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sosoの素(26)

心と身体と頭のこと 11

心の開け閉めのことを意識していても心をコントロールすることって本当に難しい。簡単にイライラするし、気候がいいとのんびりするし、楽しみがあると子供にみたいにウキウキして落ち着かなかったり。
ちょっとのことで、そしていとも簡単に自分の心の状態は変化してくる。

僕は小さな時からこのことにいつもどうしたらいいのかわからなかった。
小学生の時、自分の気持ちが暴走し出すような、抑えきれない衝動のような気持ちに身体が支配されて動くようなことがよくあった。だから喧嘩もしちゃった。自分の気持ちの持って行く場所がわからず困って何かぶつける場所を探していたような気がする。
大きくなるにつれて世間体や社会性みたいなものが抑制になって少しずつ抑えられるようになってきたとけど、その衝動自体がなくなったわけじゃないからまるでDV夫が暴れないかビクビクしてるような気持ちで自分の中のモンスターのようなものを抑え込んでいた。
どんどん付き合い上手になって、傾向と対策も身についてはくるけど存在はしている。悪くはないけどいい状態ではない。そんな感じを数年前まで抱えていた。

個人事業主になり、自分のしたことが成果に変わり、結果は自分の評価になった。それはとてもシンプルで自分の考えややり方がストレートに成果として実感ができる。勤めている時は、会社が、上司が、同僚が、部下がなんて言い訳できる要素が多くて、自分が頑張ってもあいつが適当にやってるからみたいに邪悪な心もむくむく育っていたけど、全てが自分に返ってくる個人事業主の言い訳できない状態が僕には向いている。
そんなことを言いながらも業績が悪いとやっぱり凹む。自分のしてることを全て否定されてるようにも感じ始める。そんな時期も数年あった。そんな時に自分のどこかいけないのかじっくり観察して改善しようと努力した。観察して考えるのが好きな性分なのです。その軌跡や経験みたいなのをこのsosoの素で書いてるんだけど、本当に発見ばかりで改善できることしかないくらい改善点が今でも出てくるから面白い。
その中で暴れ出す衝動が生まれる芽みたいなものの傾向がはっきりしてきたのです。

仕事のことは頭で考える。頭で考えるから「あれをこうして、こうやったらああなって、それでうまく売り上げが上がる」みたいな捕らぬ狸の皮算用をする。そうするとモノもシステムも人もうまく利用してやろうとか出しぬこうとかスケべ心がうまれて、それがうまく行かないと道具が悪いとかあの人が思ったよりやってきてくれなかったとかイライラがどんどん積み重なって衝動が生まれてくる。勤めてる時となんら変わんない状態。
ああ、書いてて情けなくなる、、、。でもこれが僕の衝動を生んでた芽なのです。
それに気づいてから頭で都合のいいストーリーを作らないようにしようと決めた。そして自分が関わりたいと思える人以外とは仕事上の付き合いでもしないようにもした。
そうすると不思議と関わってくださる方みな友好的でお客さんも思いやりのあるいい人ばかり。業績もよくなっていいことずくめで徐々に自分の中の衝動のような気持ちってのがなくなっていった。
人を信用することはあっても妙な期待をすることがなくなってどんな状況になっても風鈴のようにヒラリヒラリと風を受けながら綺麗な音色を出せるようになってきた。

心も身体も頭ばかりで考えすぎてるとどちらも抑圧されて不健全になってくる。現代の社会はそんな状況が多すぎる。
頭は心と身体から発信されるサインを社会や他人とつなぎ合わせる翻訳家みたいなものか、、、と思って翻訳能力を高めるためにもこの記事を書いているのかもしれない。
このnoteも僕にとっては衝動を生まない一つの要素。

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