れた。こうすることによって、新しく改宗した異教徒たちは、自分たちが先祖から受け継いできた儀式などが、そのまま存在しているかのように感じられたのである。キリストと殉教者たちの像も、自分たちがこれまで拝んできた神々と同じ存在として考えられるようになり、その結果大勢の異教徒たちが、もっとたやすくキリスト教を受け入れるようになると、教会の指導者たちは考えた。・・・異教徒であったコンスタンチヌス皇帝が、キリスト教に改宗してすぐに、各地に、壮大な聖殿が次々に建てられたが、聖殿ごとに、各種の絵画や彫刻された偶像が飾られ、外見上であれ内面的であれ、異教徒たちの神殿とそっくりなものになってしまった」( J. L. Von Mosheim, Ecclesiastical History, I, p.369)
実際に、8世紀に至っては、ほとんどのカトリック教会には、各種の聖像があふれ、これらに接吻して祈り、焼香して、身を伏して拝むようになっていきました。十戒を守り、偶像を拝まないイスラム教徒たちからは、偶像崇拝者だと、からかわれるまでになってしまいました。このような背教の道に歩んでいたローマ教会は、結局、「刻んだ像を造ってはならない。・・・それにひれ伏してはならない、それに仕えてはならない」という第二番目の戒めを、神様の律法から取り去り、自分たちにとって都合のいい、カトリックの十戒を作るしかなかったのです。(『カトリック教理』第1巻、28p参照)

第8の特徴:「先の獣」は死ぬほどの傷を受けるが回復する。

『ヨハネの黙示録』13章の「先の獣」:「その頭の一つが、死ぬほどの傷を受けたが、その致命的な傷もなおってしまった。そこで、全地の人々は驚きおそれて、その獣に従い」(3節)

*教皇権は、1798年致命的な傷を受けましたが回復しました。

預言の解釈

この場面は、「先の獣」が享受した1260年の支配体制が終わった後、再び回復するという預言ですが、獣が死にかけた後、次のような3段階をたどりながら、自分が1260年の間享受してきた、とてつもない権勢を回復させ、全世界に君臨するようになることが分かります。
①「その頭の一つが、死ぬほどの傷を受けた」
②「その致命的な傷もなおってしまった」
③「全地の人々は驚きおそれて、その獣に従い」(3節)
使徒ヨハネは、黙示録13章で「先の獣」が、致命的な傷を受けながらも回復する場面を、繰り返し強調しています。10節で、「先の獣」が聖徒たちを迫害した後、死ぬほどの傷を受ける場面を「とりこになるべき者は、とりこになっていく。つるぎで殺す者は、自らもつるぎで殺されねばならない」と描写し、12節では、その「先の獣」が最終の時代に復活し、再び権勢をふるうようになる場面を「地と地に住む人々に、致命的な傷がいやされた先の獣を拝ませた」と記しました。そして、14節では、「つるぎの傷を受けてもなお生きている先の獣の像を造ることを、地に住む人々に命じた」。

歴史的な証拠

①「その頭の一つが、死ぬほどの傷を受けた」
歴史は教皇権が1798年死ぬほどの傷を受けたことを証言しています。
「1798年度2月10日フランスのベルティエ将軍がローマ市に入城して教皇を逮捕した」(1941年版 The Church History, p.24)
②「その致命的な傷もなおってしまった」
致命的な傷を受けた教皇権が、驚くべきことに回復し、再び全地の注目を受ける存在として成長しました。第2次世界大戦の直前、イタリアの独裁者であったムッソリーニは教皇権を独立した国家として認め、彼らに土地と財産を返す、ラテラノ条約を1929年2月12日に結ぶことによって、ついに教皇権は、致命的な傷も回復しました。( Los Angeles Times, 1929年2月12日号の中で、「致命的な傷がなおる」という特別な記事を掲載して、驚くべき預言の成就を全世界へ報道しました)。
③「全地の人々は驚きおそれて、その獣に従い」
その後、教皇権は徐々に成長し、1965年10月4日教皇パウロ6世が、ついに新教国アメリカを訪問し、ジョンソン大統領に祝福の祈りを捧げ、ヤンキース球場でミサを行う姿が、全世界へ中継放送されるほど地位を回復しました。
その後、1979年に行われた教皇のアメリカ訪問について、アメリカの新聞は、次のような記事を掲載しました。
「教皇がアメリカを訪問することは、想像もつかないことだ。しかし、・・・今や歴史上最初のポーランド人教皇ヨハネ・パウロ2世が、即位の1年後、全世界の天に輝く星として、7日間を我々と共に過ごすとの約束のもとに、アメリカへ来るようになった。政治家たちは先を争って彼を迎えるための準備をしている。6つの都市の市長たちは、彼らの業務を実質上中断して、教皇を受け入れる歓迎式典の準備に専念している」(ワシントンスター、1979年9月18日)
現在、世界各国がバチカンに大使館を置いています。さらに、かつて、教皇権の迫害を避けるために新大陸へ逃れて来て、多くの労苦の末に勝ち取った、宗教自由と共和制を国家の基礎とする清教徒(ピューリタン)の後裔たちであるアメリカまでも、バチカンに大使を派遣することによって、お互いに手を組み始めており、そこから、もう一つの驚くべき預言が成就されつつあります。
また、1980年代末から始まった、東ヨーロッパの低落や、ソ連の崩壊については、教皇権とアメリカの緊密な裏工作があったことが『タイム』誌に報道され、世界を驚かせました。

