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【連載】古賀及子「おかわりは急に嫌 私と『富士日記』」①

いま日記シーンで注目の書き手である古賀及子さんによる、これからの読者のための『富士日記』への入り口。戦後日記文学の白眉とも称される武田百合子『富士日記』のきらめく一節を味読しながら、そこから枝分かれするように生まれてくる著者自身の日記的時間をつづります。

武田百合子著『富士日記』
夫で作家の武田泰淳と過ごした富士山麓、山梨県鳴沢村の山荘での13年間のくらしを記録した日記。昭和39年(1964年)から昭和51年(1976年)まで。単行本は上下巻で中央公論社より1977年に刊行、2019年に中公文庫より新版として上中下巻が刊行されている。


 日付があって、その日に食べたもの、買ったもの、人から聞いたことや行動が記される。『富士日記』は私たちのイメージする日記そのものだ。
 読むと、淡々と綴られる詳細な記録としての暮しのさまから、人というもの全体の雰囲気がどうしようもなく立ち上がってくる。ちょっとふつうの日記とは様子が違うようだぞと感じるころにはもう、文学としての豊かさを手渡されている。
 どういう秘密があるのか。研究して論じることは私には難しいから、『富士日記』の世界に自分のかつて見た景色を重ねてみるのはどうかと考えた。
 日記のある一文から発想し、記憶をたぐって私も書くのだ。
 同じようには書けない。でも同じ人間だから、下手でも呼吸ならできる。

✽ ✽ ✽

おかわりは急に嫌

〔昭和四十一年〕四月十日
 私は一皿食べたあと、二皿めを食べていたら、急にいやになって、残りは明日の犬のごはんにやることにする。「百合子はいつも上機嫌で食べていて急にいやになる。急にいやになるというのがわるい癖だ」と主人、ひとりごとのように言ったが、これは叱られたということ。

武田百合子『富士日記(上)新版』(中公文庫)  273ページ

『富士日記』のひとたちは炭水化物をよく食べる。ご飯は2杯も3杯も食べるし、この日、二皿目を食べていて急にいやになったのも焼きそばだった。

 かつての日本の食卓は炭水化物が中心だったとはよく聞くから、おそらくそれなりに一般的なことだったのだろうとは思うが、こうして残される文章が鮮やかだと新鮮に驚かされる。ひらめくように満腹になる、満腹どころか嫌になってしまう、武田百合子のてらいないスター性を感じさせる重要なエピソードで大好きだ。

 私は5人きょうだいの長子として育った。食卓には中央に大皿が出ることはほとんどなく、毎食銘々の皿に取り分けられて配膳され、それを食べる形式だった。子どもが取り合ってけん制したり、食べたがらず手をつけない者が出ないようにだろう。

 そうやってずっと育ってきたから、二人きょうだいを育てる側に回ってもうちの食卓では基本的に配膳は実家と同じ、それぞれの皿に盛り付けている。夕食は居間のちゃぶ台で食べる。息子がふきんできれいにふいたところに、私が盛りつけたご飯、お味噌汁、おかずを娘が運ぶフォーメーションが暗黙の了解でとられる。

 そんな食卓で、ずっと気になっていることがある。それは子どもたち二人が物心ついて自分で食事を口に運べるようになって以降、一貫してご飯もおかずもおかわりしないことだ。

 フィクションが描く子どもの子どもらしさである「おかわりー!」の掛け声が、現実の食事で発せられるかどうかは家庭によるところかと思うが、少なくともこの家では聞いたことがない。勝手に自分でおかわりを盛りに行く様子も見えない。

 それでも食後に食べたりなそうな様子なのだから、こちらからふたりの胃の状況を察知してできるだけちょうどの量を最初から盛るようになった。

 子どもは生きることの本筋に物理として体を大きくする、成長がある。ただ体を維持する大人とはちがう。もうちょっと貪欲に食べても良いのにと思うのだけれど、なんとなくおかわりは違うなと思う気持ちも分かる。

 おかわりには、実はあまりときめきがない。2杯目は最初の1杯目ほどの感動は薄く、どうしても余分のように思われ、下手するとちょっとがっかりすらする。それを、子どもたちは薄々感じ取っているのか。

 家族でおかわりをするのは私だけだ。いつもなんとなく違ったなと思いながら食べる。急に嫌になる奔放さも持ち合わせず、喉をつかえてぐっと食べきる。

なま身の善意

〔昭和四十年〕十月六日
 サンマを買った店のおばさんが、砂糖のついた小さいおせんべいを手に一杯つかんで、くれるという。紙もないので断ったが、上衣のポケットにじかにおしこんで入れてくれた。

