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実話。唖然!部下が送り込んだ刺客の自爆テロ。転職先で部下の猛反発を受けた女性リーダーの反省と再起 by転職定着マイスター 川野智己

「この人をリーダーなんて認めません。私は、自分の職を捨てることで、辞することで、会社への捨て身の抗議としたいと思います。このリーダーは、私たち部下の光を消すために入社してきたのです。自分のことしか考えていないのです。」

派遣スタッフの女性、虹山美保(仮名:24歳)は、請われて転職した女性リーダーの面前で、このように涙ながらに抗議していた。自身を送る送別会の挨拶の場で、かつ、憎むべきリーダーの上席である部長の目を見ながらせつせつと訴えた。
 まるで自爆テロに会ったかのように、呆然と立ち尽くすその女性リーダーとは、半年前に航空会社の元CAから転職し新天地で捲土重来、新たな飛躍を目指していた熊川ひとみ(仮名33歳)、その人であった。

マスコミにも多く取り上げられた勤務先の経営不振により転職を余儀なくされた熊川が、人材紹介会社の仲介で次なる活躍の場として選んだ転職先は、テレマーケティング会社「ジャパン・アウトソーシング社」だ。

熊川は、そのコールセンターのリーダーとして採用された。

この時点では、まさかこの転職先で修羅場を経験するとは、熊川は思いもよらなかった。

この転職先であるジャパン社が、「リーダー兼教育係」との役職で熊川を採用・登用したのだ。
熊川は、電話応対の経験などは無いが、「こんな仕事は、難しい仕事ではない。客あしらいという意味では、CAもテレマも同じこと。何よりも、自分は厳しい競争を勝ち抜き、憧れの一流企業でCAとして磨かれてきた。」と自負しており、自分の経験と実力を、管下の部下に伝授することこそが、新天地での貢献でもあり、自分の存在意義を社内に知らしめる近道であると意気込んでいた。熊川の大きな欠点は、その野心を隠すことなくひけらかすことにあった。
強気の熊川は、ジャパン社への入社日を、飛躍の記念日として、カレンダーに書き込んだ。

既に、元CAが上司として入社することは、早々にジャパン社の社内にとどろいていた。その過剰な期待値は、いやがおうにも盛り上がっていた。その一方で、その高すぎる前評判・期待値は、既存のスタッフたちの心理的な反発を芽生えさせるには十分すぎるものであった。

スタッフたちは、毎日、受注先の顧客からの同じような問い合わせ、怒号はじめ不躾で理不尽な攻撃を一心に受け止めている。その日々の中で、大きな鬱屈を抱え、そのやり場のない憤りをぶつける相手を絶えず探している。飛んで火に入る夏の虫とは、まさしくこのことであった。むろん虫とは、熊川のことである。

彼女が出社時に持参したプラダのバックを見たスタッフから、熊川は、早速「悪魔」とのあだ名を拝受した。これは、当時の映画名「プラダを着た悪魔」から付けられている。
 何故、これらあだ名を知るところになったかというと、「嫌な上司。この悪魔」と、熊川を揶揄するメールが、スタッフから熊川宛に誤送信されてきたからである。

もっとも、前職でも噂や陰口が横行し、仕事が出来る人間はやっかまれ、出来ない人間は虐められる。職場とはそんなものと達観していた熊川は、全く意に介していなかった。悪名は無名に勝ると本当に感じていた。彼女のその自信は、どこから来るかと言うと、上司である高畑部長からの寵愛を受けているとの自負が熊川にはあったからだ。その後ろ盾があるからこそ、部下にも厳しく接することが出来るのであった。

 その後、熊川は、リーダー職のみならず、社内の教育係も任命された。
 自分には電話応対の経験は無いものの、これまでの経験で培った、仕事の基本や言葉遣い、CSマインドを駆使して、次々とスタッフを厳しく指導していった。

 そんな中、派遣スタッフの虹山が派遣期間を残して退職するという。子宝に恵まれたことがその理由であった。。。。そう、その理由であったはずだった。
 
 「この人をリーダーとして認めません。」送別の場で受け取った花束をブルブルと振るわせて、アジ演説している人物は、か弱で温厚な、その虹山であった。
熊川の最大の失敗は、虹山のそのアジっている顔を呆然と眺めていたため、上司である高畑部長の不機嫌な顔に気づかなかったことである。熊川は、その後ろ盾を失った。

  のちに、虹山は、ベテランの部下スタッフが、熊川に差し向けた刺客・ヒットマンであることが判明する。

 意に沿わない上司を追い出す術(すべ)として、当初から個人的な事情で退職する社員を焚き付け、「最後っ屁」として、反乱を促す人たちがいる。虹山は、ベテラン社員に利用されたのだ。

 熊川は、反発ではなく自らの行いを内省した。
 部下と同じレベルに立つ能力競争から降りたのだ。

 マニュアルの作成を託し、部下のこれまでの職務上のノウハウの存在を受け入れ認めた。否定から尊重に変わったリーダーの姿勢に、逆に熊川をリーダーとして受け入れる姿勢に転じていた。

リーダーは自ら光ることでは無く、部下に光を与えることである。
熊川は、リーダーとして転職先で迎え入れられることになったその記念日であった。


※毎回、ご一読いただき誠にありがとうございます。書き記した内容は、私川野が大手人材紹介会社の教育研修部長時代に見聞き、体験した「実話」です。よって、個人名や企業名が判明しないよう若干の表現上の工夫をしております。何卒ご了承願います。
おかげさまで、投稿を始めてはや4週間。多くの方々から大きな反響をいただいております。Noteの好きボタンやフォローをしていただければ幸いです。

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