第9の特徴:獣の名と数字は666である。

『ヨハネの黙示録』13章の「先の獣」:「この刻印のない者はみな、物を買うことも売ることもできないようにした。この刻印は、その獣の名、または、その名の数字のことである。ここに、知恵が必要である。思慮のある者は、獣の数字を解くがよい。その数字とは、人間をさすものである。そして、その数字は六百六十六である」(17、18節)

*教皇の公式名称の数字を数えると666になります。

預言の解釈

この謎めいた預言の意味を、どのように解くことができるでしょうか?神様が下さる知恵をもって、先の獣の名前が入っている数字を数えると、それが獣の名前の数字を表す666であることを発見することになるでしょう。
カトリックの雑誌である“Our Sunday Visitor”1915年4月18日号には、教皇の公式名称は、教皇が特別行事にかぶる三重冠に刻まれている“Vicarius Filii Dei”であるが、その意味は“神の御子の代理者”であるという記事が掲載されました。ところで、ラテン文字は数字として用いられており、各文字には固有の数値が与えられています。“Vicarius Filii Dei”という、教皇の公式の名称が持っている数値を合算して、その結果が666になれば、まさしく、それが“獣の名かその名の数”になります。
ただし、666という数字自体が、獣の刻印として押されるのではありません。それは、神様が獣の正体を教えるために与えて下さった、「先の獣」の九つの特徴のひとつにすぎません。666は“獣の名の数字”であって、マイクロチップやコンピュータのバーコードの数字が666になるからといって、それを獣として見ることはできません。聖書には、獣の名の数字は「人間をさす」と説明している事実も忘れてはなりません。“思慮のある者は、獣の数字を解くがよい。その数字とは、人間をさすものである。そして、その数字は六百六十六である。”(黙示録13:18)

結論

ここまで私たちは、『ダニエル書』7章の「小さい角」と『ヨハネの黙示録』13章の「先の獣」は、すべて教皇権を指すものであるという事実を、歴史を通して確認してきました。それでも、ある人たちは、ヒトラーやイスラム教、また、共産主義やコンピューターだと信じていますが、それらは、聖書が語る九つの特徴をすべて満足させてはいません。地球上で存在するただひとつの勢力だけが、この九つの特徴を完全に満たしています。それが、私たちが注意深く調べてきた教皇権です。

1)教皇権は西暦476年以降にローマ帝国が十の国として分裂した地域である西部ヨーロッパから台頭してきた。
2)教皇権は政治的都市国家で、
3)教皇権は宗教的教団で、
4) 教皇権は大言を吐き汚しごとを語る口がある。すなわち、自分を神様と等しい者にし、自ら罪を赦す力があると公然と語っている。
5)教皇権は神様の律法を変更した。
6)教皇権は中世期において神様の聖徒たちを迫害した。
7)教皇権は1260年のあいだ権勢を享受した。
8)教皇権は死ぬほどの傷を受けたが再び復活して、今や全世界へ強力な影響力を及ぼす勢力となった。
9)教皇権を象徴する公式な名称の数字の合計は666になる。

教皇権に対する聖書の預言は、教皇権が再び回復する場面で終わっていません。『ヨハネの黙示録』13章の後半では、世界歴史の最後に、「先の獣」である教皇権が「ほかの獣」と手を結んで、はなはだしい迫害をもたらす場面が展開されています。「わたしはまた、ほかの獣が地から上って来るのを見た。それには小羊のような角が二つあって、龍のように物を言った。・・・そして、先の獣の持つすべての権力をその前で働かせた。また、地と地に住む人々に、致命的な傷がいやされた先の獣を拝ませた。・・・獣の像に息を吹き込んで、その獣の像が物を言うことさえできるようにし、また、その獣の像を拝まない者をみな殺させた」(黙示録13:11-15)。「地」から上がって来る小羊のような獣、しかし、最後には「龍のように語る」恐ろしい勢力、この「ほかの獣」は誰であり、それは先の獣と、どんな関係があるか?次回の記事では、この重要な問題について注意深く探りたいと思います。


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