武田百合子『富士日記(上)新版』(中公文庫)  162ページ

 近隣のまちの人々がさかんに登場するのが『富士日記』のひとつの特徴だ。東京の赤坂から通う武田家と、山梨県鳴沢や富士吉田の人たちのあいだには、まだ純然に都会のひとと田舎のひとの違いがある。

 とくに上巻には店のひとからなにしらか貰うようすがよく書かれる。ぱっと開いても、なじみのガソリンスタンドで娘の花が、羊羹三本、板チョコ三枚持たせてもらった記述がある。多い。

 多いだけではとどまらない、おせんべいをじかにポケットにおしこんでくる荒わざまで出てくるからすごい。もてなしたい気持ちがここまであふれることがあるだろうか。気をつかわせないためにもてなしもセーブする感覚が発生する前夜の、なま身の善意がここにはある。

 大作家である武田泰淳の妻と知って、敬意から良く接する様子も当然見うけられるが、東京からわざわざ来ている人だから、また、単純にお客へのサービスとしてなにかくれることも多いように読める。

 高校に入ってすぐの頃、学校の最寄り駅の近くにあたらしい商業施設ができた。1階に生鮮食品を扱うスーパーマーケットとフードコート、2階に衣料品店とレストランのテナントが入った、小さいモールだ。友人たちは入学してすぐにあちこちでアルバイトを始めていた。とくにお金を使う目的のなかった私も、みんながやっているからと、はじめて応募したのがここのフードコートの店員だった。

 いまのようにさまざまなジャンルのチェーン店が並んで入居するのではなく、ひとつの業者が麺類、お好み焼きやたこ焼きなどの焼きもの、アイスクリームとソフトクリームの甘味を一手にサービスする形態で、オープニングスタッフで入った私たちアルバイトはローテーションですべてのメニューの提供方法を習得するのが入店当初の課題だった。

 のだけど、私はあまりに不器用だし覚えも悪かったのだ。私が音を上げるまえに店側が耐え切れなくなり、いつの間にか、せめてぎりぎり覚えきれた甘味担当専任として落ち着いた。

 甘味には、あんみつ、クリームあんみつ、ところてんと、ソフトドリンク、ソフトドリンクにアイスクリームをのせるフロート各種、それからソフトクリームがあった。

 ソフトクリームをうまく巻くのは結局誰よりもへたくそで、でも案外これを許さないお客さんはおらず、下手でもむしろ笑って受け取ってもらえた。

 あるとき、私と同じ高校生だろうカップルがあらわれてコーラフロートを1杯注文した。いつものように作って渡すと、黒い起毛のジャンパーを着た男が隣の女の金髪をなでながら「お姉さん、アイスクリームもう1杯足してくれない」と言う。「あ、はい。いいですよ」店からしたら困った店員だが、同じ高校生に対しひるんだり頭を下げたりしたくない意地で格好つけて逡巡なく即答した。

 丸くアイスクリームをすくう器具でバニラアイスをひとすくいして、目の前のフロートにうかぶアイスクリームの玉の上からぐっと押さえつけるように足してのせて渡す。驚いて喜ばれた。世慣れたさまのカップルから、店員やるじゃんと、目くばせを受けて私はいい気になった。

 そうしてこのあと私は、砂糖のついたおせんべいをポケットに押し込むごとく、子連れや人数の多いお客を選んではアイスクリームを追加したり、ソフトクリームを規定量よりも二巻き多くしたりする勝手な大盛サービスをはじめる。すぐにばれて、きっちり怒られた。


古賀及子(こが ちかこ)
ライター、エッセイスト。1979年東京都生まれ。2003年よりウェブメディア「デイリーポータルZ」に参加。2018年よりはてなブログ、noteで日記の公開をはじめる。著書に『ちょっと踊ったりすぐにかけだす』『おくれ毛で風を切れ』(ともに素粒社)、『気づいたこと、気づかないままのこと』(シカク出版)。
【連載・執筆】デイリーポータルZ北欧、暮らしの道具店シカクのひみつマガジン
【ポッドキャスト】古賀・ブルボンの採用ラジオ
X(Twitter):@eatmorecakes
note:https://note.com/eatmorecakes


【隔週更新】
次回は4月10日ごろ更新予定です
見出し画像デザイン:鈴木千佳子

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