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4/21 子どもは勝手に育つのか?久しぶりに「センス・オブ・ワンダー」を手にとって考えてみる。

子どもたちの野外教育に携わって、見えてきたことがあります。幼少期の子どもたちの発達には、環境・問いかけ・共感の3つが大きく関わってくるということです。

数年前、野外教室で2歳児の担任をしていたときのことです。そのときに、どんな活動を展開しようかと、参考にしていた本の1冊がレイチェル・カーソンの「センス・オブ・ワンダー」でした。

以下、いくつか引用を載せておきます。

子どもたちの世界は、いつも生き生きとして新鮮で美しく、驚きと感激に満ちあふれています。残念なことに、私たちの多くは大人になるまえに澄み切った洞察力や、美しいもの、畏敬すべきものへの直感力をにぶらせ、あるときはまったく失ってしまいます。
生まれつきそなわっている子どもの「センス・オブ・ワンダー=神秘さや不思議さに目を見はる感性」をいつも新鮮にたもちつづけるためには、わたしたちが住んでいる世界のよろこび、感激、神秘などを子どもといっしょに再発見し、感動を分かち合ってくれる大人が、すくなくともひとり、そばにいる必要があります。
わたしは、子どもにとっても、どのようにして子どもを教育すべきか頭をなやませている親にとっても、「知る」ことは「感じる」ことの半分も重要ではないと固く信じています。子どもたちがであう事実のひとつひとつが、やがて知識や知恵を生み出す種子だとしたら、さまざまな情緒やゆたかな感受性は、この種子をはぐくむ肥沃な土壌です。幼い子供時代は、この土壌を耕すときです。
美しいものを美しいと感じる感覚、新しいものや未知なものにふれたときの感激、思いやり、憐れみ、賛嘆や愛情などのさまざまな形の感情がひとたび呼び覚まされると、次はその対象となるものについてもっとよく知りたいと思うようになります。そのようにして見つけ出した知識は、しっかりと身につきます。
消化する能力がまだそなわっていない子どもに、事実をうのみにさせるよりも、むしろ子どもが知りたがるような道を切りひらいてやることのほうがどんなに大切であるか分かりません。


幼児期のお子さんがいらっしゃるご家庭や、これから子育てをしていくご家庭に向けて、是非一読していただきたい本の一冊です。日常の煩雑さから、ふっと遠くを眺めて、人生の豊かさとは何かに、思い出すきっかけとなります。

レイチェル・カーソンの本は、個人の手記として書かれていますが、実際の研究でも同様なデータが出ています。認知能力と非認知能力という考え方です。幼少期に、数字で図れるスキルや能力(認知能力)を詰め込んでも、その後の伸びしろはほとんど変わらない。しかし、幼少期に、目標に向かって頑張る力、他の人とうまく関わる力、感情をコントロールする力など(非認知能力)を重視した場合、その後の学力も、経済においても伸びしろが高いという研究データです。

2歳児の子どもたちの担任をしていたとき、この本を読んで、遊びを与えることをやめてみました。そのかわりひたすら考えたのが、どんな環境で活動を行うかという点です。子どもたちが驚きと感激に満ち溢れ、自分たちで遊びを作り出せる環境はどこなのかと。

その結果見えてきた子どもたちの成長には、目をみはるものがありました。2歳児の子どもたちが、自分たちで遊びを作り出し、自然の中から疑問を見つけ、自分たちで考え始めていく。関わる人が少しずつ増え、遊びの輪がどんどん広がっていく。一言で表現すると”和”が生まれていきました。

そこには、大人が一方的に遊びを与え、無理矢理引っ張っていく不自然さが無く、まさに子ども自身から湧き上がる静かだけど深い驚きと感激に満ち溢れていたように思います。時間が立つのがあっという間で、毎日同じ場所にいるのに、毎日違う発見がある。それほどの没頭時間でした。


そんな子どもたちの様子を思い起こしながら、表題の問いについて改めて考えてみたいと思います。

子どもたちは勝手に育つのか?

結論から言うと、どんな環境であろうと勝手に育つのだと思います。ただ、自分の人生を豊かにしていくための感性は、勝手には育たないのではないかなと思います。そこには、不思議に気づくための問いかけがあって、一緒に考えてくれる存在が必要なんだと思います。大切なことは、無理矢理与えようとしないことかもしれませんね。

生まれつきそなわっている子どもの「センス・オブ・ワンダー=神秘さや不思議さに目を見はる感性」をいつも新鮮にたもちつづけるためには、わたしたちが住んでいる世界のよろこび、感激、神秘などを子どもといっしょに再発見し、感動を分かち合ってくれる大人が、すくなくともひとり、そばにいる必要があります。

やっぱり、その環境で一緒に共感してくれる大人の関わりが必要であり、感じたことに気づかせてくれる問いかけが必要になってくるのでは無いでしょうか。

そして、きっとこれは、特別大きな自然の中に行かないと出来ないのかと言われると、そんなことは無いと思います。もっと身近で始められることじゃないかなと思います。

例えば、家の近くの道を散歩しているとき、アスファルトの間で咲いている一輪のタンポポを見つけたとき、その生命力に驚くことでしょう。そのタンポポがどうやってそこまでたどり着いたのか、ちょっとした問いかけで、ストーリーが生まれていきます。そうやって、世界を見ると、身近に驚きと感激はたくさん隠れているのかもしれませんね。


ここまで、話すと都会で暮らすことが良くないことだと変に勘違いをされてしまうかもしれません。大切なのはあくまでバランスだと思っています。便利なものは使った方が良いですし、現代の社会に生きていて、科学の進歩を否定することは何の意味もないことだと思っています。

そして、もう一つ大切なのが、段階でしょうか。幼少期が「知る」ことよりも「感じる」ことの方が大切なのは、その通りだと思います。ただ、成長していった後に、感じたことをもっと深く知りたい!と思ったときに、様々なツールを使って「知る」方法を学ぶこともかなり大切になっていくと思います。

どちらが良いと、極端に偏った考え方にならず、その時期に大切なことは何かな?どんな手段が使えるかな?とバランスを取りながら生きていくことが求められていくのかもしれませんね~




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