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【ためし読み】上田信治[著]『成分表』/①鳥たち

有名漫画『あたしンち』共作者にして俳人である上田信治さんによる初のエッセイ本『成分表』のためし読みです。

鳥たち


 誰もいない昼間の町で、カーブミラーの上に止まっているカラスの様子が変だと思ったのと、その下の地面に、もう一羽のカラスの死体があると気づいたのが、ほぼ同時だった。
 下のカラスは、車にぶつかりでもしたか、どう見ても、分かりやすく事切れている。
 上のカラスは、ただならぬ様子というのか、あわただしく脚を踏み替えながら、聞いたことのないような声で「あああああ、あああああ」と鳴いていた。
 カラスは、ここで今ひどいことが起こったということを、怒り訴え続けていた。「ひでええええよ、ひでええええええもん見ちまったよ!」と、そう聞こえたのは、比喩でも擬人化でもなく、下のカラスが死んでいることと同じくらい、どう見てもそうだった。
 喜怒哀楽と一口に言うが、四つはひどく非対称で、「怒」と「哀」は深く長く実体的であるのに対し「楽」は淡く「喜」はわっと舞い上がった瞬間だけこの身にあって、すぐもう消え始めている。
 そのことに気づいた時は、人に生まれて損をしたような気になったけれど、カラスも怒るくらいだから、感情というものが基本ネガティブ寄りであることは、たぶん進化論的に仕方がない。
 そして(というのもおかしいけれど)同時に、必ずしもそうではないと、今は思っている。
 それは、カラスが木や電柱のてっぺんで、誰に聞かせるともなくカーカー鳴いていることがあるからだ。カラスが、ただカラスらしくしていると、カラスは機嫌よく見える。
 動物にはそういう種類のよろこびがある、というか、人間の言葉でそれは「よろこび」としか呼びようがない。喜怒哀楽の「喜」と「楽」に、生きものとしてニュートラルな状態をカウントしてよければ、喜怒哀楽はそれほど非対称ではなくなる。
 結婚してすぐのころ、家にセキセイインコのつがいがいた。親戚か友だちの家で殖えたのを、もらって来たのだったと思う。
 インコは狭いかごの中で、止まり木、えさ入れ、横の金網、止まり木、えさ入れ、横の金網、と熱狂的に飛び回り、気がすむと急に飛ぶのをやめて、二羽並んで止まり木に収まる。そういうときヂュヂュヂュヂュと口の中で鳴いているのは「ご満悦」の状態なのだと、これは妻の観察だった。
 彼らはときどき、嘴と嘴でキスをする。小鳥がキスをするなんてすごい、この小さな頭のどこにそんな感情が、と思っていたけれど、それは逆で、人間が、大きな頭で小鳥のようにキスをすることのほうがすごい。

 すべての価値は、よろこびとしてつながっている。
 それは人間だけのことではないと、彼ら小さな生き物を見ていると分かる。
小鳥が食べて運動をして、満足して、キスをするのを見るのは楽しい。せわしなく飛び回り、生を白熱化し、急に落ちついてヂュヂュヂュという小鳥のよろこび。
 金魚はどうか。魚に感情があるかどうかは、さかなクンに訊いてみないと分からないけれど、金魚があの色でひらひらと金魚らしく泳ぐことは、すでに何ごとかをあらわしている。
 それは、見る人の心においてよろこびとなる。
 その表現に、主体があるとすれば「自然」とか「造化」と呼ばれるものがそれだろうか。それは「生命が、ただ生命らしくしている」ことに見出される。
 人のよろこびも、金魚が泳ぐようにして、その人の胸にある。

  秋・紅茶・鳥はきよとんと幸福に  上田信治

上田信治 (うえだ しんじ) 
1961年、大阪のマンモス団地で生まれる。大学の漫研で知りあって結婚した女性が、漫画家けらえいことなる。彼女の作品には、ごく初期のころからネタ、ネーム、単行本の構成等で協力していたが、読売新聞日曜版連載の『あたしンち』から全面的に参加、現在に至る。つまり、漫画家けらえいこの夫であり共作者。俳人として、句集『リボン』(2017年、邑書林)がある。


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