見出し画像

アメリカ人夫婦バンド tennisの世界 ‖ 音楽とエッセイ

tennisの新曲が衝撃的すぎたので、彼らのことがもっと知りたくなった。

白ひげ真っ赤なサンタに、ぼうっとした穏やかでまばゆい電飾の光。曇りガラス越しに見るような靄がかった景色が、僕が小学生の時に夢見たクリスマスだった。アメリカが掲げた余裕があってきらびやかで、それでいてどこか厳かなクリスマス。50年代から80年代後半ぐらいまであったあの時代の空気がtennisにはある。

tennisのことは数ヶ月前に知ったばかりだった。数年前にも何枚か音源を出していたようだけれど、有線ではまだまだ流れてこない。名前も相まってネットで調べても引っかかるのはほぼテニスプレーヤー。まだまだ日本では知られていない存在なのだろう。

tennisはコロラド大の哲学の授業で出会ったAlaina MooreとPatrick Riley。長期の旅をすることはアメリカであっても「通常」ではないらしい。大学院に進もうとか法律家になろうとする人がほとんどの中で、Patrick Rileyだけは船乗りを目指していたのだそうだ。そんな彼が気になったAlaina Mooreは卒業後そのまま2人で8ヶ月の船旅に出た。船旅の思い出を音楽にすることでtennisが生まれ、現在2人は夫婦としてtennisの活動をしている。

僕は妻のフウロと大学で出会い、在学中は一緒に50本以上の映像作品を作り、夫婦世界一周旅行を経て2人で本を作ることにした。

船旅と世界一周。レベルは違えど、カップルで長期旅をする人たちにだけ流れるような独特な連帯感みたいなものがある。ことAlaina Mooreの芸術性は和紙作家をしている妻フウロを連想させるところもあって、不思議な親近感があった。

目に見えない大事なものを共有できる感じだ。簡単に答えは出ないけれど、いつまでも話して悩んで突き詰めていきたい感じ。多分僕らも哲学が好きなのだ。

tennisの曲はびっくりするほど古き良きの匂いが馴染んでいて、小手先感がない。日本人が欧米の真似をしても本物にはなれないのと同じで、生まれもった空気が違うのだと思う。

同時に、とても感覚的だ。僕には英語詞を訳すことは出来ても、アメリカ人だからこその「そうそう」という感覚までには届かないし、きっとそれは一生そうだと思う。

でも、感覚はわかる。あたたかいさや、大切にしているもの、少し繊細で、芸術的な暮らしで、夫婦の仲はいいんだろうなという、根拠はないけど自信がる感覚だ。

無理のない形で生きて、感性に身を委ねる時間を増やす。音楽をやることが目的ではなく、生きることが目的で、歌って生きていく先で人生が続いていけばいい。いいものはいいものを作ろうとして生まれるのではなく、いい生活がいいものをもたらす。

夫婦で暮らせばいろんなことがあるけれど、夫婦仲が良いとか悪いとか、そんなつまらないところじゃなくて、入り口ではなく、もっと奥まったところで悩み、苦しみ、楽しんでいたい。

ものづくりを通して人生を、夫婦を考えていく。そんな生き方をtennisを聴きながら歩んでいきたい。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?